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オランダの風土と生命力経営の源流を巡る欧州視察記──シンプルさは「つくる」ものではなく「立ち現れる」もの

こんにちは、RELATIONSの長谷川博章です。

11月。今年もCorporate RebelsのGlobal Meetupに向けてヨーロッパへ飛びました。
旅の始まりは、パリ・シャルル・ド・ゴール空港のカフェ。偶然同じ便だった、今回のCorporate Rebelの日本コミュニティをリードする令三社の山田裕嗣さんとワインを飲みながら、自然と「これからの10年」について話していました。

自分たちはこれから10年どんな時間を歩んでいきたいのか。
40代の自分たちの世代として世界に貢献できることは何か。
日本という場では、これから何が芽吹こうとしているのか。

その対話が、今回の旅での良い問いをもたらしてくれました。「正解」を探す旅ではなく、自分たちの実践から生まれる問いと共に探究する旅へ
そんな感覚で、私の3度目の欧州視察が始まりました。


熱気のバルセロナ、深層のアムステルダム

前半はバルセロナ。
100年以上続くビール工房を改装した「Fabrica Moritz」には、世界26ヶ国から220名の「新しい働き方の実践者」が集まっていました。昨年の倍以上の規模です。自律分散型組織への関心が、一部の物好きな実験ではなく、世界的なムーブメントへと変わりつつある――そんな感触を与える熱気が会場に満ちていました。

後半はアムステルダムへ。
ここでは、世界的に知られる在宅ケア組織「Buurtzorg(ビュートゾルフ)」の再訪に加え、ホラクラシーで急成長しオムロンヘルスケアに買収された「Luscii(ルーシー)」、そして「School of Moral Ambition」といった先端事例を訪ねました。

さらに今回は、企業だけでなく、アムステルダム国立美術館や海洋博物館にも足を運びました。オランダという土地がどのような歴史を歩み、どんな精神性を育んできたのか。その「土壌」に触れることこそ、組織のあり方を理解する鍵になる――そんな直感があったからです。

複雑さの向こうにある「シンプルさ」

この旅を通じて、私たちが掲げる『生命力経営』の源流をあらためて確かめるような、深い対話と発見がありました。そこで出会ったのは、真似すべき「最新のフレームワーク」ではありません。

むしろ、驚くほど「シンプル」な本質と、それを可能にしているオランダの「土壌」の存在でした。
組織を機械のように設計するのではなく、生命が立ち現れる条件を整えていくこと。

この旅で胸に残った、現地だからこそ感じた気づきについて、少し整理しておきたいと思います。

ヨス・デ・ブロック × フレデリック・ラルー──「つくる」のではなく「立ち現れる」

今回のGlobal Meetupのハイライトはこの二人の対話でした。
『ティール組織』の著者フレデリック・ラルーと、Buurtzorgの創設者ヨス・デ・ブロック。

一人は、新しい組織のあり方を世に示した「思想家」。
もう一人は、それを圧倒的な規模と純度で体現してきた「実践者」。

対話中のフレデリック・ラルー氏(左)とヨス・デ・ブロック氏(右)

二人がステージで語り合ったのは、高尚な理想論ではありませんでした。
それは、彼らが長い時間をかけて現場に身を置き、実際に目で見て、身体感覚として積み重ねてきた経験の総体を、静かに言葉にして差し出してくれるような語りでした。

私たちが組織変革において自然と陥りがちな「難しさ」や「複雑さ」を、
人間そのものを根本から信頼するというスタンスに立ち返りながら、
そっと照らし直してくれるような対話だったと感じています。

1. 組織を縛る「見えない前提(Underlying Assumptions)」

「ティール組織になりたい、セルフマネジメントを導入したい。そう相談されると、いつも違和感を覚えるんです」――ラルーはそう切り出しました。
彼が示したのは、手法(How)の前に立ちはだかる、私たちの無意識の前提です。

「従来の組織には
・人は怠ける
・人は間違うから監視すべき
・労働者は盗む可能性がある

といった人間への不信の前提がある。書き出してみると、本当に醜い前提ばかりだ」

そして続けます。

「自律型組織に必要なのは、この前提を書き換えることだ。
・人は信頼できる
・現場に専門性がある
・判断はできるだけ現場に近い場所で行うべきだ

という前提へ」

Buurtzorgが15,000人規模でマネージャーゼロを実現している理由は、高度なシステムだけではありません。
ヨス自身が「人は信頼に値する」という前提を、揺るぎなく信じているからだと何度も事例を変えながら語り続けてくれました。

「恐れについて語れば語るほど、恐れは増える。
だから私は『あなたはどうありたい?』『何が大切?』と問い続けた。
関係性の質が変われば、恐れは自然に溶ける」

私たちが「生命力」と呼ぶものの源泉は、この恐れから信頼への前提の転換にある。その事実を、あらためて直に問うてくれているようなインパクトを受けました。

2. 「構造」は必要。ただし、自然界のように

「自律=構造がない」というのは最大の誤解だ。
ラルーはそう強調します。

「自律型組織には、むしろシンプルで明確な構造が必要だ。
私は『フラット』という言葉が好きではない。
『全員が同じ』という誤解を生むからだ」

講演中のフレデリック・ラルー氏

そして、自然を引き合いにこう続けます。

「真の構造とは、森の生態系のようなものだ。大木もあればキノコもある。
どちらが偉いわけでもない。ただ役割が違うだけ
自然界のような縦と横の秩序が必要なんだ」

ヨスも呼応し、Buurtzorgの実践を紹介します。
かつて15種類もあった複雑な看護報酬制度を「コミュニティ看護」という1分類に統合。
患者にとって何が求められているのか。その1点の本質を突き詰めて、ルールや制度を極限までシンプルにしていくことの大切さを説いてくれました。結果、現場の看護師は患者へのサービスを自律的に判断でき、コストは50%削減されました。

生命力を引き出すのは、複雑な制度やマトリクス組織ではありません。
人が本来の役割を果たせるようにするための、シンプルで自然な構造なのです。

3. 「楽しさ(Fun)」は戦略である

そして最後に、ヨスが最も大切にしているもの。それは「楽しさ」です。

「組織が大きくなると形式知化の圧力が強まり、スライドが増え、会議が形式ばり、人間性が失われていく。だからこそ『楽しさ』をつくるんだ。深刻になりすぎないこと。行き詰まったら外を歩く。
冗談を言い合って軽さを取り戻すと、対話の質は劇的に変わる」

これは単なる雰囲気づくりではありません。
自分を笑える軽さと遊び心こそ、官僚化や硬直化を防ぐ高度な戦略なのです。


Buurtzorgをどのように捉えていくのか?

二人の対話を聴き終えたとき、私の中に残ったのは
「どうすればBuurtzorgのような組織をつくれるのか?」
という問いではありませんでした。

むしろ、もっと手前の問いが強く立ち上がっていました。

オランダは、世界的に見てもホラクラシーの実践数が最も多い国の一つだと言われています。さらにその源流を辿れば、ホラクラシーの原型とも言われるソシオクラシーという方法論も、この国で生まれ、育まれてきました。

そう考えると、Buurtzorgは

「ある優れたリーダーが生み出した特別な事例」

というよりも、

「オランダという土地が長い時間をかけて育んできた思想や文化が、訪問介護という領域で結晶化した姿」

と捉えたほうが自然なのではないか、という感覚が残りました。

ヨスとラルーの対話は、セルフマネジメントのやり方を教えるものではなく、「なぜこの国では、それが自然に立ち現れるのか」という問いを、私に手渡していたように思います。

もしそうだとするなら、Buurtzorgという事例を理解するためには、まずオランダという国そのものを理解する必要があるのではないか。

そんな問いを胸に、私はアムステルダムの街を歩き始めていました。

オランダという「場」
──Buurtzorgが自ずと生まれた土壌

ヨス・デ・ブロックは「物事はとてもシンプルなんだ」とよく言います。
けれど、他者視点、ましてや日本から見るまなざしからでは、そのシンプルさをどのように捉えていけばいいのか。また、Buurtzorgのような組織をどのように再現するのかという視点に立つと途端に解釈の難しさにぶつかります。このギャップはどこから来るのか。それを歴史や風土から私なりの視点で紐解いていけたらと思います。

1. 水とともに生きてきた歴史が育んだ「協働の必然性」

アムステルダムでは、どこを歩いても水の存在を感じます。
運河の美しさの裏には、洪水と向き合ってきた長く厳しい歴史があります。

国土の約3分の1が海面下にあるオランダは、1287年の聖ルチア祭の洪水で約5万人が亡くなるなど、幾度となく大洪水に襲われてきました。堤防が決壊すれば、宗派も身分も富も関係なく、誰もが等しく水にのみこまれる。

この過酷な風土の中で、中世には領主や教会とは独立した「治水共同体(Waterschappen)」が生まれ、人々は宗派や階層を超えて堤防を守る努力をし続けてきました。自然発生的な自律共創型組織と言えます。

それを理解した時に、オランダにおける「協働」とは、高尚な理念ではなく、生き延びるために人々の叡智と行為を積み重ねてきた伝統そのものなんだと腑に落ちました。

仮にそのような視点から見れば、Buurtzorgの看護師たちが、指示を待たず自然と助け合う姿は、オランダの歴史的な伝統の現代的な発露とも言えるのではないか。ヨスから見たシンプルさの一側面ではないかと感じました。


2. 中央ではなく「現場」が決める文化──連邦共和国の記憶

歴史をたどると、オランダは長く中央集権の弱い社会として歩んできたことが分かります。16世紀、スペイン・ハプスブルク家の中央集権的支配やカトリックの強制に反発し、八十年戦争を経て独立。その結果生まれたのは、強い王が統治する国家ではなく、各州が主権を持つ「ネーデルラント連邦共和国」でした。

アムステルダムをはじめとする都市では、市民や商人が大きな力を持ち、「中央より自治」を重んじる社会構造が確立されていきます。

「遠くの中央より、近くの現場が一番よく知っている」
この感覚は、オランダ人に深く根づいたものです。

だからこそ、Buurtzorgの「最大12人の自律チームに権限を委譲する」というモデルは、突飛な発明ではなく、昔から身体に馴染んでいたやり方への回帰だったのかもしれません。

3. 「機能するか?」を問う徹底したプラグマティズム

オランダの社会の土壌を支える重要な柱の一つが、徹底した実用主義(Pragmatism)です。ここでは「理論的に正しいか」よりも、「実際に機能するか」が一貫して優先されます。それは思想というより、この土地で長い時間をかけて身体化されてきた生き方の作法に近いものです。

その背景には、水との終わりなき関係があります。堤防が崩れそうなとき、立場や正義をめぐる議論は役に立ちません。
「いま、この場で水をどのようにして止められるか
その一点が、常に問われてきたのではないか。

この経験が層のように積み重なることで、
「正しさ」よりも「機能すること」、
「理念」よりも「結果」が尊重される感覚が、社会の深層に根づいていったのだと推察します。

この精神性は現代の都市デザインにも現れています。アムステルダムの街に張り巡らされた自転車道や専用信号は、環境意識もあると思いますが、人口密度の高い都市で人を最も安全かつ効率的に動かすための、徹底した機能美とも言えるのではないかと思います。

Buurtzorgの設計思想も、この延長線上にあるのではないかと感じました。
複雑に入り組んだ制度を削ぎ落とし、現場が本当に必要とする判断だけが残る構造へと自ずと整理されていったと考えられます。
官僚主義的な「正しさ」ではなく、現場で機能するかどうかを基準に選び続ける姿勢そのものがオランダの美意識そのものではないか。

もちろん、この実用主義が常に理想的に働くわけではありません。効率が優先されすぎることで、感情や弱さがこぼれ落ちる場面もあります。それでも、Buurtzorgの「シンプルさ」は、この土地が育んできた実用知の一つの成熟した現れとして、理解することができるように感じました。


Buurtzorgは「天才の発明」ではない

こうして見ていくと、Buurtzorgの景色が変わってきます。
それは、ヨス・デ・ブロックという一人のカリスマがゼロから作った革新的モデルというより、「オランダという土地の土壌(自治・協働・実用性)が、訪問介護の現場で結晶化した現象」に近いと自分の中では違った角度から捉え直せました。

歴史の中に埋め込まれてきた知性を、ヨスは現代に合う形で再編集したのかもしれません。この土地のルーツを誰よりも深く内在化した存在、とも言えますし、彼のよく使いう言葉である「シンプル」という言葉にギュッと本質が凝縮されているのかもしれません。

公演中のヨス・デ・ブロック氏(右)

このようにBuurtzorgを捉え直すとすれば、私たちは日本という持ち場へ彼らの実践の何を持ち帰れるでしょうか。彼らから何を学び取れるでしょうか。

オランダの歴史的な風土や土壌の上で咲いた「Buurtzorgという花」を、そのまま日本の土に移植しても根づきません。花だけを見ても何も得られません。

そうだとすれば、私たちは何を彼らから学び取ればいいのか?この新しい視点から導き出される探究するべき問いとは何か?

次章では、この旅で得た気づきを、私たちRELATIONSが掲げる『生命力経営』のレンズも重ねて、私たちが探究するべき問いへと接続していきます。

生命力経営の源流との再会──「ソース」と「ルーツ」の統合

1章で触れた「意図せず立ち現れる」という感覚と、2章で見た「オランダという土地の土壌」。
この二つを重ね合わせたとき、私たちがRELATIONSで探究してきた『生命力経営』の核心──「根源の探究」が、強いリアリティをもって立ち上がってきました。

私たちが言う「根源の探究」とは、何かを分析したり、正解を探しにいくことではありません。
自分が置かれている場の深い文脈と、その場と自分という存在から自然に生まれてくる衝動に、静かに耳を澄ませていくことです。

その衝動は、意志というよりも、「気づけば動かされている」ような感覚に近いものかもしれません。

私たちは、この根源には二つの側面があると捉えています。一つは、個人の内側から湧き上がる衝動や願い、直感としての「ソース(Source)」
もう一つは、その個人や組織が置かれている場所・歴史・文化・関係性といった「ルーツ(Roots)」です。

Buurtzorgの実践とアムステルダムでの旅を通じて、私の中で自然と見えてきたのは、この ソースとルーツが分断されることなく循環し、共鳴し合うことで、生命力が豊かに立ち上がっていく姿でした。

1. 「ソース」の解放──恐れを手放した先に

1章でヨスとラルーが語ったのは、まさに「ソース(Source)」の解放でした。「恐れ(Fear)」で人を管理するのをやめ、「信頼(Trust)」に立ち返ること。複雑なルールで縛るのではなく、「あなたはどうしたい?」「何が大切?」と問い、一人ひとりの願いや直感がそのまま組織の駆動力になるようにすること。

Buurtzorgのナースたちが生き生きと働けるのは、指示されたからではありません。「患者さんを助けたい」という純粋なソースがそのまま発揮できる環境があるからです。

2. 「ルーツ」への敬意──土壌とつながる強さ

一方で、個人の想い(ソース)だけでは組織は成り立ちません。
その想いを受け止める土壌としてのルーツ(Roots)が必要です。

2章で見たオランダの歴史は、このルーツの重要性を物語っていました。
Buurtzorgという花が咲いたのは、ヨス・デ・ブロックのソースが優れていたからだけではなく、治水の歴史や現場自治の文化という肥沃なルーツと彼のソースが深く共鳴したからです。

ヨスの語る「シンプルさ」の背後には、この社会的合意がありました。
彼は理想をゼロから発明したのではなく、土地の記憶に耳を澄ませ、そこにある知恵を現代に蘇らせたのです。


『生命力経営』とは、ソースとルーツの統合である

従来の「機械的」な組織論は、この二つを軽視してきたように私は感じます。個人の願い(ソース)を無視して役割に押し込み、土地の文脈(ルーツ)を無視して標準化された仕組みを導入する。これでは生命力が失われていくのも当然です。

今回出会ったオランダの事例が示していたのは、「ソース」と「ルーツ」を丁寧に循環させ、統合すること。そうすれば、自ずと組織に生命が息吹く瞬間が訪れるということでした。

日本への問い直し

では、私たちは何をBuurtzorgの実践から学び取るといいのでしょうか。
オランダの「形(Buurtzorgの仕組み)」をそのまま輸入しても根づきません。日本には、日本固有の「ルーツ(土壌)」があるからです。

私たちがやるべきなのは、借り物の仕組みを導入することではなく、日本の歴史・文化・風土というルーツを深く理解し、そこに一人ひとりのソースを響き合わせること。

「機械」を組み立てるのではなく、「生命」が育つ条件を整えること。経営でやることはシンプルであり、そこに尽きるのではないかと感じました。

自分たちの持ち場へ──日本に持ち帰りたい、いくつかの前提

旅を終え、私は再びRELATIONSという自分の「持ち場」に戻りました。

ただ、ここまでの話で誤解してほしくないのは、過去ばかりを見て、新しいものを取り入れないという意味では決してありません。むしろ新しい枠組みを試すことで初めて、自分たちの輪郭が立ち上がるという側面もあります。今回の欧州視察もその一貫として位置づけています。

RELATIONS自身も、ホラクラシー、システムコーチング®、ソース原理などを導入したことで、

  • 私たちはどんな前提で働いているのか

  • どんな無自覚な癖を持っているのか

が浮き彫りになりました。

新しいものは「正解」ではなく、鏡やレンズのようにいまの自分たちを照らしてくれる存在です。そのプロセスの中で、古いパターンを自然と手放すことも起きていきますし、新しいパターンを取り入れることも起きます。むしろそれが自分たちにとって心地いいのか。ルーツやソースと共鳴しているかを見ていくことが大切です。

根源に立ち返ることと、新しさを試すこと。この二つは対立ではなく、むしろ往復することで私たちの実践を深めてくれるものだと感じています。

1. 人間への根源的な信頼

1章でラルーとヨスが語ったように、出発点はいつも「恐れ」を手放すことです。社員や投資先、クライアントをコントロールすべき対象ではなく、自ら答えを見いだす力をもつ「人間」として信頼すること。

管理の手綱を緩めるのは、経営者にとって確かに怖い。しかし、私たちが握り続ける限り、相手の本来の力(ソース)は立ち上がりません。問われているのは、任せる技術以上に、相手の生命力そのものを信じ切れるか──その全存在的な信頼です。

2. 場とつながる

2章で見たように、オランダの実例は土地の歴史や風土(ルーツ)と深く結びついていました。だからこそ、海外の先進事例を「正解」として輸入するのではなく、ソースとルーツがどう響き合うのかを静かに観察する姿勢が大切だと感じます。

私たちの中にも、日本固有の豊かなルーツが流れています。

たとえば「和」の精神。これは同調圧力ではなく、異なる個性が響き合い、全体として調和を奏でる動的なプロセスです。

哲学者・和辻哲郎が述べたように、日本における「人間(じんかん)」とは孤立した個ではなく、他者との間柄の中で立ち現れる存在です。
また、「八百万の神」に象徴される自然観では、草木や土にまで神性を見出し、大きな流れへの信頼とともに共生してきました。

さらに、強い中心を置かず、あえて空(くう)を中心にすることで周縁の人々が自律的に動き、結果としてまとまりが生まれる「中空」という知恵もあります。日本特有の、柔らかな統合のあり方です。

こうした 関係性の中で自己を見出す感覚や、見えない中心を囲む自律性といったルーツは、今も私たちの深層で息づいているはずです。

無理に西洋型の「個」を模倣するのではなく、日本古来のルーツにある懐かしさや心地よさに耳を澄ませること。そこにある響きを、現代の生命力経営へと接続していく──それが私たちなりのアプローチになる予感がしています。

3. 「いま・ここ」に開き続ける

未来への不安や過去の成功体験に囚われず、いま起きていることに感性を開き続けること。計画通りに進めることより、予期せぬ変化や現場から立ち上がる小さな違和感・兆し(シグナル)をキャッチすることを大切にします。

自然界の生命は、計画ではなく、環境との相互作用の中で「生成」されます。私たち自身も、固定化された「機械」ではなく、常に変化し続ける生命体として在り続けること。その流動性を、恐れずに楽しむことが大切です。


ソースとルーツを共に耕す人として

今回の旅が教えてくれたのは、「正解のモデル」ではなく、自分たちの土壌に合った形を自分たちで紡ぎ出す勇気でした。

RELATIONSが掲げる『生命力経営』に完成形はありません。私たちはこれからも、コンサルティングやM&Aという事業活動を通じて、日本という土壌を耕し続けます。機械を組み立てるのではなく、生命がのびのび育つための光と水と土を整えること。

それが、これからの私たちの仕事です。

この旅で得た種が、日本の土壌でどんな花を咲かせるのか。
その具体的な実践と試行錯誤のプロセスは、また別の機会に綴りたいと思います。

今日もええ一日にしていきましょう。


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