第四話ソファーの向こう側── 傷を抱えたまま、生き直す
【第4話:進化】── 老いへの恐怖と、黒いタートルネックの男
新しい居場所で、私は自身の内に生まれた「老いへの恐怖」に怯えていた。
今の時代、20代の若い社員たちはITツールをまるで自分の手足のように使いこなす。私が20年かけて、必死に身体を壊しながら覚えてきた泥臭いノウハウを、彼らは数分検索するだけで超えていく。
「もう、俺たちの時代は終わったんじゃないか」
ある日の昼休み。若手社員がノートパソコンの画面を見せながら言った。
「タカさん、この間の作業マニュアルの改善報告書、ChatGPTで作ったんですよ。5分で終わりました」
私がかつて何時間もかけて書いていた報告書を、彼はたった5分で仕上げていた。
(私はまた、この目まぐるしい時代にゴミクズのように捨てられるのか)
底冷えする恐怖の中、私はあのソファーにしがみつくようにして座り、頭を抱えていた。
「──お前は何を、そんなに勘違いしているんだ?」
静寂を切り裂くように、冷徹で、しかし恐ろしく洗練された声が響いた。
ソファーの向かい側に、黒いタートルネックの袖を少し腕まくりした男が座っていた。無駄のない動きで、鋭い眼光をこちらに向けている。
「私の時代はもう終わりなんだ。AIという怪物が、私のようなおっさんを無価値にしていく」
震える私を、男は鋭い目で一喝した。
「AIが怖い? 違うな。お前が本当に恐れているのはAIではない。テクノロジーの進化を言い訳にして、学ぶことを放棄し、自分の人生を諦めようとしている『自分自身』だ。
人間が作ったテクノロジーは、人間の能力を拡張するツールだ。それは、『知性の自転車』なんだよ」
男は私の一歩手前まで歩み寄り、その瞳で私の目を射抜いた。
「AIが凄いんじゃない。お前がこれまで生きてきたその『人生経験』を、そのツールを使って増幅することにこそ、本当の価値があるんだ。
いいか、タカ。AIは確かに美しい文章を書くし、計算も速い。だが、AIは『経験』を作れない。離婚の痛みで胸を引き裂かれたこともなければ、工場で怒鳴られながら泥水をすすったこともない。仲間を失って絶望したことも、離れて暮らす娘に情けない嘘をついて、このソファーで声を押し殺して泣いた夜の、あの涙の熱さも、AIは1ミリも知らない。
それを知っているのは、世界中で、お前だけだ。
お前が50年かけて溜め込んできたその泥臭い、傷だらけの人生経験こそが、世界で唯一の、コピー不可能なオリジナルデータだ。
AIという自転車に、お前の魂を乗せて走れ」
気がつくと、男の姿は消えていた。
私は震える指で、自分の魂から溢れ出る泥臭い言葉をAIツールの入力欄に打ち込んだ。
『工場で、過酷な労働に耐えかねて仲間が壊れていった話を書きたい。罪悪感、自分が価値のない人間に思えてソファーで泣いた夜の話を、同じように苦しんでいる世代に届けたいんだ』
数秒の後、画面に現れたのは、私の拙い感情が、読む者の胸を打つような美しい物語へと整えられた文章だった。
(これは、代替なんかじゃない……。私の生きてきた証を、何倍にも大きくしてくれる『増幅』なんだ!)
それから、私は夢中で自分の経験を、AIという自転車に乗せてブログに書き綴っていった。
数日後の夜。パソコンに新しいコメントの通知が届いた。
『タカさんの記事を読みました。私も50代です。本当は苦しくて誰にも弱みを見せられなかった。でも、タカさんの本音を晒す姿を見て、勇気を貰いました』
私の50年の人生は、まだ、終わってなんかいない。
誰かの力になれる価値が、ここにあるんだ。
確かな確信が、私の胸を熱く満たしていった。
次回【最終話:継承】── 傷を抱えたまま、誰かのソファーになる日
