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あの日の波紋

この記事を書こうと思い立ってから20日以上が過ぎた…。



いや、1年前から、この時期が来たら、書こうと思っていた。


でも…


こんなこと、書いてもいいのだろうか…。

こんなこと、読んでもらえるのだろうか…。

こんなこと書いて、引かれないだろうか…。


ひたすら悩みに悩んで、やっと書く決心がついた。


ぼくは、一度娘を死なせている…。



この事実に向き合おうと思う。





あれはちょうど1年ほど前。


当時は徳之島に住んでいた。


移住して2ヶ月ほど経った、7月のある日、海へ。



それまで何度も海にいったことはあった。



娘も少しずつ泳げるようになってきていた。



けど、条件が悪かった。


その日は、風が強く、水位も高かった。



もうお察しでしょう。



娘は海に溺れてしまった。



そして、心肺停止状態に。



ぼくは、海で娘を死なせた。





少しずつ、詳細に思い出してみる。



海へは、家族4人で行っていた。


ぼくと、妻と、娘当時5歳と1歳。


とあるビーチで遊んでいた。


普段は、遠浅で、少し深いところもあるが、少し沖に出ても、岩礁に囲まれている。


こんなイメージ


泳げば、岩礁へはすぐにいける程度の距離。


ただ、その日は、岩礁が見えなくなるくらいには、潮が満ちていた。


そして風も少し強かった。


そこそこ悪条件のなか、特に何事もなく2時間くらい海で遊んでいたと思う。


だいぶ遊んだので、ぼくは「少し休もう」と言った。


明らかに上の子が疲れていたからだ。


「イヤだ!もっと遊ぶ!」という言葉が返ってきた。


少し泳げるようになった。


大小、色とりどりの魚が見える。


透明度が高いビーチ。


風が強くても底が全然見えるくらいだ。


それはそれは、楽しかっただろう。


休みたくないのもわかる。


仕方がないから、もう少し遊ぶことにした。





「パパあそこ!」という声が聞こえた。


ぼくは上の子と一緒に、魚を捕まえようとしていた。


素手なので、捕まえられるわけがない。


でも、上の子は、ぼくがかなり泳げることを知っている。


だから、何度も何度も言われた。


「パパあそこ」「パパあれ捕まえて」「パパ」「パパ」…


ぼくも声を掛けられるたびに、潜る。


何度も何度も潜った。


その時も、娘が魚を見つけた。


ぼくが潜った。


ぼくは魚を素手で触った。


お、こいつは捕まえられるかもしれない。


そんなはずないのに。


ぼくは、1~2分格闘した。


でも、これは、娘が死ぬのに十分な時間だった。





顔を上げた。


娘を探した。


娘は海に浮いていた。


上を向いて。


冗談かと思った。


シュノーケルは?


そう思いながら、海の中、駆け寄る。


顔を見る。


紫色。


抱える。


浜までダッシュ。


妻も気づく。


「助けてください!」「助けてください!」


妻が叫んだ。


ぼくはひたすら浜までダッシュ。


左足に古傷がある。


本当なら、ダッシュすれば確実に痛む。


でも、そんなもの何も感じなかった。


何も考えず、とにかく浜へ。


間違いなく、人生で一番のダッシュだった。


浜に上がる。


左手の方から黒い影がダッシュしてくる。


たぶん2人だったように思う。


ぼくたちと同じく、遊びにきていた人たち。


ひとりが娘を抱きかかえる。


横にする。


顔も、腕も、どんどん色が変わっていく。


紫色に。


完全に死んだと思った。


終わったと思った。


声すら出せなかった。




そんな中、ひとりが処置を始めた。


AED取りに行かせる。


胸を押す、人工呼吸。


ゴフッ。


娘が水を吐いた。


妻は、ひたすら声をかけていた。


ぼくも、声をかけようとした。


でも、声にならない。


かすれた声しか出なかったように思う。


AEDが来た。


2回電気ショックをかけただろうか。


また水を吐く、顔色が少し戻った。


娘が何か話した。


「~~~~」


聞き取れない。


娘は少し動くようになった。


すぐに救急車が来た。


運び込まれる。


「~~~~~~」


またなんか言ったようだった。


どこか他人事のように頭は現実をみていた。


「あ、連絡用にスマホを渡さないと。」


妻にスマホを渡す。


妻が救急車に一緒に乗る。


走り去っていく。


まだ現実とは思えなかった。


ぼくは、下の子を抱えていた。


まったく重さは感じなかったように思う。


これからどうすればいいのか、わからなかった。


ただ、どこか冷静に、病院はどこなのかを考えた。


「どこの病院に行けばいいんですか?」


助けてくれた人に尋ねる。


「~~病院に行って。焦っちゃだめだよ!事故るから。」


「荷物を集めないと」と思った。


現実逃避だったのだろう。


近くの施設の人が声をかけてくれた。


「荷物集めとくから、とりあえず行って!」


「ありがとうございます。」と伝えた。


とりあえず、病院に向かおうと車へ。


これは現実なんだろうか。


なんて考えながら運転した。


断片的な記憶しかない。


どこを眺めても、青い空と青い海が見えた。


普段ならワクワクしただろう。


でも、この時は、ただ目に入ってきてるだけだった。




病院に着いた。


止めるとこ、どこだ?


変に冷静な自分と、現実なのか?と思っている自分がいた。


駐車場に止めた。


入る。


その辺の人に話かける。


あそこだよと伝えられた。


緊急処置をしたのだろう。


娘は、たくさん管がついた状態でベッドに横たわっていた。


入る。


妻がいた。


処置をしていた病院の人が娘に声をかけてくれた。


娘が少し体を起こそうとする。


ぼくに気づいたようだ。


水着は処置のために切られていた。


何を話したか覚えていない。


とりあえず言葉を交わした。


生きている。


その時点では、それで十分だった。


今後の対応ができる施設がないので、娘はドクターヘリで奄美へ飛んでいった。


妻はその日中に奄美へ。


ぼくは、下の子と自宅へ戻った。






みんながぼくことを心配した。


妻からは「私たちの子だから絶対に大丈夫」と何度も言われた。


義母からも連絡をもらった。


どのタイミングかわからない。


とにかく自宅で下の子が寝静まったタイミングで。


母から電話をもらったタイミングだっただろうか。


糸が切れた。


泣いた。


涙を流すのなんて、たぶん20年以上ぶり。


それまでもウルっとくることはあった。


普段から、感情は出さないように抑えている。


それでも、それを抑えるのは無理だった。


声にならない声を出して泣いた。


これまでにないくらいに。





そんな中でも妻とのやりとりは続いていた。


病院に着いたとのこと。


足はないけど、とりあえず歩いて入院に必要なものを買い集めていること。


泣きながら歩いたそう。


すまない…。


でも、ぼくを気遣ってくれた。


ぼくのせいじゃないと言ってくれた。


ぼくは、自分のせいでしかないと思った。


実際そうだと思うし、弁解するつもりもない。


ただ、無事であってほしいと思っただけ。






とにかく、時間の流れが遅かった。


眠れなかった。


ベッドに転がって、天井を眺めていたら朝になった。


ただただ、妻からの連絡を待っていただけ。


下の子を生かしているだけの屍のようだった。


自分のことには何も興味がない。


何かを食べたか、そもそも食べたのかどうかも記憶にない。


ちょくちょく妻から連絡があった。


最悪の事態にはならなさそうとのこと。


ただ、後遺症は残るだろうと言われた。






数日たっただろうか、ぼくは下の子を連れて飛行機で奄美に飛んだ。


到着は夜。


病院には入れず、ホテルで1泊。


この日は、下の子がなかなか寝てくれなかった。


ぼくの処理できない感情を察したのだろうか。


自分でも、自分が変だと思ってはいた。


引いて見てる自分と、言葉にできない感情を抱える自分。


下の子は泣きじゃくった。


泣き疲れて寝るまで。





次の日。


やっと病院で面会。


腕は、点滴の刺し傷で痛々しい。


娘はリハビリをしている。


意識もある。


ただ、麻酔が抜けきらず、ぼーっとしてた。


生きててよかった。


でも、感情が処理できない。


顔を見れたのがうれしいのは間違いない。


覚えてるんだろうか?


心の傷は?


後遺症は?


心配事が多かった。


話を聞く限り、娘は、溺れたことをはっきりとは覚えていないようだった。


妻から聞いたことを、覚えているかのようにぼくに伝えてきた。


「パパのせいで溺れた。パパがお魚探してたから溺れた。」


なんと言われようが、その通り。


娘と喋れることに感謝した。


そんなやりとりをしながらも、病院生活は続いた。


理学療法士さんが娘のリハビリ中に、娘の体の動きを、じーっとみていた。


そう妻から聞いたことが妙にリアルだった。


娘は徐々に食欲も出てきた。


ただ、病院食は合わないようだった。


看護師さんに相談して、買って食べさせることも許可をもらった。


内緒でお菓子も。


そこからさらに数日かけて、脳も含め、検査をした。


娘は目に見えて回復していた。


溺れてから1週間くらい経ってからかな?


先生の診察があった。


検査の結果を伝えられる時だ…。




結果は…






全く異常なし。



え?



現実を受け止める覚悟していただけに、



ちょっと何言っているかわからなかった。







裏話がある。


この件は、本当に、本当に、運が良かっただけだ。




助けてくれた人は、消防署の人だった。


それも救急救命士さんだ。


「たぶん、俺じゃなかったら死んでた」と言っていた。


本当にそうなのだろう。


生きられたのは、どれくらいの可能性だったのだろう?と想像した。


救急救命士さんが、たまたま非番で、たまたま海に行こうと思って、たまたまぼくたちと同じビーチで、たまたま時間帯も合って、たまたま声が聞こえるくらい近くにいた。


だから、たまたま、すぐに処置できた。


考えても、考えても、どのくらいかなんて、わからない。


これを奇跡と呼ぶんだろう。


命を拾ったと思った。






そして、娘が退院してから、ずっと悩んでいた。


毎年、夏場は毎日のように、何人も、何人も、海で死んでいる。


みんな正直、舐めている。


ぼくもその1人だった。


自分が泳げるから、そんなことが起きるなんて全く想像できなかった。


でも、リアルは違った。


1度で終わりなんだ。




伝えるしかないと思った。


ひとりでも、心に残ってくれたら、ひとりでもいいから、届いてほしい。


そんな想いで、書いては消して、書いては消してを繰り返した。


自分でも恥ずかしくなるくらい拙い文章。


世に出した。




今年も毎日、死んでいる。


そんなの見たくなくて、ニュースを避けていても、関係ない。


勝手に、目に飛び込んでくる。


1度で終わりなんだ。


奇跡で助かったとはいえ、


紫色の顔、海に浮いている姿、何度も夢に見た。


半年以上経つと、あまり思い出さなくなったけど、


本当に1度で終わりなんだ。






記事を書き終えようとしている今も、正直いって、こんな記事書いてよかったのかと悩んでいる。


公開してもいいのか悩んでいる。


この記事を書きながらも、手が震えることもあった。


ぼくには、子どもを亡くした人の気持ちは、絶対にわからない。


ここには大きな隔たりがある。


そんな人たちが、この記事を目にすることがあったとして、どう思うだろうか。


お前、亡くしてないのに、わかったかのように書くな。


ぼくだったら、そう思うかもしれない。


結局、お前が目を離したせいやんか。


その通りでしかない。


他にも、なんて思われるか想像した。


…。


でも、ひとりにでも伝わってくれたらそれでいい。


そう思うことにした。


波紋みたいに、小さくても、何かが、ゆれてくれたらそれでいい。


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ひーさ|書くことで人生再生中 缶コーヒーをおごるくらいの気軽さでどうぞ。いただいたチップは、もっとお返しできるよう、懐で温めます。