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【愛でも喰らえ】#25 「その子二十 櫛にながるる 黒髪の」


 
 お盆を過ぎ八月が終わっても日本中を覆っている酷暑には終わりが見えない。

 九月に入り、詩乃は東北の母親の実家に五日間取材に行った。

 避暑出来るかと思いきや、東京ほどではなくとも青森は三十度近い夏日が続き子供の頃と比べて明らかに平均気温が上がっている。
 どこへ行っても暑さが追いかけるが、森が多い処は空気が澄み都会のような照り返しや湿気をそれほど感じない。

 祖父母のお墓に手を合わせ、マタギの叔父夫婦、仲間関係の方達に取材し、口頭で代々伝えられた狩猟や郷土史を細やかに尋ねた。

 実際に現地に行って改めてわかったことや、改良する部分が沢山出てきた。

 創作意欲が一層湧いて満足して東京に戻ったが、ペットホテルでお留守番を課せられた乙女さんは、思い切り拗ねていた。
「あたしをさあ、何だと思ってるわけ?」
と言うような表情で不満気に見つめている。犬は人間と同じような感情表現をする。
 何度も謝って抱っこをし、お土産の十和田牛を焼いてシナノスイートをあげ、一緒に眠ると翌日にはいつもと変わらず愛くるしい表情を見せてくれてホッとした。


 対してチャップリンは、ホテルのお世話をしてくれる方々と仲良くなり、詩乃が戻った時は「あ、帰ってきたん?」ととぼけた表情であった。家に着くと、「土産出しいな、土産」と甘声で催促をし、乙女さんと同じ十和田牛に秋刀魚を献上した。


 翌日から執筆を開始した。
 いい集中状態に入り「movement」十月号の自作の打ち切りの最終回をみても、動じることはなかった。

 
 ネクストワンだ。
 引くな。
 沈黙の最中に潜っても、今は前へ前へと書くのだ。書き続けるのだ!


 しかし一つ、腹が立つことがあった。

 詩乃の連載が終了し、翌月の予告で入った新連載がにっくきトサカの忍々であった。

 トサカの勝利の雄叫びと見下した邪眼のニヤリを想像すると、益々悔しさが滲み出てリベンジを誓いながら自作にかかりきった。
 作家同士というのは、やられやり返しながらお互いが成長するものなんだな。トサカには勝つけど。

 先月は「SODA」の二号目が送られてきた。
 やしろ梓の「紙と文具といっぷく日記」が写真付きで掲載されていた。
 紹介されている茶器や小物、便箋、インク、全てセンスがよく、SNSと変わらず日常を大切に過ごしている様子が伝わってくる。


 先日はやしろとネット通話でお茶タイムを過ごしたときに

「『SODA』見ました!一つ一つ大切にされていて素敵でした」


 感想を言うと、


「いやもう、お恥ずかしくて……」


とたじろいながらも文具のことや美味しいおやつの話題で盛り上がった。

 やしろから、詩乃が連載している「気になる生き物」について話されることはなかった。


 第二回目はモモンガが同僚の男性看護師の制服ポケットを居心地の良い袋にしてしまい、いつも胸ポケットからひょっこり顔を出してみんなが一瞬幻覚を疑った思い出を書いた。

 今月発売の三回目はあまり知られていないオキナインコの可愛さについてと、四回目である飼っていた狼犬の躾に関する原稿はすでに恩田さんへ送ってある。

 十月の公募作の締め切りに向けて、資料と睨めっこをしながら持っている限りのエネルギーを注ぐ。


 暑さの中に息苦しさが薄くなってきた頃、「movement」最新号が送られてきた。

 ガラスの十代から命を懸けてきたであろうトサカの力作は、悔しいが面白かった。
 所々に山田風太郎を彷彿させる箇所はあるものの、明治時代を生かした舶来品を忍法に使ったカラクリが見事で、キャラクターたちがみな印象強く、カルマを背負って生きている。これはシリーズ化するのではないかと思った。

 やしろ先生の「蓄獣病院」も好評連載中だったので、新作を追う。


「え……?」


 詩乃の手が止まった。


 最新号のテーマは巨大化したボールパイソンが担ぎ込まれた話であった。

 ボールパイソンは、ペットとして飼える一m位の比較的大きいサイズの蛇である。


 どの動物にも真摯に対応する主人公は、唯一苦手な動物が「蛇」であることが、今回知らされる。異物を飲み込んでしまい吐けずに腸閉塞間際になっているパイソンを、この世の終わりのような表情で運び込む飼い主。恐怖と使命感の中、主人公医師は看護師とともに手術に踏み切る内容だ。


 あれ……

 あれ……?

 これって……


 「SODA」創刊号のボアと読み比べた。
 目を何度もぱちくりさせる。
 
 やしろが書きだめをしないタイプなら、詩乃が書いたエッセイを読んで、作品のテーマにしたことも時間的にも考えうる。

 いや、ヘビという珍しいペットは作家としては興味をそそる生き物だ。詩乃が発表した以前からやしろは用意していたかもしれない。そうだとしたら、恨まれるのはこちらである。

 この前何も言わなかったということは、複雑な思いもあったかもしれない。詩乃はあらゆる可能性を考えて、触れないことにした。

 偶然のドッキングはよくあるとも聞くし。うん。


 連日の執筆で日めくりカレンダーは瞬く間に破られ、はや十五夜を迎えた。
 お月見団子の代わりに大福でも買おうかな、とよく行く「喜田屋」をのぞいて、吟味した後栗きんとんを買って帰った。


 大口を開けてネットニュースを覗くと、速報が流れた。


 「英『ブック・オブ・ザ・イヤー最優秀賞 日本人三人目受賞 藤岡紅緒』」



「おおお……スゴ……!」

 食い入るようにニュースを見つめる。
 英国が開催するブック・オブ・ザ・イヤーは、一年間に発表された世界の文芸作品の中から選出される最も権威ある賞である。
 今年で八十六回と歴史も長く、過去に日本人作家が二人受賞しているが、女性では藤岡紅緒が初めてとなった。


 年齢が字幕で出たとき、お茶をンゴキュ、と気道スレスレで飲み込んでしまう。


「ぶへっ!えっ四十四……?四歳しか違わんってこと?」


 功績を残した者の年齢をいちいちチェックし始めるのは、三十を過ぎた中年になってからだ。その度に神様の無慈悲と努力もせず怠けてきた自分の平凡な筆力に落ち込む。生まれて、保育園や幼稚園に入り、義務教育を受けている時はみな何者でもないどんぐり同士だったのが、進路を境に発芽して大樹になるのか、その多くがどんぐりのままで終わるのか残酷なまでに分かれる。
 自分が四十四になった時、藤岡紅緒のようになれる確率はないに等しい。


「うわあ、英語ペラペラ……」


 インタビューに流麗な英語で答えている字幕をみながら、しみじみ膝にのったチャップリンのお腹をさすっていると、携帯が鳴った。


 凪琉からだ。


「詩乃ちゃん、今大丈夫?」


「うん、どうしたの?」


 いつもの口調より低めの凪琉の声は不信感が露わになっている。


 詩乃はインタビューされている藤岡紅緒の、昭和の文豪のような強く射る聡明で揺るぎない瞳に惹かれつつも耳を傾けた。

 ふと、彼女の背後で関係者同士であろうか、背を向けてお辞儀をしている黒いスーツ姿の男性が目に止まった。


 既視感は錯覚ではなかった。


 背の高そうな男は少しだけ横目で振り返ってカメラが入っていることに気づき、すぐに視界からいなくなった。


 詩乃の時間が止まった。

 現実が今に重なった。


 電話口で、凪琉が神妙に伝える。


「わかったよ、やしろ梓さん。今月号の『SODA』で顔写真があったからすぐにピンときた。昔同じ出版社のラノベで『桜小路ほのか』っていうペンネームで書いていた人なんさ。人気作家さんだったよ」


「…………うん」


 ほぼ条件反射的に声が出た。

 「movement」には藤岡紅緒は書いていない。
 ではなぜ、紺野さんがあの場所にいるのだろう。

 疑問に感じていた全ての符号が、針の穴に糸を通すような緊張とともに繋がってきた。


「でね……怖い噂があって、自分より立場の弱い作家のいいエピソードを、その、盗むっていうのかな、自分のものにしちゃうんだよね」


 インタビューの画面から切り替わり、アナウンサーが作家の来歴を伝える。
 ちょうどデビュー時に手術が重なり東大中退……

 幼少期から重い喘息を持ち、転院転校を続ける先での疎外感、死の恐怖から受容、社会との孤立感から小説を書き始める……

 五歳から日本の伝統芸術に惹かれ、古文、和歌、能、骨董、画に親しむ。登校できない小学生の頃は悔しくて、独学で中学生までの必須教科を学んだ。同時に外国語を習いクリスティー、シェークスピア、ヴァージニア・ウルフ、テグジュペリ、プルースト、ドフトエフスキー、数多くの物語を耽読する。。。。入院中は図書館から毎日箱いっぱいの借りた本が届いていた。
 二十一歳でデビュー……


 次々と乱立放射される情報に、停止した感覚が追い付かない。

 聴覚で受け取る馴染みある声が静かに囁いた。


「私も一度されたことがあるの。でも、何も言えないんだよね、あちらの方がずっと人気で読者もいるわけだから。作家同士の違和感だし、編集さんが介入するほど大ぴらじゃない。ものすごく巧妙に本人しかわからないところを盗む、というか。。。当然やられた方はあんまりいい気持ちはしないんだよ」


「…………うん…………」



 朧げな視界の中で、アナウンサーは国内外の幾つもの著作の前でコメンテーターの質問に答えている。ワイドショー的な盛り上がりが延々と続いた。


「翌年、二十二歳で結婚されています。お相手は同い年の一般人の方で編集業をされているとのことです。東京大学の同じ文学部だったそうです」


「うわ、早いですね。二十二歳で?」


「ええ。この旦那様に在学中作品を見せたら、とても面白い、いけるんじゃないか、と後押しをしてくれたおかげで新人賞に応募できたそうです。その作品がなんと、大賞に選ばれてデビュー。本人にとって初の作品が四百万部を突破するベストセラーになるんですね」


「旦那様、彗眼ですね。だって、まだ大学生ですよね?」



「はい。旦那様の言葉がなかったら、応募は考えていなかったそうです。旦那様の支えがなかったら、ここまでやれてこなかったと」


 コメンテーターは、賞賛のため息をつきながら大袈裟に語った。


「じゃあ、藤岡作品は、旦那様がいなかったら生まれていなかったということですよね?」





(次回)


(マガジン)


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