全統小の偏差値70にはほぼ意味がない
6月の全国統一小学生テストの結果が返ってきた。
SNSの中受クラスタでは、今年も恒例の光景が広がっている。「偏差値70超えました!」という歓喜の報告。「全統小なんて意味がない」という冷笑。「いや無料で全国順位がわかる神テスト」という反論。毎年6月と11月、結果返却のタイミングで正確に再燃する、季節の風物詩だ。
先に私の結論を書く。
全統小の成績は、中学受験の立ち位置を測る道具としては、ほとんど壊れている。 偏差値70で喜んでいる家庭は、その数字が何を意味しないかを知らないまま喜んでいる。そして、それを知らないままでいてくれることが、主催者のビジネスモデルの前提になっている。
順番に書く。
1. マークシートで、思考力は測れない
まず、テストの仕様の話からする。
全統小は、小学3年生からマークシート形式である。年長から小2までは記述式なのに、学年が上がり、本物の中学入試に近づくほど、解答形式は入試から遠ざかっていく。
一方、実際の中学入試はどうか。
御三家をはじめとする難関校の入試は、記述の塊だ。算数は答えだけでなく途中式や考え方を書かせる。国語は数十字から百字超の記述で読解の深さを問う。理科社会も、知識の暗記ではなく、その場で資料を読んで考えさせる問題が主流になって久しい。中学受験で問われる学力の中核は、「自分の頭で考えた過程を、自分の言葉で構成する力」である。
マークシートは、その中核を構造的に測定できない。選択肢を選ぶ力と、白紙から論理を構築する力は、別の能力だ。全統小で高得点を取る力と、開成や桜蔭の入試問題に立ち向かう力の間には、テスト形式の時点で深い溝がある。
では、なぜマークシートなのか。
答えは単純で、年間30万人規模の答案を、最短8日で採点して返却するためだ。記述式を人間が採点していたら、このスピードとこの規模は成立しない。つまり全統小のテスト形式は、子どもの学力測定に最適化されているのではない。装置の回転率に最適化されている。
測りたいものに合わせてテストを設計したのではなく、大量に配って高速で返すためにテストを設計した。この時点で、「中学受験の実力を測る」という用途には、根本的に向いていない。
2. 偏差値がインフレする母集団
次に、母集団の話をする。こちらの方が罪深い。
全統小の受験者は、玉石混交だ。中学受験の通塾層だけでなく、「無料だから記念に」という非受験層、公文だけの子、塾に入る前の腕試しの子が、大量に混ざっている。公式自身が「普段、塾に通っていなくても解くことができます」と謳っている通り、このテストはそもそも受験勉強をしていない子を含めて設計されている。
母集団の学力分布が下に厚ければ、通塾層の偏差値は当然、高く出る。
サピックスや四谷大塚の塾内模試で偏差値55の子が、全統小を受けると偏差値65や70が出る。この現象は中受クラスタでは半ば常識だが、初めて受けた家庭は知らない。知らないまま、「うちの子、全国で上位2%らしい」と受け取る。
全統小の偏差値は、中学受験の偏差値と互換性がない。 単位の違う温度計だ。摂氏65度と華氏65度を同じ「65」だと思って安心する。それが、6月と11月に全国で一斉に起きている。
さらに構造的な欠陥がある。学年が上がるほど、母集団の上位層が抜けていくのだ。6年生になると、最難関を狙う層はサピックスオープンや各塾の冠模試を優先し、全統小を受けなくなる。つまり、受験が近づいて立ち位置の精度が最も必要になる時期ほど、このテストの母集団は測定に使えなくなっていく。
立ち位置を知る道具として、二重に壊れている。
3. それでも決勝進出者は、最難関に受かる
ここで、反論が来るはずだ。「でも、全統小の決勝に行った子は、筑駒や開成に受かっているじゃないか」。
その通りだ。決勝常連の子が最難関に進む例は、いくらでもある。主催者も、全統小の決勝からアメリカ視察団に行き、開成を経て東大に進んだ子どもの物語を、公式サイトに誇らしげに掲げている。
しかし、この事実が意味するものを、冷静に考えてほしい。
決勝に行くような子は、大半が低学年から通塾し、家庭で鍛えられ、もともと突出した処理能力を持っている子だ。全統小の問題は前半が教科書レベルで、最後に塾技前提の難問を置いて差をつける構造になっている。その難問を解き切るのは、すでに訓練された子である。
つまり、全統小は才能を「発掘」していない。すでに完成しつつある子を「表彰」しているだけだ。
決勝進出者が最難関に受かるのは、全統小が何かを与えたからではない。もともと受かる子が、通過点として順当に上位を取っているだけである。打率10割のバッターに賞を与えて、「この賞が名選手を育てた」と言っているようなものだ。
「全国に埋もれている優れた才能を発掘する」というのが、主催者の掲げる実施目的である。美しい建前だ。しかし20年の実績が示しているのは、発掘ではなく、すでに掘り出されて磨かれている宝石に、リボンをかける事業だという事実だ。
そして残酷なことを書くが、この構造が意味するのは、こういうことだ。決勝ボーダーに届かない大多数の子にとって、全統小の上位争いは、最初から自分と関係のないショーである。 頭のいい子が順当に結果を出す舞台を、その他大勢が母集団として支える。iPadとアメリカ行きの華やかな表彰は、母集団を毎回集め直すための広告塔として機能している。
4. ガチ勢は、サピの組分けを受けている
では、本当に立ち位置を知りたい家庭は、何を受けているのか。
答えは身も蓋もない。最難関を本気で狙う層の立ち位置測定は、サピックスの組分けテスト(入室テスト)一択である。
理由は母集団だ。サピックスの組分けには、御三家・筑駒を狙う層が最も高い密度で集まっている。その中での序列は、そのまま2月1日の戦場での序列に近似する。だからガチ勢は、わざわざ外部生としてでもサピの組分けテストを受けに行き、自分の子の現在地を確認する。
これは中受クラスタの上位層では常識に属する話だが、常識であることを誰も大きな声で言わない。言えば全統小の「全国での立ち位置がわかる」という看板が崩れるからだ。
全統小の成績表で一喜一憂している段階で、情報戦としては一周遅れている。上位層は全統小を、受けるとしても「お祭り」か「決勝の記念受験」として消化し、実戦のデータはサピの母集団で取っている。同じ日曜日に、ある家庭は無料テストの偏差値70を額に入れ、別の家庭は組分けの偏差値55を直視して課題を洗い出している。 2月1日に合格するのは、後者だ。
5. では、全統小は何のためにあるのか
ここまで書けば、答えは明らかだろう。
全統小は、学力測定装置である前に、ナガセの顧客獲得装置である。
全統小は四谷大塚の伝統行事ではない。四谷大塚が2006年にナガセ(東進の運営会社)に買収された直後、2007年に始まった事業だ。教育業界で最もマーケティングに長けた企業が、買収した中受塾を使って最初に作ったのが、この「無料の全国テスト」だった。
無料の内訳を見れば、設計意図は明白だ。申込時に家庭の連絡先が集まる。成績データで見込み客の質が仕分けされる。テスト中には希望者向けの父母会が開かれ、教育関心の高い親だけが自発的に営業プレゼンの席に着く。テスト前後には対策授業と見直し指導という追加接点が用意され、成績が基準を超えれば、そのまま入塾資格が付与される。公式サイトに明記されている通り、この無料テストは入塾選抜試験を兼ねている。
上位層には決勝大会とiPad、小4の夏にはアメリカIvy League視察団10日間無料招待という、民間テストとしては異例の賞品が置かれ、「学力の全国大会」という物語が毎年再生産される。そして対象学年は、2007年の小3〜小6から、小2、小1と下がり続け、2018年にはついに年長に到達した。その先には、全国統一中学生テスト、高校生テスト、東進、早稲田塾という、幼児から大学受験までの一貫した回収装置が待機している。
企業は、儲からないことを20年続けない。 のべ433万人が受けた無料テストの費用は、この動線を最後まで歩いた家庭の授業料が払っている。
念のため書いておくが、これは違法でも詐欺でもない。テスト自体の品質は高く、地方や非通塾の家庭に無料の受験機会を提供している側面も本物だ。問題は品質ではない。このテストが測定できるものと、親が測定できていると思っているものが、まったく違うことだ。
6. 受けるべき子と、時間の無駄になる子
整理する。
全統小が価値を持つのは、限られたケースだ。通塾前の子が、テストという体験に慣れる。地方在住で他に模試の機会がない家庭が、無料で腕試しをする。非受験層が、学校のテスト以外の物差しに一度触れてみる。この用途なら、全統小は日本で最も費用対効果の高い教育イベントである。
一方、最難関を狙う通塾生にとって、全統小は時間の無駄である。 マークシートは志望校の出題形式と乖離し、母集団は緩く、偏差値は実戦と互換性がない。その半日を過去問か組分けの復習に使う方が、合格には確実に近い。決勝が狙えるレベルの子だけは、iPadとアメリカという「賞金」目当ての参戦に合理性があるが、それはもはや学力測定ではなくスポーツだ。
そして最も危ういのが、その中間にいる大多数だ。なんとなく受けて、インフレした偏差値65を見て、「うちの子は結構できる」と安心する。あるいは父母会で中学受験の現状を聞き、昨日まで存在しなかった不安を持ち帰り、対策授業から入塾面談へと動線を歩く。同じ無料テストが、知識のある家庭にはタダの体験イベントになり、知識のない家庭には勘違いか不安の注入装置になる。
このシリーズで繰り返し書いてきた「三つの資本」〜金・時間・知識〜のうち、ここで問われているのも結局は知識だ。全統小の偏差値の意味を知っている親は、数字を正しく割り引いて使う。知らない親は、額面通りに受け取って、喜ぶべきでないところで喜び、慌てるべきでないところで慌てる。
テストが子どもの学力を測る前に、テストの結果の読み方が、親の情報リテラシーを測っている。全統小とは、そういう装置である。
もっとも、偉そうに書いている私も、息子の低学年時代には無料テストの類を「せっかくだから」と受けさせ、返ってきた景気のいい偏差値を眺めて悪い気はしなかった側の人間なので、勘違いする親の気持ちだけは、誰よりもよくわかるのだが。
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