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絵画教室&ホキ美術館で写実警察

ちょっと遠出して、千葉のホキ美術館へ行ってきました。日本で唯一の写実絵画専門美術館です。
絵画教室の先生によると、知人の作品が多数収蔵されているとか。ざっくり解説では、ムサビはオーセンティックな写実系が強く、多摩美はデザイン系が強い。先生はムサビなのでホキ美術館には交流のある作家が何人もいる、と。山本大貴、塩谷亮、小尾修など。

山本大貴《waithing》2011年 図録より
小尾修《南瓜》2002年 図録より

ホキ美術館の中

館内は撮影禁止です。
ぜひ現地で、実物のアウラに圧倒されてください。
入ってすぐにもう、超細密な写実絵画の洪水。一点当たりの鑑賞時間が長くなるので、3時間でも最後は駆け足に。
そういえば岡本太郎展って細部をじっくり見る感じじゃないから1時間くらいで回れるよね……と意味ないとばっちりを受ける太郎。

岡本太郎《駄々っ子》1951年
こういうのに心救われる時もある

最初は感心していた超絶写実絵画ですが、みんなすぐに目が肥えて、
「もうちょっと描きこみ頑張れ」
いつの間にか、写実警察になっていた。
何を見ても「すごい!」だったのに、だんだんと「ここが甘い」「まだ頑張れる」と取り締まりを始めるw
写実絵画というのはレベルが突出した作品が一点でもあると、それを基準として、鑑賞者の要求がどんどん上がっていってしまうものですね。

同行者の様子を見ていると、「あ、この絵はそろそろパトランプが回りそうだな」という予兆までわかるようになってきます。
いや、その絵は先生の知人だから、どうか今回は見逃してほしい……みたいな。

でも結局、写実絵画を支えているのは、こうした細密な手仕事への感動なのだと思います。
美術は人を感動させたら勝ち確です。だから、
「写真があるのに、写実絵画に意味はあるのか?」
という問いは、たぶんそれ自体があまり意味をなさない。
そこに感動したり、鑑賞を楽しめる人がいるなら、それで十分なのだと思います。

塩谷亮《碧音》2016年 図録より

写実絵画は現実のコピーではなく、画家の目を通してもう一度作られた世界ともいえますね。
人の目や手を通した揺らぎは必ずあります。それが意図されたものでも、無意識であっても。
だから写真と同じではない、人間の認識の痕跡が残ります。

どこを見るのか、どこを強調するのか。その取捨選択の中にも画家の知覚のあり方が現れる。

歴史的背景や美術史的文脈で評価するのではなく、作品単体の出来を楽しめるという点で、とても面白い鑑賞体験でした(もちろん作品の中には分析力を必要とする仕掛けもあったと思いますが)。
細部を見ながらあれこれ言い合うのが楽しい、そんな鑑賞ができるホキ美術館。おすすめです。

ホキ美術館の外

この美術館のもうひとつの特徴は、建物の構造にあります。
ギャラリー1(第一展示室)が約30メートルも宙に突き出した、片持ち構造になっています。
柱で支えられているわけではなく、建物からぐいーんと伸びた空間。
内部の細長いギャラリーでは、横一列に長く配置された作品を順番に見ていくことになります。
先端に数人で立った時、建物の反対側が少し浮いたような。あっちにも何人か居た方がよくない?的な。

外に出て、順番に片持ちの前でポーズを取るターン。
夕陽が差し込む絶好のマジックアワー。
自分は気の利かない棒立ち。コントラポストでもすればよかったのですが。
場数を踏んでないと、こういう時にポンコツポスト。

さっとアドリブでポーズをとれる人はクラスの一軍

絵画教室

翌日絵画教室で、先生に感想を伝える。
ちょっと気になっていた作品があって、それは現実の世界を描いたというよりは幻想的。
こういうのもカテゴリーに含まれるの?

山本大貴《FORTUNE KEEPER》2008年 図録より


「ああ、これは山本君が院生時代に描いたヤツね。ひとつずつは現実にあるモノで、それを組み合わせて描いてる」
確かに、架空のモチーフを描いてはいませんね。
人物画の背景の細かさにも言及したくて、
「この絵の描き込みもすごいですよね。拡大しても写真のように見える」
「これね。板の表現はみんな好きなんですよ。みんな木目をめちゃくちゃ描き込みたがる」
へええw

小尾修《画室》2013年 図録より
コレ


「あとこの壁の描き方は…」
専門的だったので何を言われたか忘れました。

今回でヴィーナス像が無事描き終わり、次回からは革靴になります。
自分の「だいたいヴィーナス画」を前にすると、偉そうに写実警察をしていた昨日のことに冷や汗。
「先生のお友達、やっぱみんなすげえでゲス」
急にヘコヘコと手のひら返し。

完成。だいたい似たからヨシ!
本人が前を通ったら「あ、私?」くらいにはなる!

おわり


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