#7 忙しいとは、心を失うこと― 余白は、自分で作るもの ―
勝ったはずなのに、消えたかった
コンペに負けた日、頭の中が空白になった。
勝ったと思っていた。仕様も詰めた。コストでも優位だった。それでも返ってきたのは「技術力が足りない。思想が共有できない」という言葉だった。
悔しさより先に、「消えたい」という感覚が来た。
あの頃、私はボロボロだった。仕事では結果が出ない。自分の設計思想を根本から問い直さなければならない。やっさんに鍛えられながらも、心がどんどん削られていく感覚があった。
そんな時期に、今の妻——当時の彼女——と一緒に日本全国を旅して回った。
車にテントを積んで、行き先はその日に決める。鹿児島では精肉店で分厚く切ってもらった黒豚をキャンプでトンテキにした。しっかり火を通しているのに驚くほど柔らかく、脂の甘みが忘れられない。秋田の竿燈まつりでは、祭りを見る前に実際に竿燈を持ち上げる体験をした。あの重さとバランスを体で感じてから見たお祭りは、また違うものだった。
あの旅がなければ、今の自分はなかったと思う。
仕事で削られた何かを、旅が少しずつ取り戻してくれた。
「忙」とは、心を失うことだ
振り返ると、あの頃の私は「忙」の状態だった。
忙しい——この漢字は「心を失う」と書く。もちろん学術的には別の見方もあるかもしれない。それでも私は、この捉え方が今の時代の忙しさをとてもよく表していると感じている。
何かに気を取られ、何かに追われている。仕事、家庭、日々の作業。やるべきことに追われ続けると、自分のやりたいように物事を進める余裕がなくなる。そうしているうちに、いつの間にか心が置き去りになってしまう。
起きる。働く。寝る。
それを繰り返しているうちに、時間だけではなく、心の余裕そのものが削られていく。現代の忙しさとは、そういうものだと思う。
共働き世代が増え、限られた時間の中で結果を出すことが求められる。一生懸命働いて帰宅しても、疲れ果ててしまう。家で過ごす時間も、何かを楽しむためではなく、ただ回復するためだけになってしまう。
あの頃の私がまさにそうだった。
余白は、自分で作るもの
だからこそ、心を失わないためには、意識して余白を作ることが必要だ。
その余白は、ただぼんやり空く時間ではなく、自分で決めて、自分で作る時間であることが大切だと思う。
これはどこか、茶道の考え方にも通じる気がする。静かにお茶を点てる。その所作に集中する。そうすることで、慌ただしい日常とは別の時間が立ち上がる。
余白とは、何もしないことではなく、心を取り戻すための場を、自分の意志でつくることなのかもしれない。
余白を作る上で大切なことが、私には二つある。
一つ目は、心を取り戻すためのスイッチを切り替える習慣を持つこと。そして、それを実行できただでも、小さな達成感を噛みしめ積み重ねること。
二つ目は、「忙しくて時間がない」という考え方を、一度見直してみること。
どれだけ忙しい人でも、睡眠や食事の時間は何とか確保しようとする。それと同じように、心を失いそうになっているなら、心を守るための余白も、本来は確保されるべき時間のはずだ。
時間は、自然にできるものではない。自分で作るものだ。
私にとっての余白
あの頃の旅が、私にとっての余白だった。
仕事で削られた心を、旅が取り戻してくれた。景色を見て、人に会って、美味しいものを食べて、ただそこにいる。それだけのことが、どれだけ大切だったか。
今はバイクがその役割を担っている。週末に一人で走り出す。家や仕事のように誰かに気を使わなくてもいい。風を感じながら、自由に走る。
その話は、またいつか書こうと思う。
自分で決める。実行する。そして少しだけ達成感を得る。その積み重ねが、失いかけた心を少しずつ戻してくれる。
忙しい日々の中だからこそ、自分の時間を「余った時間」として扱うのではなく、心を失わないために必要な時間として、きちんと作っていきたい。
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この頃の1stステージの話はこちら。
