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【愛でも喰らえ】#6 「はかなきは 恋することの つたなさの」

 
 桜前線が日本を薄紅色に駆けぬける。
 春の短さを思うと、一日一瞬を味わって過ごしたいと強く想う。


 恩田が新しい企画を持ち込んでくれた。

 新雑誌の発刊である。

「最近新しい感覚の文芸誌が出ているのご存知でしょうか?」


「ほら、五百円で売り出されている、エンタメ要素の強い雑誌のような……」

「あ、知ってます、私も持ってますよ」


 ワンコインで買える文芸誌は、詩乃も興味があって買っていた。

 某大手出版社が赤字覚悟で勝負に出た、安価であらゆる文字媒体を含めたエンタメ要素の強い文芸誌は三十万部を売り上げ、完売のニュースも出た。
 
 ジャンルを超えたオシャレな文芸誌の登場は、出版界に新しい道と希望を与えた。

 
「うちもそれを上回る雑誌を出そう、と有志が集まってワンコインで買える文芸誌の発刊が決まったんです。様々な先生にお声がけさせて頂いて、北川さんにも執筆をお願いしたいのですが……」

「え、い、いいんですか?」

「もちろんです!ただ、稿料は低くなってしまうのですが……大御所も新人さんもごった煮であらゆる世代が楽しめて、子供の頃のキラキラワクワクした気持ちを思い起こさせるものを作ろうって言ってるんです」


「ターゲットは二十〜五十代。それぞれ青春時代にハマった『書く娯楽』を掘り下げて作ってゆこうと思っていまして。作家さんからもアイデアが欲しいので一度皆さんで集まって雑誌のコンテンツを話し合ってはどうか、と計画しています」

 楽しいことが大好きな恩田さんの口調も熱気を帯びている。

 もちろん文芸だけで勝負したい方はNOで構いません、と言われたが

「行きます!」

と詩乃は即答した。


 詩乃には作家仲間が凪琉以外いない。
 SNSも苦手で、自分から発信できずに読み専である。
 新しい出会いを持つことは不安でもあるが、フリーランスは引きこもると運も仕事も逃げてゆくと、この二年で学んだ。

 今日は北千住まで出て銭湯帰りに、牛田駅近くにある立ち食い蕎麦屋、「さいかや」で鶏天丼を頂いた。
 甘いタレで漬け込んだ大ぶりの鶏もも肉の天ぷらが二つも丼にのっている。カリッと揚げた皮なのに、中身はプリプリでこの上なく柔らかくタレの旨みがしみてクセになる味だ。
 茄子の天ぷらもトロトロと口に転がりとけて、ご飯が進む。

 ぷふぅ〜と心も胃袋も大満足して帰宅し、凪琉が商業で描いていたライトノベルを購入しようと検索している時だった。

 ヴーと携帯が唸った。

 「紺野」の宛名をみて、胸の中の桜が舞う。

 今朝、東京の開花宣言を聞いた時、もし時間があれば夜桜をみませんか、とショートメールで訊ねてみたのだ。
 忙しいし無理だろうと思っていたが、

「今夜ならいけそうです。そちらは大丈夫ですか?」

 まさかの返しに詩乃はすぐに返信した。

「大丈夫です。乙女さんも一緒に連れていいですか」


「もちろん。初対面、楽しみにしています」


 詩乃は急いで五反野駅前のスーパーまで買い出しに出た。

 今夜は自分が晩御飯を用意したかった。
 玉子焼きと筑前煮、牛肉のしぐれ煮……そしておにぎり、「さいかや」でテイクアウトした鶏天ぷらも。

 暮れゆく駅前の雑踏の中を早足で急ぐ。紺色のコートの上を、ソメイヨシノがちらちらと舞う。



 さて乙女さんといえば、ふかふかの座布団に優雅に横たわっていた。


 一人でいたいときもあるようでしつこくちょっかいを出すと、スッと何処かへ行ってしまう。その気高さはまるで女優さんのようだ。

 しかし抱っこをすると大きく尻尾を振ってがっちりしがみつき、顔をいっぱいに舐めてくるので、この子にとってスキンシップが最も好む遊びらしい。


 紺野と相対しても同様であった。

 夜、初めて対面した時に、

「キュウ……ン……」

とせがむような鳴き声で、尻尾をフリフリしつつ、潤んだ瞳を浮かべて見つめ続ける。目と口の幅が狭いので、一層憂い味が深い。


「うわ、可愛いな。女の子?」


 最初手を出して匂いを嗅がせていた紺野にも飛びつこうとはしない。

 そう、いい女は自分からはゆかぬ。向こうから来るを待つのである。
 大きな瞳で一心に見つめ続けながら。。。。


「ははは、根っからの女の子なんだなあ」


 降参した紺野は乙女さんを抱き上げた。
 すると、「ダーリン、嬉しい!」のお顔にベロ攻撃が始まった。


「うわっ!はははははッ」


 二人が初の逢瀬を楽しんでいる様子をみて、紺野もまた、「ワイが面倒みたるで!」の方に堕ちてしまったな……と詩乃は頷いた。

 チャップリンは紺野をみるとソワソワと彼の周りを旋回している。
 「美味しいものを持ってくる人やねん」と察知しているのだ。そんな彼にもメカジキを買ってきていた。


 二人一匹で五反野駅近くの休憩所まで歩く。
 一番見頃の夜かもしれない。花紺青の夜空の中、まろやかな梔子色のライトの灯にぽっと照らされた花衣の先が日本画のようにふんわりと滲み出ている。

 桜は「夢見草」という異名もあり、幻想的に積雲のように浮かび上がる薄紅の花弁をみると、この世の夢を見ているかのような、何処かに誘われているかのような……今と過去、未来、いや、来世までとも繋がっているかのような錯覚をしてしまう。


 ちらちらと舞い落ちる花弁の中、詩乃は呆れて言った。

「いい加減おろして下さい。乙女さんのお散歩になってません」

「いやあ、おろすと鳴いて動かないもの。ふふふ」


 ピッタリと紺野にしがみつく乙女さんは、彼の肩越しに詩乃を蘭々と瞳を見開いて見つめている。まるでざまあ♫と言われているようだ。

 シャツに黒のカーディガンを羽織った紺野の背中をみながらコロコロした方がいいな、と思っているとちょうど休憩にいい木のベンチが見つかった。


 お疲れ様、と缶ビールでささやかに乾杯する。

 紺野は「さいかや」の鶏天にかぶりついた。


「あ、美味しいね、これ」

「千住にあるお蕎麦屋さんが作ってらっしゃるんです。タレのちょうどいい甘さとホロホロに柔らかいお肉にわたしもクセになっちゃって。お風呂屋さんに行くといつも寄っちゃう」


 詩乃は籠に詰めて持ってきたお弁当を広げた。

 筑前煮は大急ぎで拵えたのであまり味は滲みていないかもしれない。出汁玉子焼きも巻くときに失敗し形が崩れたオムライスになっている。オリーブオイルとパセリ、玉ねぎと牛すじ肉の和えものは美味しく出来たと思う。


「すみません。お料理、あまりうまくなくて……」


 料理ができる人に自分の作ったものを食べてもらうのは緊張する。紺野は不格好に切った蓮根を口に入れ、シャリっと味わった。

「美味しい……」

「ほ、本当ですかねえ……」

「久しぶりです。手作りのおかず。うん、牛すじも旨い」


 勢いよく食べてゆく紺野をみてホッとしつつも、「共働きなのかな」といらぬ疑問がわいた。詩乃の隣でゆったりと座り、すぐ真上に広がる桜をぽんやり見ている乙女さんの小さな額に、花弁がくっついている。

 詩乃はこの一ヶ月半気にかかっていたことを思い切って尋ねることにした。


 仕事に関することを編集長という立場である紺野に尋ねるのはフェアではないと避けていたが、質問は周りを出し抜くものでもなく、多くの作家が平常に尋ねても問題ないことだったので、勇気を出す。


「あの、連載のことについてなんですが、お尋ねしてもいいでしょうか?」


「うん?」


「新連載の会議で新人作家の中から選んでくださったとのことですが、紺野さんは、どの作家がいいと挙手したのでしょうか」


 紺野は箸を止めずに答えた。


「うん。一度目はやしろ梓先生。これは売れる、と思った。筆跡も丁寧で読みやすい。本をあまり読まない人にもアピールできる」


 詩乃は感情を表に出さないよう答えた。


「はい。恩田さんから満場一致の推薦だったと聞いています。動物病院を舞台にしているとのことで、私もやしろ先生の作品を拝読してみたいと思っています」


 一呼吸して尋ねる。


「では、ニ回目は…………」


「小藪宗介君の忍者のお話だね。まず設定が面白いし、目の付け所がいいと思った。明治に潜む忍者、うまく料理すれば歴史好きのコアな読者が買ってくれるかもしれない。ただ、小藪君の作品を押せるのは、やしろ先生の万人に押せる作品あってのものだな。単体で出すのはまだ危うい」


 どのような返答でも冷静に受け止めようと思った。

 けれど、予想以上に胸を抉られた。
 自分の新作を認められていなかった。
 紺野さんにとって、私の作品は一体どのくらいの位置なのか。


 どんどん硬直する詩乃の空気を察知した乙女さんが、心配そうにこちらを伺っている。動物は人間以上に、人の感情の動きに敏感だ。


 …………泣くな。

 泣くな!


 心のブレーキとは反して、雫が一粒、また一粒と落ちてゆく。
 春の夜の冷気が背筋を下から撫でゾクっと寒気がした。

 紺野は詩乃を見ずにいびつな玉子焼きを口に運び言った。


「今回はこういう結果、というだけです。まだまだこれから。」


「…………はい…………」


「今は量産して学んでゆく時期です。書いて、書いて、書き続けて。実力と時代の空気が噛み合ったときに傑作が生まれる。」


「……はい……すみません、変なことを聞いて。これからはこういう質問はよしますね」


「何故?別に利用してくれてもいいですよ?」


 紺野は詩乃を見た。

 空気が止まった。
 詩乃は目を顰めて首を振る。紺野が一瞬別人に見えた。


「そんな、そんなこと出来ません!」


「わたしは編集長という立場で貴方に近づいて、こうなったのです。貴方に利用されてもいいと思って近づいた。作家と編集者が恋人になるのはよくあることだ。それでいい作品が作れるなら……」


「止めて下さい!」


 静寂がうった。


「わたしは……紺野さんが編集者だから好きになったわけではありません。貴方がパン屋さんやガス屋さんやクリーニング屋さんだって、たとえ小説家であったって好きになってた」


「だから、執筆とわたしの気持ちは関係ありません。小説に関して今後も公平にご判断下さるようお願いします。贔屓目でみられるのは、作家としてのプライドが許さないんです。売れなかったら切って下さい……」


 紺野は、ぐしゃぐしゃに涙に暮れた詩乃を見つめ続けた。
 やめて。そんなに見つめられると何を言っていいのかわからなくなる。
 どんどんやましい言葉が出てきそうになる。


「……ただ、自分の実力が……実力がないのが、悔しくてたまらないんですッ」


 詩乃は顔を覆った。
 ああ。まるで子供だ。運動会で一等がとれずに泣きじゃくっている子供。作家になってからというもの、どんどん自分が感情的に幼くなっている気がする。


「…………悔しい…………」


 闇にかき消されるように出た言葉だった。

 紺野は詩乃の肩に大きな手をおき、抱き寄せた。慰めであるのか、愛人としてであるのかわからなかったが、安心して泣ける胸だった。

 桜がひとひら、また闇夜に消えた。




(次回)


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