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法華経大講和 8/8

はい、こんにちは。
法華経大講話、 第8回目になりますね。はい。

今日ですね、あの、画面に映っているのはですね、これはですね、このですね、過去30年近くですね、私はだいたい1日ですね、正味5、6時間、法華経のですね、ヒアリングをしてきましたと。

で、さらにですね、ちょっと最近見てみたらですね、メモ帳が大量に出てきて、それはですね、いつも、あの、私のですね、ポケットの中にはですね、ズボンの、いつも膝にもポケットが付いてるズボンを履いてたんけど、その中にはメモ帳が入っていて、それでですね、だいたい外のですね、喫茶店に寄るとですね、この、ご覧の画面のようにですね、写経してましたね。これ非常に汚い字なのは、いつも私は左利きなんですけど、利き手をですね、使いすぎていてもですね、目からですね、頭からこう神経痛がすごかったんで、利き手じゃないですね、いつも右手でですね、写経をしてましたと。で、こんな感じでですね、法華経を写したものがですね、かなり大量に出てきましたね。はい。

で、ですからですね、五種法師になって、まぁ現代ですから私も、昔はカセットテープに録音して、いつも耳元で寝る時に聞いてましたと。で、あと旅行なんかの時に、移動の時に飛行機とか電車の中でよく聞いてましたね。はい。
もうですね、頭が痛くなる、もうこれ以上聞けないっていうところまで、いつも聞いてましたね。で、ヒアリング、毎日しないとなんだかあの、禁断症状みたいのが起こってきて、法華経がなんか欲しくなってきて、まさに中毒症状で、なんで自分がこんなに法華経に中毒症状なんだろうかっていうのが、すごい不思議でしたね。ですけど、それがですね、あの法華経の法師品とかに理由が書いてあるんで、ああ、こんな体質の人間に生まれてしまった自分っていうのは、もう仏が放さないという、放さないっていう、捕らえて放さないという、そういう状況なんだなっていう。でもう過去に如来の下で解脱して、自我を消滅させて、仏国土に登って、で何回ももう人間世界にビッグバンを起こして生まれてきていて、その、もう最終段階に来てるんだっていうふうにわかりましたね。でもそれがわかったのはですね、あの、インドのですね、古代預言書っていうのをですね、取り始めて、そこにそれがそのまま書いてありました。彼はあの最高神のみどもからここに生まれてきて、人間の世界に生まれて何度も生まれてきて、そして彼は常に神と共にあると。で、その、むしろ預言書を見てですね、ああ、法華経と同じことが書いてあるんで、自分の 生き方は間違ってないんだなっていう。で、自分、仏の目になるべき人間として今回生まれてきたんだなっていうのを感じましたと。

で、今回法華経のですね、普賢菩薩の章ですね。ここまで聞いてきた人はわかると思うんですけど、だいたい存在のですね、全体の中の普賢菩薩っていうのはどういう位置にいるのか、そういったものがですね、わかってきたと思いますと。

でもう法華経のですね、一言一句ですね、もう一言一句をですね、最初から当たり前のようにですね、私はあの、信じてるっていうよりも、当たり前のものとして考えてますね、そこに書いてあることが。で、むしろでも暗記して、どこに何が書いてあるかっていうのはわかる状態ですし、もうほとんど暗唱できるような状況ですね。はい。

ですからこの状態になるまではですね、30年近くかかります。写経、読み、書き、読誦し、ヒアリングし、そして考え、そして人に話していく。これを30年ぐらい繰り返すと、こういう状況になりますね。はい。

ですから、そのぐらいやって初めて法華経って理解できるもので、そのぐらいやって初めて人に話せるものですね。はい。ですから逆に、そこまでやんないで人に何かわかったふうに話してる人っていうのは、ちょっと理解できないですし、その人たちは全然理解してないってことがわかりますね。はい。

で、要するに仏っていうのは、まあ3段階の無限の世界を作って、その一番下に人間を作って、そのすべての人は仏の目として作ってあると。で、その人たちが悟るっていう形ですね。はい。 悟るって形で、己自身、仏に己自身を見た状態になりますね。はい。ですからその、悟った状態を作るために法華経っていうのは、さまざまな例えでですね、仏についてが書いてありますと。はい。

で、今回法華経の最後のところでやりますね。はい、前回からの続きです。

そこでその時、正しい悟りを得たシャーキヤ・ムニ如来は普賢菩薩大士を称賛された。 「よろしい、よろしい、普賢菩薩よ。お前がかくも多くの人々の幸福のため、多くの人々の安楽のために、世間を慈しんで大衆の利益・幸福・安楽のために修行し、かくも思慮を超えた徳性を備え、お前の菩薩としての大悲に属する深い志願と、 不可思議な功徳の一部である決心(発心)とに、よって、お前がみずからすすんでこの説法者たちに加護の力を加えることは、まことによろしい。だれであろうとも、普賢菩薩大士の名前を保持する良家の子たちは、シャーキヤ・ムニ如来にまみえたことになると知るべきであり、そのシャーキヤ・ムニ世尊から親しくこの“正しい教えの白蓮”という法門を聞いたことになり、シャーキヤ・ムニ如来を供養したことになり、シャーキヤ・ムニ如来が教えを説かれるとき、如来によって称賛されたことになり、この法門を随喜したことになり、シャーキヤ・ムニ如来によって彼らの頭に手がさしのべられたことになり、シャーキヤ・ムニ如来は彼らによって法衣で包まれたことになるであろうと知るべきである」と。

要するに釈迦の教えとですね、普賢菩薩の教えはですね、全く同じもので要するに普賢菩薩ですね、新しく如来になったこの如来からですね、教えを授けられて生まれ変わったその世界に正法の中に生まれて、この普賢菩薩が正法の如来となって教えを説いていると。で、その世界に生まれて、この普賢菩薩から六根清浄させてもらって、普賢菩薩と一体となってもらって、その法華経を読む者は、釈迦牟尼如来の教えを聞いているのと同じであるということですね。はい。

で、普賢菩薩よ、それらの良家の息子でも、良家の娘でも、如来の教誡を完全に理解したものたちであると知るべきである。彼らはローカーヤタ、順世外道を愛好せず、詩書に耽溺する人々を快く思わず、ここちょっと重要なところなんですけど、ローカーヤタ、順世外道っていうのは、要するにこの法華経をですね、妙な呪文だとかにして、順世外道、要するに、功利的、この呪文を唱えていれば儲かるとか、幸せになれるとか、極楽浄土に行けるとかっていうやつですね。

ですから、今ほんとこの法華経を説くですね、普賢菩薩っていうのは、末法の時代の、もう仏法が滅び去った時代に出てくる末法の如来なので、もう周りはインチキだらけだということを、お釈迦様は普賢菩薩に語ってますと。

で、詩書に耽溺する人々ってのは、文学とか詩とか、哲学ですね。こういったものはですね、悟りの邪魔になります。はい。ですから、今ほんとこの、お釈迦様が言ってる状態ですね。順世外道ばっかりで、仏教なんか全く理解されてないですし、本当に文学とか哲学とか、そういうものですね、もので、この、法華経を宗教の一つだなんてこう、蔑んで見るような人たちばっかりですね。はい。

さらに芸人、格闘家、拳闘家、酒屋、羊肉屋、鶏肉屋、豚肉屋、淫売宿の主人であるということを心よくもないであろう。まあ、これは普通に考えてわかりますね。テレビとか、そんなスポーツとかそんなもの見てないで、法華経を学べと。また、このような経典を聴聞するか書写するか、受持するか、読誦するかしたのちは、それ以外に彼らは楽しみをもたないと。これらの人々は本性的に徳性を具備しているものであると知るべきである。また、これらのものは各自に独特の根源的な留意を所有し、これらの人々はそれぞれ自己の福徳の力を獲得し、衆生たちにとって見て喜ばしい人たちであろう。

要するに、法華経にですね、もう思いっきり引かれてですね、もうそれを暗記する人はですね、何十年かかって、過去にですね、如来の下で解脱してまあ一度は仏国土に戻ったんだけど輝ける、この法華経を理解して仏を見るために、仏のそのですね己自身を見たいっていう、その要求のためだけに生まれてきた人であると知るべきであるということですね。そういう人だってことです。

ですからですね、本物のですね、信仰者と偽物の信仰者を見分けるコツは、もう簡単でですね、要するに法華経をですね、暗記するぐらいやってる人ですね。こうした人はもう本物であってですね、本物じゃないとそのぐらいできません。ですから本物じゃない人っていうのはですね、変な呪文にしてですね、南無法蓮華経とか、南無阿弥陀仏とか、ビッグバンの起こし方もわからないのに、自分はブッダであるとか、もうこんなの相手にしちゃダメって、もう末法の時代っていうのはこんなのばっかっていうのをここで言っていますね。はい。

このような経典を受持するであろう比丘たち。このような経典っていうのはですね、ですから正法の如来が釈迦であると、像法の如来もいるので、像法の如来の経典もですね、受持するべきですね。今この世界で言うと、イエス・キリストの聖書ですね。私も法華経をやりながらの気分転換にですね、イエスのですね、四つの福音はですね、もう暗記するぐらい読んでますね。はい。で、自然にこうなるってことですね。ですから、はい、そのような比丘たちは、貪欲、憎悪、無知、嫉妬、吝嗇(りんしょく)、侮辱、慢心、高慢、誤った自負によって損なわれることはないと。もうこうなる人はですね、要するに自惚れとかそういうのはないってことですね。

普賢よ、またそれらの説法者たちは自分の得たもので満足するであろうと、少欲知足であろうと。普賢よ、のちの時代、のちの時節、のちの五百年が続くあいだに、この“正しい教えの白蓮”という法門を受持する比丘を見るならば、人は次のような心をいだくべきである。『この良家の子は菩提の座(道場)に赴き、この良家の子は魔の邪悪な輪(魔衆)に打ち勝ち、この良家の子は教えの輪(法輪)を転ずるであろう。この人は教えの太鼓を打ち鳴らし、教えの法螺貝を吹き鳴らし、教えの雨を降りそそぎ、教えの獅子座に登るであろう。』

まあシャーキャ・ムニ如来の今、末法ですね、において生まれてきて、この法華経をですね、一体となる人はこうなるし、また逆に普賢菩薩がですね、の下で修行して、末法の如来の下で修行して次の時代において生まれ変わって、その普賢菩薩が正法の如来になっていると。そのですね、正法の広がっている五百年ぐらいの間に生まれ変わって、そこで普賢菩薩からですね、一体となって、この法華経を学ぶ人たち、その人たちですね。そして、その世界の末法に生まれている人たちも、邪悪な人たちに打ち勝ち、邪悪な人たちっていうのはですね、もうはっきり言うと、この世界の何とか教、仏教系のみんな、何とか教、はい。何とか学会とか、こういうのに打ち勝ち、法華経を完全に理解するであろう。で、どんな時代に生まれても、その世界の正法の如来と像法の如来の教えを一体となり、必ず成道するであろうというふうに言ってますね。はい。

ですから法華経のもう最後の章っていうのはですね、もう如来になるべき菩薩たち、如来になったこの普賢菩薩、こういう人たちに語ってますね。あの、未来永劫、すべての、普賢菩薩も一人じゃありません。この法華経を聞いてですね、悟りを得た、すべての如来のことですし、普賢菩薩のですね、生まれ変わった世界で、その世界で普賢菩薩の教えを学ぶ、で悟りを開いたすべての弟子たちにも、ブッダはこれ語ってますと。はい。

のちの時代、のちの時節、のちの五百年が続くあいだに、この法門を受持するであろう比丘たちは、欲深くはないであろう。法衣を貪りもしないし、托鉢を貪りもしない。それらの説法者は心がまっすぐであり、それらの説法者は三種の解脱を得た者であろう。彼らには現世でのすぐの果報も来世での順次の果報も生ずるだろう。このような経典を受持する説法者の比丘たちを惑わす人々は、来世において生来の盲目となり、このような経典を受持する比丘たちに非難を浴びせるものたち身体には、今生においても斑が現れるだろう。

このような経典を書写するものをなぶったり、ひやかしたりする者は、歯が折れ、 歯が欠け、忌まわしい唇をもつことになり、鼻が平たくなり、手も足も逆さまになり、眼もさかさまになり、身体からは悪臭を放ち、さらに身体にはできもの、腫れ物、疥癬、発疹、 湿疹が一面に広がるであろう。

要するにですね、まあ仏と一体となってですね、その状態で生まれてきて、そしてこの法華経にですね、もう一直線に気がついて、それを読み、書き、読誦し、書写し、ヒアリングし、そして何十年もかかって完全に理解する人、この人たちがですね、いる時にですね、どんな理由があってもその人たちを邪魔をするような人たちですね。その人にですね、どんな理由があってもその人を悪く言う人たちですね。はい、このような人たちはですね、とんでもない目に遭わされるっていうことですね、 頭が八つに割れて、地獄に叩き落とされるって言いますね。はい。

ようするにその人は今生においても来世においても、盲目になったり、歯が折れ、歯が欠け、眼と口が逆さになったような顔ですね。これ、いますね、今の本当に。現代の宗教団体にも、目と鼻が逆さになったり、盲目で、 インチキの教えを説いて、人殺したりしてるような人。もうモロに書いてあるんで、法華経っていうのは、怖い教えですよ、本当に。これ。

ですから、もう私のような人たち、あと私を支持する人たちをですね、あの、どんな理由があっても悪く言ったりですね、非難したり、嫌悪を感じたものたち、もう、真偽は別として、思いやりのないことばを浴びせるものにとっても、そのようなことばをあびせることは極めて重い罪業であると知るべきであるという。

で、なんでかって言ったら、当然仏ってのは自分を知りたいという意志で、この3つの無限を起こして、その下にですね、自分の目としてこういう人を派遣したわけですね。その人がですね、仏と一体になって法華経を勉強して、そして仏とは何かを悟って、まさに仏が己自身を悟ろうとしているのに、その人をですね、どんな理由があっても非難するということはですね、仏にタンを吐きかけるようなことなんで、絶対にやっちゃいけないことって言ってます。

そういうわけで、普賢よ、この法門を受持するであろう比丘たちを迎えて、人は遠くから立ち上がり、如来に対して敬意を払うようにそれと同じように、これらの経典を受持する比丘たちに対しても敬意を払うべきである。当然、法華経を理解する人たちは仏そのものなんで、遠くからでもその人たちに頭を下げて、手を合わせて、敬意を表すべきであるということですね。はい。

ですから、例えばイエス・キリストとその弟子たち、あるいはお釈迦様とその弟子たち、あるいは法華経をですね、末法の時代にですね、この法華経が真実だってわかって、それを暗記して理解する人たちとその弟子たち、こういう人たちにですね。絶対に何か変なことをしちゃダメだってことですね。もうそんな人は盲目であったり、ブサイクな顔であったり、もう地獄から出てきた悪魔であったりっていうことですね。はい。

はい。その人たちはですね、もう八つに頭がですね、裂けて死ぬことになるだろうというのは、この世の終わりですね。もう末法の時代に、この法華経をですね、理解する末法の如来が出てくるんで、その時代も4分の3ぐらい、いろんなことで死んでいく世界ですね。はい。ですから3次元が5次元になる、もう段階に来てるって事なので、もう5次元に入れないような人たちっていうことですね。そういう人たちは、だからもう、そういう人たちはひどい目にあって、頭がなんか八つに裂けて死ぬっていうことが書いてありますけど、それが結局旧約聖書の預言なんかとも一致しますね。はい。

はい。では要するにここで、普賢菩薩の章のまとめをしますけど、要するに最高の状態ですね。仏っていう状態は、一切の生きとし生けるすべてのものが悟りを開いて、仏になった状態であると。この状態がですね、同時にですね、自分は何でこの状態になったのかを思い出そうとしていると。

思い出そうとするとですね、一つの思考が生まれてですね、その思考の末端にですね、あなたがいると。あなたはですね、仏がですね、昔あなただった時に、毎日つまんない人間で、くだらないことばかり考えていたけど、ある時、如来の言葉を聞いて、この人の言葉は本物だと思ったと。そしてその人に弟子になって、その人のもとで解脱させて、自我を消滅させてもらって、そして仏国土に入ったと。肉体を持ちながら。

ところが、もうこれで自分は完成したのかと思ったら、その人が、いやいや、そうじゃないんだよって。そこからビッグバンを起こしてですね、他の世界に生まれ変わって、そこに残ってる如来の経典を学んで、学んで、学んで、学んで、最後にあなたも悟りを開いて、己自身の姿、仏であったっていう自分の姿を見えるようになると。そしてそうすると、あなたもその世界で弟子を取って、 解脱させて、その人たちにも生まれ変わらせ、仏を見れるようにしてあげなさいと。 自分が仏であったことはどういうことかということを理解させて、仏にしてあげなさいと。で、この無限の連鎖がですね、最高度の仏であると。

で、ここまで思い出すためのプロセスが人間であって、ブッダの下で解脱して、そして仏国土に上がって、三千億土ですね、上がって何度も生まれ変わっていくって、この下の2つの無限の世界であったっていう、これをですね、思い出したことによって、仏は、「あぁそうか、自分はだから仏になったんだと。昔はあなただったんだけど、修行して、すべてを、 如来になって、すべての生きとし生けるものを解脱させたと。だから自分は仏になったんだ」っていうことを思い出すためのプロセスが、この仏法僧の無限の三段階、父、 聖霊、子、の3段階の仕組みっていうことですね。はい。

要するにですね、一番上の存在はですね、自分を思い出そうとする力があるって、この作用によってすべてが生まれてるってことですね。ですから、この作用をですね、邪魔するものは仏敵であり、それが悪霊ということですね。はい。

で、まあ一番下の3次元っていうのは、3次元、4次元、5次元、6次元、7次元というのは重なり合っていて、で、この次元がですね、3次元に低下したり、5次元にまた上がったり、これ繰り返してるだけですね。ですからこの、くだらないですね、低い次元からですね、まず解脱して、脱出して、上の仏国土に入れと。で、そこから自らビッグバンを起こして、再びこの3次元に行けば如来の教えがあると。で、それを何回も何回も学んで、己自身も如来になれと。こういうことですね。はい。

で、それにあたって、まあ普賢菩薩とですね、まあ、悟りを開いてブッダになったあなたと、その世界の過去にいた正法の如来が打ち合わせをしてるっていうのが、これから教えを説き始めるあなたと。打ち合わせをしてるっていうのがこの章になりますと。はい。

あなたはこの存在のですね、3つの無限の中のどういう位置にいるか、今。わかると思いますね。はい。あなたは初発心の菩薩なのか、それとも地涌の菩薩として何回ももう修行していて、あと何回かで如来になる人なのかですね。はい、どうでしょう。

はい。 これで普賢菩薩の章はですね、終わります。


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