鳥籠からの脱出(2)【ビートルズ来日60周年によせて】
不自由な鳥籠の中にいたジョンは、訪日時に一時の自由を得るため、7月1日(金)午前中、缶詰にされたホテルから脱出する。
そして、原宿など4か所の骨董品店を訪れた。
ビートルズは6月29日から5日間、103時間滞在、5回の公演を終えて7月3日(日)に離日、マニラへ向かう。
1.ジョンの脱出劇
来日時にビートルズをピンクのキャデラックに乗せて羽田空港からホテルまで運転した入内島(いちじま)氏は、ジョンから「壺や漆器類に興味があるので、自分で探して買い集めたいと長年考えていた。象牙のチェスも。どこかで買えないか。」と伝えられる。
到着から翌日の6月30日朝食後、投宿先の当時の東京ヒルトンホテルでのことだった。
入内島氏は、自分の部屋で作戦を練り、昼食後にジョンを部屋に呼び「明日7月1日午前中決行」を伝える。
決行当日ジョンは、通行証を持って写真家ロバート・ウィティカ―になりすまし、ニール・アスピノールとともに入内島氏の部屋に行く。入内島氏は警備に「スタッフを連れて外出する」ことを告げ、3人は業務用エレベーターで地下駐車場まで降りた。
入内島氏は、ふたりをリムジンの後部座席に潜り込ませ、ホテルからの脱出に成功する。
「ジョンと僕は成功して地元の市場へ行ったんだ。最高に面白かった。外に出るとほっとしたよ。」(ニール談、アンソロジーP215より)
なお、日本到着の29日に加山雄三氏と夕食(すき焼き)を共にした時、ジョージが「小さな仏像を飾り、東洋と西洋の心について会話をしたい。どこで買えるか。」と加山氏に聞いている。

2.骨董品店を巡るジョン
ジョンは、目立つリムジンで4つの店、朝日美術・神宮店(神宮)、北川象牙店(青山)、オリエンタル・バザー(原宿)、朝日美術・本店(現在の六本木ヒルズ)を回る。
1店目の朝日美術・神宮店は滞在せず、直ぐに出て2店目の北川象牙店に向かう。現在は楽天クリムゾンハウス青山の入るビルとなっており、店の跡形は全くなかった。同店は大田区中央へ移転している。

3店目のオリエンタル・バザーのあったビルは新たなFENDIの入る商業ビルとなっている。右下写真の現在のオリエンタル・バザーは、2023年に原宿よりの少しだけ離れた場所に移転していた。

最後の4店目の朝日美術・本店は、現在の六本木ヒルズ近くのグランド・ハイアット・ホテルの正面玄関あたりにあったが、その形跡も全くない。
なお、朝日美術は「古美術あさひ」として中央区京橋に移転している。


ジョンが訪れた4店は、60年後は全て移転していた。
7月1日の午前中、ジョンはこの4か所を巡り午後1時頃にホテルへ戻った。その日は武道館で午後3時と7時半からのコンサートがあり、夜は9時から日本テレビが収録した特別番組が放映された。
このあっぱれな脱出劇によって、ジョンは妙なスリルを味わう一方、少しでも自由な空気を感じたのだろうと思う。
なお、ジョンは1971年の来日時に「大変お世話になった」として、入内島氏とホテル・オークラで再会している。
3.ジョンが求めていたもの
ジョンの眼が東洋に向いていたのは、その先に静かで平和な世界を見つめていたからではないか。
当時のジョンは、ビートルズという現実の喧噪から逃れ、既に内省の時期にあり、「チベット死者の書」などを読んで東洋にも救済を求めていた。
そして、東洋の国に初めて足を踏み入れ、美術品という自分の興味と相俟って、心を落ち着かせる実用的なものを探していたのだろう。
朝日美術・本店では警察も駆けつける事態となったが、その後のホテルでの販売もあり、ジョンは、香炉、硯箱、金蒔絵の小抽斗、根付などを手にした(※)。
なお、同日ポールもジョンの脱出の後11時20分頃、マル・エバンスとともに四谷経由で皇居前広場に辿り着き「5分だけでも」と言って散策している。
(※)日本の工芸品の用途
香炉(こうろ): 香を焚くための器
硯箱(すずりばこ): 書道道具を収納する箱
金蒔絵の小抽斗(こひきだし): 小物を収納する装飾箱
根付(ねつけ): 着物の小物を帯に固定する留め具

※2026年4月6日付の読売新聞朝刊は、ジョンがオリエンタル・バザーで福助人形を購入していたと伝えている。
福助は、身体に障がいを持ちながらも福を呼び込む存在として語られる人物に由来するとされ、かつては「不具助」が転じたという説も残る。その由来をジョンが知っていたかどうかは分からない。
ただ、現在の店頭には、その姿はもう見当たらなかった(現在は取り扱っていない)。

ロバート・ウィティカーの来日写真集にはホテル一室の窓際に鎮座していた(右下)。
※下記の本には、計画を用意した入内島氏とそれを見事に実行したジョンの会話が生々しく描かれている。
※4人が時間潰しで描いたアクリル絵画「Images Of Woman」は2億円で売却された。
7月2日(土)、湯川れい子氏がビートルズにインタビューしているが、ジョンだけは端っこで無愛想にしていたという。
そのことを湯川氏がビートルズ解散後にジョンに確認したところ、ジョンは「あの時の僕は、何もかもうんざりしていたんだ」と答えている。
4.進化を続けたビートルズ
ツアーを止めるきっかけとなった1966年を境に、ビートルズは進化していく。東京ツアーの後、暴力沙汰に見舞われたマニラを後にし、デリーで楽器を購入した後、7月8日にロンドンへ帰国する。

ビートルズは、その後生きる意味を求めて瞑想を体験し、心を鎮めて自分と向き合い、自分を見つめ自分の力を信じようとする。その時、ジョンは日本で買った香炉を使っていただろう。
そしてジョンは未知の領域を進み続け、救いと安らぎを求めていく。その世界を自分たちの音楽にも取り入れ、その感覚を共有、世界に発信していく。

5.夢を求めた若者
1964年、ビートルズはJFKを喪失したアメリカに光のように舞い降り、米ソ冷戦体制下で戦争、人権抑圧、差別が繰り返される世界に疑問を抱き、次第に社会的な発言を強めていった。
ビートルズが提示した歌は、斬新で古い体質を覆す力を持ち、若者が求めた夢に合致した。
若い力は古い価値観を打破して前に進み、従来の社会からの脱却を図る。それを押さえつけようとする保守的な大人と若い力の衝突が繰り返され、やがてそのうねりは、1968年の世界的な革命の年に向かう。
6.経済成長を続けた国(ビートルズと日本)
朝鮮戦争の特需後、日本は高度経済成長を遂げ、1967年には人口が1億人を突破する。
ビートルズのロックは日本の若者の夢を膨らませ、昭和の勢いは加速し、景色は一変する。その後なおベトナム戦争が続き、公害問題が浮上するなか、1968年に日本のGNPは、西ドイツを抜き世界第2位となる。
第2次世界大戦後、自国は戦争を経験せずに経済成長を続けた日本は、唯一の被爆国として、憲法に規定する平和国家として、いまの世界で名誉ある地位を占めたのだろうか。
※ビートルズ関連の固有名詞は一言も出ないが、桑田佳祐氏のビートルズへのオマージュに溢れた名曲「月光の聖者達」(2011年)。
来日60周年を迎えるが、私はビートルズを「知っていて良かった、聴いていて良かった」と思う。
ビートルズの歌を聴くと、煌めく笑いのあった日々、明日はもっと素晴らしいと夢見た頃を実感できるからだ。
Nothing ever stays Nothing comes to mind
And no one can erase The days we left behind

(次回「鳥籠からの脱出(3)」へ続く)
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