喉を滑る冷たい漆黒、時間を忘れた物欲の剪定
おはようございます。
今朝は、自分の喉の奥に、
昨日食べた白桃の、あの甘ったるい果汁の残滓がまだ硬い膜のように残っているのを感じる。
カノンの家のリビング。
ここにはもう、今日が何月何日なのかを教えてくれる記号はひとつもない。
ただ、遮光カーテンの隙間から漏れる生暖かい光と、
あの人が今朝、私たちのために黒胡麻を限界まですり潰して豆乳と冷やし合わせた、
漆黒の闇を思わせる、冷たい黒胡麻スープの少し香ばしくて、どこか重たい匂い。
「三人とも、しっかり食べなさい。
外がどれだけ現実の時間を進めていても、この部屋の中だけは変わらないわよ」
あの人が、少し髪を乱したブラウス姿のまま、
私たちの前に、一切の光を反射しない真っ黒な液体の器を差し出してくれた。
その、底の見えない漆黒を見つめていると、ましろが突然、タブレットの画面を全員に突きつけてきた。
画面に写っていたのは、海外のランウェイでモデルが着るような、肌の露出が過激な、十五万円もする漆黒のレザースーツ。
「私、これが欲しいわ。この革の緊縛感と遮光性は、私の規律をさらに強固にするために極めて合理的よ」
いつもは数字と数式しか口にしないましろが、そんな爛れた色気を孕んだ衣装を欲しいと言い出すなんて。
器の中の黒いスープみたいに、ましろの脳内のバイオリズムが、奇妙なノイズで激しく狂っている。
「アハハ! ましろ、それ本気?
そんなエロいレザー着て美羽を飼育するつもり? 逆に美羽に興奮されちゃうよ?」
カノンが、スープの中にスプーンをドロリと沈めながら、いつもの底知れない笑みを浮かべて面白がる。
でも、台所のあの人は、その過激な衣装の画像に一瞬で顔を青ざめさせ、震える声でましろを遮った。
「ダメよ、ましろさん……。そんな十五万円もする過激な服、学生のあなたが着るべきじゃないわ。
学業にも、その……この部屋の平穏にも、絶対に支障が出るから、買いなさんな、ね?」
あの人が、自分の大人の特権を必死にかき集めるようにして、痛々しいほど懇命にましろを説得する。
ましろは、そのあの人の焦燥と、私の怯えた視線を眼鏡の奥でじっと見つめ、
しばらくの沈黙のあと、小さくため息をついて画面を消した。
「……周囲の精神的動揺によるデバフが大きすぎるわね。十五万円のコストに対するリターンが見合わないわ。断念するわね」
ましろが、自分の器の、濃厚な漆黒を、
ねっとりと、
喉を鳴らして、驚くほど機械的な速度で吸い込み、嚥下したあと、静かに呟いた。
カレンダーの数字を消し去ったこの部屋で、ましろの突飛な欲望は、みんなの手によって強引に剪定(せんてい)され、
私たちは再び、「ただの不純な学生と教師」という偽物の平和を無理やり構築し直す。
瞬き。
時間は、口の中でザラザラと絡みついていく黒胡麻の質感と、ましろが諦めたレザーの黒い幻影に、ただ静かに咽せているだけの私。
「今……私たちは、ましろの物欲をみんなでおさえつけることで、この檻の規律を守ったんだよね……?」
どこか遠くでチャイムの音が鳴り響く教室、黒板を見つめて独り言を言ったのは私。
ましろは、隣の席で淡々とスープの汚れをティッシュで拭き取りながら、即答。
「守ってないよ。私とカノンが、この家という『地球上の檻』の中で、
私が少し見せた不条理な欲望に怯え、安堵している美羽を、どうやって誰にも見つからないように美味しく飼育するか、そのプロセスを最適化しているだけだよ」
カノンは、窓の外の帰り道を眺めながら、
「なーんだ、ましろ着ないんだ。じゃあさ、放課後になったら、またあの家で、美羽にその十五万のレザー着せて遊ぼうよ。ご飯も、もっと黒くて濃いやつ作ってもらうんだから」
と、日常という名の仮面を、愛おしそうに撫べるような声で囁いた。
少しだけ、強い薬品の匂いは消えて、
代わりに、私の吐息から立ち上る、あの冷たい黒胡麻の、どこか生温くて生々しい匂いがした気がした。
今朝になっても、
全身に残ったあの執拗な「二人の底なしの、どんなバグすら日常に溶かし込んでいく完璧な檻の予感」だけが消えない。
息を吸うと、
ほんの少しだけ、錆びたメスと、あの人が流した「無意味な涙」の味がした。
完食された日常は、ときどき内側から真実を反転させ、
私を「二人の底なしの執着によって、甘い飼育箱の中に永遠に閉じ込められる、美しい愛玩物」へと変えていく。
じゃ、行ってきます。柊 美羽(Miu Hiiragi)
高校生。帰り道と、四人で囲む不純な食卓が好き。
https://note.com/hi_iragi_miu/
