夏こそ食べたい!徳川家康も愛した納豆の知られざる物語
大河ドラマ『豊臣兄弟』、見ていますか?
毎週楽しみにしている方も多いのではないでしょうか😊
見ながら、ふと徳川家康のことを思い出しました。
食事や健康管理に気を配っていたことで知られる家康。
調べてみると、納豆のお話がとても印象的だったんです。
「え?家康と納豆?」
そう思った方もいるかもしれません。
実は、徳川家康が好んで食べていた納豆は、私たちが普段スーパーで買っている糸を引く納豆とは、少し違うものだったと伝えられています。
その名も浜納豆(塩辛納豆)。
正直、私も知りませんでした。
名前は同じ納豆でも、
作り方も味も驚くほど違うんです!
当時の食を知ると歴史がより面白く感じられるかもしれません。
今回は、豊臣家のライバルでもある徳川家康と納豆のお話です🍀
浜納豆(塩辛納豆)とは?
浜納豆(塩辛納豆)は、奈良時代頃までに中国から伝わったとされる、糸引き納豆よりも歴史の古い発酵食品です。
見た目は黒っぽく、糸はまったく引きません。
麹菌を使い、塩とともに数か月から一年近くじっくり熟成させます。
どちらかというと、味噌や醤油、あるいは中華料理で使われる「豆豉(トウチ)」に近い存在なんですね。
※豆豉(トウチ)とは、黒豆(または大豆)に塩や麹などを加えて発酵・乾燥させた中国の伝統的な調味料です。
これに対して、私たちが普段食べる糸引き納豆は、納豆菌で発酵させ、数日で完成します。
そんな古くから重宝されてきた浜納豆の虜になった徳川家康は、「浜名の納豆はまだか」と催促したと言い伝えられています。
冷蔵庫のなかった戦国時代において、
長期間保存できる発酵食品は、とても貴重な兵糧でした。
浜納豆も、そのひとつだったと考えられています。
もちろん、「浜納豆を食べたから家康は長生きした」と言い切ることはできません。
ただ、保存性が高く、
たんぱく質や発酵食品としての魅力を持つ食材を上手に取り入れていたことは、とても興味深いところです。
管理栄養士の視点で見ても、
その時代にあるものを知恵で活かすという考え方は、今の食生活にも通じるものがあります。
それでは、私たちがよく知るあの糸引き納豆は、いつ頃から食べられていたのでしょうか?
偶然から生まれた?糸引き納豆の歴史
実は、最初から「納豆を作ろう」と考えて生まれた食べ物ではなかったと言われています。
有名な説のひとつが、
源義家(みなもとのよしいえ)にまつわる伝説です。
平安時代、奥州へ向かう途中、馬の餌として用意していた煮豆を、稲わらの俵に入れて運んでいたところ、馬の体温で温められた煮豆が発酵し、糸を引くようになったそうです。
最初は驚きながらも食べてみると、
意外なおいしさだったとか。
偶然の発見が、糸引き納豆の始まりだったと言われているんですね。
もちろん、これは伝説の一つです。
ほかにも、弥生時代の住居で、煮豆に稲わらの納豆菌が自然に付着して発酵したという説もあり、はっきりしたことは分かっていません。
それでも共通しているのは、稲わらにすむ納豆菌との偶然の出会いが、糸引き納豆誕生のきっかけになったと考えられていることです。
歴史をさかのぼると、こうした糸引き納豆の陰で、浜納豆のような塩辛納豆は、古い納豆の姿のひとつだったとも考えられているんです。
スーパーで手軽に買える糸引き納豆も、長い歴史のバトンを受け継いできた存在。
昔の人は微生物の存在を知らなくても、知恵を暮らしに取り入れてきたのだと思うと、とても興味深いですね。
江戸の人々に愛された理由
糸引き納豆が広く親しまれるようになったのは、江戸時代のことでした。
もともとは東北をはじめとする地方の農村で昔から作られていましたが、江戸という大都市から一気に庶民の間へ広がっていったといわれています。
江戸の町を支えた納豆ですが、徳川家康が糸引き納豆の普及に直接関わったというわけではないようです。
その普及は、家康の功績ではなく、人々の暮らしや「納豆売り」の定着によるものです。
親しまれた理由は、とてもシンプル。
「安い・早い・腹持ちがいい」
という三拍子がそろっていたからです!
毎朝、「なっと〜、なっと〜」という声を響かせながら納豆売りが町を歩き、長屋までできたての納豆を届けていました。
忙しい朝でも、買ってすぐ食べられる。
今でいうテイクアウトやデリバリーのような存在だったのかもしれませんね。
江戸時代初期から中期頃までは、ご飯にそのままかけるよりも、細かく刻んで味噌汁に入れた「納豆汁」が人気だったそうです。
寒い朝にはもちろん、季節を問わず親しまれた納豆汁。
そんな江戸の朝を想像すると、
なんだかほっとしますね✨
そして、江戸時代後期になると、醤油をかけてご飯にのせる現在のスタイルが一般的になりました。
ちなみに、親しみ深い「納豆」という名前の由来も面白いんです。
もともとは、お寺の納戸(なんど)で作られていた豆から、納豆と呼ばれるようになったという説があります。
あの「臭い」は受け入れられた?
江戸の町では、臭いとして嫌われるというより、親しまれていたそうです。
当時は、天然の稲わらに包んで発酵させていました。
わら包みの納豆は通気性が良く、余計な水分やアンモニア臭がこもらないため、現代のパック納豆とは違い、わらの香りも一緒に楽しむものだったと言われています。
そのため、現代ほど臭いは気にならなかったのですね。
また、味噌汁(納豆汁)にしたから臭いが軽減されたということもあるようです。
味噌の強い香りと混ざり合うため、独特の臭みはむしろコクや旨味として好意的に受け入れられました。
例外として、西日本では拒絶されました。
京都や大阪などの関西地方では
「臭くて泥のようだ」と激しく敬遠されたそうです😅
関西はもともと「寺納豆(糸を引かない、お寺で作る塩辛い納豆)」の文化だったため、未知のねばねばした糸引き納豆の臭いに強い抵抗感を示したのです。
「東の納豆好き、西の納豆嫌い」の構図は、
江戸時代からすでに始まっていました。
ここは興味深いので、
また、別の記事で深掘りしたいと思います。
まとめ
夏になると、
「食欲がないな」
「さっぱりしたものばかり食べているな」
という日もあります。
そんなとき、納豆はたんぱく質やビタミンを手軽に取り入れやすい食材のひとつです。
値段も手頃で、家計にも優しいですね。
もちろん、体調や食事全体のバランスは大切ですが、ご飯やそうめんに添えたり、冷ややっこに合わせたりと、無理なく取り入れやすいのも魅力だと思います。
歴史を振り返ると、食は単なる栄養補給ではなく、人の暮らしや文化を支えてきた存在だったことが見えてきます。
大河ドラマをきっかけに、食卓の歴史をのぞいてみる。
こういう楽しみ方も、意外と面白いかもしれませんね♪
今後も、歴史や身近な出来事をきっかけに、
「食って面白い」と思える物語をお届けしていきたいと思います☺️
