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"海霧"では伝らない「ジリ」のイメージ

1.「濡霧」という名で、釧路の"雨季"を呼び直す

① 🌫️「霧の街=釧路」

観光パンフレットにも公式サイトにもこの決まり文句が並びます。
年間の霧日数はおよそ100日。札幌の50倍以上というデータまでそろっているので、ラベリングとしては正しいのでしょう。

「霧の街釧路」のイメージといえば『霧の幣舞橋』

② 普通に抱く「霧の街」のイメージ

しかし「霧の街」と聞いて、多くの本州の人が思い浮かべるのは、おそらく山あいの朝もやでしょう。視界が少し悪くなって、車のライトがぼんやりにじむ。しばらくすれば晴れて、日が差してくる。

③ 釧路の霧の実際の姿

しかし、釧根の六月から七月にかけて、それはほとんど別世界が展開されています。

通りを歩いているだけで、髪がしっとり濡れる。服もじわじわ水を吸って重くなる。ワイパーを動かしたくなるほどの細かな水滴が、いつまでも空中を漂っています。

これは、本州の人が「」と聞いて思い浮かべるものとは、その様子や状況はかなり隔たりがあります。
そして、気象用語にある「海霧」や「濃霧」という単語でもまだ足りない。
だから私は、釧路の「霧」を一旦すべて言い換えてみることにしました。

ジリ(濡霧)のイメージ

☝️ ジリ(濡霧)

もっと正確に言えば、「濡霧」と書いて"じゅむ"と読む新しい日本語で。


2.データで見る、釧路根室地方の「雨季」

まずは、釧路の夏を数字で見てみましょう。

① 霧の街「釧路」の詳細

気象庁のまとめによれば、釧路市の年間の霧日数は平年で約97日あります。6月から8月に限っても、3か月のうちおよそ半分、平年で47日前後が「霧の日」だとされています。札幌の同じ期間の霧日数は一日にも満たず、東京にいたっては0.2日しかありません。(city.hino.lg.jp)

つまり、釧根の夏は「たまに霧が出る」のではなく、夏の半分以上が、何らかの形でに覆われているのです。

釧路地方気象台の解説でも、釧路の年間霧日数は96,9日で、特に6月から8月は月平均16日前後とされ、「霧の街」と呼ばれるゆえんになっていると書かれています。

日照時間を見ても、同じ傾向がはっきり出ています。6月から8月の3か月間の日照時間は、釧路が300時間台、札幌が500時間台、東京が400時間台という資料もあります。数字の細かなブレはあっても、「釧路の夏は極端に日が差さない」という大枠は変わりません。

② 霧が多い理由

北海道の中で見ても本州と比べても、釧路の夏は極端に日が差さない実態が浮かび上がります。
その理由として、気象庁ははっきりと、沖合で発生した冷たい海霧が陸地に流れ込むためだと説明されています。

ここまでくると、「梅雨のない北海道」という決まり文句は、少なくとも釧根地区には当てはまりません。
形式的には梅雨前線による本州型の梅雨がないというだけで、釧根地区の実際の暮らしのレベルでは、6月から7月にかけて、低温と長雨と霧が支配する「雨季」が、はっきり存在しています。


3.それでも「霧」では伝わらない

① 確かに霧の街釧路だが…

ここまで数字を並べると、多くの人はこう納得してくれるかもしれません。
釧路は、確かに「霧の街」だと。

だが、ここでひとつ厄介な問題があるのです。
私たちが当たり前のように使っている「霧」という言葉が、そもそも釧根地区の霧の実態、現実をまったく表現しきれていない、という問題です。

② 霧の定義

気象庁の定義によれば、とは、ごく細かい水滴が空気中に浮かび、視程が1km未満になった状態を指します。視界の悪さで線を引く用語であって、「どれくらい濡れるか」はどこにも書かれていない。

③ 「海霧」のイメージ

海の上で発生した霧が陸に流れ込むものは、「海霧」と呼ばれています。釧路の霧はその代表例だと、各種の解説で繰り返し紹介されてきました。

しかし、「海霧」と聞いて、札幌などの道内の人や本州の人が思い浮かべる情景はどうでしょうか。
せいぜい、夏の海岸で見かける白いもや、水平線が少しぼやける程度のイメージではないでしょうか。
実際、日本各地の海沿いの町にも海霧はある。にもかかわらず、そこには釧根のような「髪が濡れる」「服が重くなる」霧の記憶は、ほとんど共有されていません。

「濃霧」という言葉も、やはり決め手になっていません。
これも視程がさらに短くなった状態を指すだけで、「濃い=よく見えない霧」という印象以上のものは与えてくれない。
霧の粒がどれくらい体にまとわりつき、どれくらい水を吸わせるのかという、本当に知りたい部分には一切触れてこない。

④ 霧にまつわる二重のすれ違い

そのため「釧路=霧」と言うときには、そこには二重のすれ違いが起きているのです。

😮 2つのすれ違い認識
❶ 釧根に住む人間の身体感覚と、本州側の「霧」のイメージとのすれ違い。
❷ 気象用語としての霧・海霧・濃霧が、そもそも「濡れ方」という決定的な違いを語彙として持っていない、
という2つがすれ違いを生じています。

この二重のズレを放置したまま、「霧の街・釧路」といくら繰り返しても、釧根の6月と7月の本質は、永遠に伝わらないままでしょう。


4.「霧 < 濡霧 < 霧雨」という3段階スケール

そこで私は、釧根の夏を理解するための、もうひとつ別の物差しを持ち出したいと思います、
霧か雨かその二択ではなく、その間にもう一段階を挟んだ、「三段階のスケール」で表すのです。

① 霧 < 濡霧(ジリ) < 霧雨

ここで言う「濡霧」は、「濡れる霧」と書いてじゅむと読む私の造語です。
気象庁の定義からすれば、この3つはすべて「空気中の水滴」ですが、人間の側の実感を全く反映していません。

❶ 霧

霧は、視界が悪くなる霧
車を運転していてライトを点けたくなるような霧。山あいの朝もやや高原の観光パンフレットに載る「幻想的な霧」、だいたいこのイメージです。短時間そこに立っていても髪や服がびしょ濡れになることはありません。

雨のイメージ

❷ 霧雨

霧雨は、雨の一種
水滴が空中に漂うのではなく、重力に負けて落ちてくる。傘を差すかどうか迷うレベルの細かい雨粒。気象用語では「雨」として扱われる世界です。

霧雨のイメージ

❸ 濡霧(ジリ)
そのあいだに挟まる「濡霧」は、以下のような現象になります。

立っているだけで、髪がしっとりと濡れる。
上着の肩が、いつの間にか色を変え、重くなる。
しかし、雨粒のように「落ちてくる」感触はない。
→ただしよくよく観察すると、微小な粒が落下はしています
空中に浮かぶ極小の水滴が、絶え間なく体にぶつかり、まとわりつき、染み込んでいく。

濡霧(ジリ)のイメージ

釧根地区の人が皆無や濃霧をジリと呼んでいるものの正体は、まさにこの「濡霧」だと私は考えています。
単なる海霧でもなければ、視程だけで線を引いた濃霧でもない。
当たれば濡れる霧」という、人間の側から見た決定的な特徴を持った、第3の状態になります。

霧 < 濡霧 < 霧雨

この単純なスケールをいったん頭に入れてから、釧路の6月と7月を思い出してみると、「霧の街」という言葉がどれほど多くを取りこぼしてきたか、誤認識されていたかが、少し見えやすくなるはずです。


5.「梅雨のない北海道」と「釧根地区の雨季」

① 「梅雨のない北海道」🤗

そう教科書には書いてあるし、旅行パンフレットにもそう書いてあります。
実際、気象庁は北海道について「梅雨入り」「梅雨明け」を発表しないし、本州のような形で梅雨前線がかかることは少ないと説明しています。

この言い方は、たしかに「定義上」は正しい。
梅雨前線が北海道の手前で弱まる年が多く、本州型の長い雨期がはっきりとは現れにくいからです。
だからこそ、道外から北海道を訪れる人の多くは、「6月の北海道は、爽やかな初夏」というイメージを抱いてしまいます。

② 「梅雨のある釧根地区」 😒

ところが、釧根に立って6月から7月を過ごしてみると、この決まり文句はほとんど冗談にしか聞こえないのです。
低い雲と細かな雨、そして一日中続くジリ(濡霧)
すっきり晴れる日よりも、どんよりした日が明らかに多い。
体感としてはどう見ても「雨季」です。

③ ❌ジリは蝦夷梅雨にあらず 🙅‍♂️

実際、「エゾ梅雨」という言葉で、この時期のぐずついた天気を語ろうとする試みはすでにあります。
オホーツク海高気圧から吹き込む冷たく湿った空気の影響で、六月から七月にかけて北海道でも曇りや小雨が続くことがあり、その状態を蝦夷(エゾ)梅雨と呼ぶ、といった説明もよく見かける。

しかし、「蝦夷梅雨」という便利なラベルも、釧根の現実を少しぼかしてしまいます。札幌や小樽のような道央の日本海側の「蝦夷梅雨」と、釧路・根室の「雨季」は実態ががかなり違います。
前者はどんよりした曇天と小雨が続くイメージですだが、後者ではそこに、ジリという「濡霧」が加わる。

立ったままだと髪や衣服が
確実に濡れる「ジリ(濡霧)」

釧路市の公式な紹介文でさえ、「梅雨がなく、夏は涼しく」と書きながら、そのすぐ後で「初夏に蝦夷梅雨と呼ばれる長雨が観測されることがある」と別の資料で付け加えています。
「梅雨はないが、雨季はある」と言っているに等しいかもしれません。

だから私は、釧根についてだけははっきりと言い換えたほうが正しい理解い繋がるように思っています。

北海道には梅雨がない。
だが、釧根地区には雨季がある。

herokey turkay

それは、6月から7月にかけて、霧と濡霧と霧雨が入り混じり、空も地面も人間も、長いあいだ乾かない季節。
本州の梅雨と同じメカニズムでありませんが、暮らしの実感としては、まぎれもなく「雨季」と呼ぶべき雨の季節になります。


【まとめ】 用語メモ:濡霧(じゅむ)

今回の記事を今一度まとめてみたいと思います。

① 濡霧(じゅむ)
この記事で私が提案している新たな造語。

霧と霧雨の間にある、「立っているだけで髪や衣服がはっきり濡れる霧」のことを指す。
視界の悪さよりも「どれだけ濡れるか」に注目した区分でスケールにすると

② 霧 < 濡霧 < 霧雨

のように位置づけられる。
釧路など釧根地方の「ジリ」はこの濡霧としてとらえ直せる現象だと考えている。

③ 名前を変えるということの意味

ここまで見てきたように、釧根の6月と7月は、定義上の「梅雨」の外側にありながら、実質としては雨季そのものでし。
しかもそれは、本州の多くの人が思い浮かべる「霧」とも「ただの長雨」とも違うジリ(濡霧)の季節になります。

☝️従来のラベル
霧の街
海霧
濃霧
蝦夷梅雨
梅雨のない北海道

これまで釧路を語ってきた言葉を並べてみると、そのどれもがどこか決定的なところで足りていません。
数字の上では説明できても、通りを歩いたときの肌の感触や洗濯物の乾かなさや、6月なのにストーブに手が伸びるあの瞬間まではなかなかそのイメージは届きません。

だから私は、「ジリ」を海霧や濃霧ではなく、「濡霧」と書き換えることで、この季節をもう一度とらえ直したいと思います。
霧<濡霧<霧雨という、ごく単純なスケールに、釧根の夏をいったん置き直してみる。
そうすると、「梅雨のない北海道」という決まり文句の、そのすぐ下に隠れていた雨季の姿がようやく輪郭を持ち始めてきます。

つの霧の違いをイメージ

☝️ 名前を変えることは、世界の切り方を変えること

気象庁の定義や観光コピーの常識から少しだけ離れて、「濡霧」という言葉を一度、自分の中に仮置きしてみる。
そのうえで釧根の6月と7月を眺めてみるとき、「霧の街・釧路」というありふれたフレーズの向こう側に、別の気候、別の暮らし、別の北海道が、はっきりと立ち上がってくるはずです。


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