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【noteでBL】どんな所にも現れる

こちらの企画に参加します。

お題:『激重感情仄暗不穏』+『かし子嬢の理想のBL』
ジャンル:人間ドラマ
文字数:約9950文字
あらすじ:
 ⚠︎男性同士のラブシーンがあります。苦手な方は、プリーズリターン。

 社会人になった天野あまの 拓海たくみと、池島いけしま 真一郎しんいちろうが、それぞれの仕事の都合もあって半同棲しているアパートに、カナエがやってきた。
 真一郎の故郷で、真一郎の配偶者になるものと、周囲から教え込まれてきた女性だ。真一郎が故郷に戻らないとなれば、彼女にも居場所は無い。
 どうしたものか皆で悩むフリをして、拓海には、全方面に対応する解決策が思い浮かんでいた。


        1
 本当に心から驚くと、世界って固まって動かなくなる。
 アパートの廊下の、僕たちの家の扉の前に、水色のコートに白いマフラーを巻きつけて涙目でいた彼女も、近付いて来た僕を見上げてしばらくの間、身動き一つしなかった。

「……あ。えっ、と……、カナエさん?」
「あ。はいっ! え、と前に、一度お会いしました、よね……?」
 標準語、だけど波打つみたいなイントネーション。

「はい。ああ僕天野あまの拓海たくみと言います。真一郎しんいちろうとは……」
 下の名前を呼んでしまってしくじった、気がしたけど、僕は鍵を取り出しながらこの扉まで歩いて来たし、ネギが飛び出した近所のスーパーの袋を手に提げている。
しんにいちゃん、と……、一緒に住んどらすと?」
 カナエさんの方から訊いてもらえて、この際だって開き直った。

「一緒に、はい。住んで、ます。今は、僕の仕事が落ち着いてるから、なるべく料理とか、担当しようかなって……、役所に届けとかは出してない、というか、出せないんですけど、そういう、関係、です」
「そういう、関係」
 ふふっ、とカナエさんは細めた目の端に涙が滲む笑顔を作ってくれた。

「え。と、そしたら兄ちゃんには、よろしく言うとって」
 口元は微笑んだまま、頭を下げる素振りでうつむいて、エレベータに向かうために僕の横を通り抜けようとしたけど、

「あのっ……!」
 立ち塞がって両腕を広げて見せただけで、僕の指はカナエさんに触れないように気を付けた。

「すぐ、そこのファミレスで……、一緒にお茶でも飲みませんか?」
 言いながら自分でも、まるで僕からナンパしているみたいだなと思った。
「真一郎が帰るまで。と、言うよりお願いです。そうして下さい。何もしないでカナエさんこのまま帰したとか話したら、真一郎、きっと僕には怒らないけど、ものすごく責任感じて落ち込みます」


        2
 ファミレスのソファー席に向かい合って、改めて、お互いぎこちなく頭を下げた。
池島いけしま、カナエです」
 言われてそうだった。真一郎の故郷は全部の家が同じ名字だったって思い出した。

 水色のコートを脱いだ内側は、ピンク色のニットで、カナエさん個人を見続けていたら目を惹いたけど、十一月の末で暖かくされた店内には溶け込んでいる。ラウンドネックから覗くシャツの、端までピンと張った襟が「流行は何も知りませんし気にしません」と主張していた。
 化粧っ気が無いのに肌のキメに肩にかかる黒髪の艶に、顔の造りが整っていて綺麗だと思う。全体の輪郭は女性だしやわらかいし、黒眼がちで似ているほどでもないけど、真一郎を思い出す。

「名前、一度会っただけなのに、覚えていてくれたんですね」
 そこには僕は曖昧に見えるだろう笑みを返した。

「ごめんなさい。私の方はさっきから、思い出し切れなくて……」
「僕は多分、名乗っていないです」
 真一郎の故郷の人たちには、そう気軽に名前を出さないように気をつけていたから。

「こっちにはいつ、来たんですか? 泊まる場所なんかは、昨夜は……」
 真一郎の故郷から大阪までは、たっぷり七、八時間掛かる。
「博多から、深夜バスで今朝。今夜は……、豊中とよなかに姉がいるので」
「ああ。良い所ですね」
 お世辞で言ったわけじゃない。豊中市は、大阪府の中でも雰囲気が穏やかで、家族世帯が暮らしやすい。

「もしかして、知っていたら教えてもらいたい事があるんですけど……」
「私、で分かればですけど、何でしょう」
「九州で、カナエさんと会った日に……、僕たちあれから真一郎の実家に行って、方言だったから意味がよく分からなかった事言われたんです」
 カナエさんは微笑んだまま少しだけ首を傾けてくれる。

 □□□□、って聞いた音を、カナエさんにそのままでぶつけるのは絶対に違うと思った。
「四文字で」
 と言った時にカナエさんはピクッときて、
「最初の音が……」
「やめて」
 唇の形を作って見せた時点で、拒まれた。

 表情から笑みが消えて、両肩から背中にかけてが寒いみたいに、強張って見える。固く感じるみたいに息を吸って、一度ゆっくりと吐き出した。

「ごめんなさい。あと、ありがとう。おかげで、分かった。そいは……」
 心持ち、顔を上げてきたけどまだ目は伏せられたままだ。
「兄ちゃんは、もう戻っては来られんね」

 その反応を見て改めて、背筋が凍った。
「そんなに酷い、言葉なんですね……」
「うん。でも、気にせんで」
 目を細めた笑顔を向けられるとホッとして、暖かい店内にいたんだって思い出す。標準語でどう言ったら良いか困っていたから、身に馴染んだ言い方でいいですよって促した。

「今となってはそいは、投げられた人よりも、そいば人に投げ切れる者ん方が、気の知れん言葉になりよるけん」
 ああ、と僕の方が、落とした頭に頬杖をついた。

「それでなんとなくどういった事を言われていたのか分かったよ」
「なんとなく、分からすやろ」
 ふふ、とカナエさんは微笑んでくれる。


        3
 仕事が終わった連絡が来たから、ファミレスにカナエさんといるって返したら、物凄い勢いで真一郎は駆けつけて来た。
 と言っても僕は見ていないけど。いつもの通勤時間から予測していたより早かったのと、僕たちが座っている席を見つけてやって来る間の歩調や表情を見て、そう思っただけだけど。

 そして真一郎が店に入った瞬間から、カナエさんは両手で口を覆って少しだけ腰を浮かせて、真一郎が近付いて来るまでを、追いかけている目にみるみるあふれてくる涙を、落とし始めていて、
 僕はため息が出そうになった口を、頬杖で押さえながら真一郎にメニューを向けた。

「夕ご飯、作れていないから。何か頼んだら」
「拓海は」
「先に食べた。カナエさんも」
 僕の隣でもカナエさんの隣でも、バランスが崩れる感じがしたから、幸いコの字型のソファーだったし僕が真ん中に移動して、真一郎とカナエさんには向かい合ってもらう。

 自衛官の伯父さんから譲り受けた、流行る前から着ているモッズコートの下は、ダークグレーのスーツで、よく警察に間違われるのを不思議がっている。仕事の間だけ掛けているワイヤーフレームのメガネを、今日は外す余裕すら無かったみたいで、ソファーに座って注文を済ませてからケースに仕舞った。

 その間僕とカナエさんは、目配せと表情だけで結構な情報量の会話ができていた。言葉に変えるなら、
「メガネかっこいいっ」「クレバー感が二割増し」「でも仕舞っちゃうの」「もったいない」「一緒に住んでたら見られるの羨ましい」「一緒に住んでたってレア」
 みたいな感じ。

 テーブルにおもむろに両手を組んで、真一郎はカナエさんに向き直る。
「なして、来たとな」
「なんでって。ずいぶんな言い方だよねー。何の連絡もしないまま、彼女を長年放っておいてさ」

 僕にきちんと顔を向けてから、言い返してくる。
「オイは何も、こいまでにカナエちゃんと付き合うてはおらん」
「聞いて呆れるよねー。付き合って、いなくたって状況的にお互いしかいないじゃない。そうなるって思わされながら育って来てるじゃない」

 頬を伝っていた涙を、刺繍の入ったハンカチで拭き始めたカナエさんに、また向き直って、
「カナエちゃんの泣くとはおかしかろ」
 はっ、と飛び出した僕の呆れ声に、ピクッと真一郎のこめかみが揺れた。

「言うたなら、迷惑ば掛けられとる側の」
「いや、泣くよね。真一郎に今日やっと会えて、真一郎が元気そうで嬉しいからね。なんでそのくらい分からないかなぁ」
「拓海はさっきからどっちん味方ばやりよっとな!」

 もちろん僕はわざとやっているんだけど、普段色白な顔を真っ赤にして僕に向かって来る様子が可愛くて、機会があるのならぜひ見たいからだ。
「僕はいつだって真一郎の味方だけど、僕もカナエさんも敵、になるわけないよね。敵か味方かの二択で訊くのがそもそも間違っているよね」
「オイは、敵んごた言い方はしとらんじゃろ! 拓海はどん立ち位置から、今こん話に口ば出しようとかて!」

「ふふっ」
 笑い声が聞こえたら、僕も真一郎も目線と身体の向きを、カナエさんに移してしまう。
「ごめんなさい。真兄ちゃんのそがんしたしゃべり方ばしよらすとこ、初めて見るけん面白か」
 顔は赤いけど今度は恥ずかしさだから、僕からは目を逸らしてカナエさんに向き直ってしまったけどしょうがない。

「話の、面白か人やね拓海さんは。こん席に着いてから、二、三時間のもうあっという間」
「大学に入ってからの真一郎の話も、色々聞かせてあげちゃったもんねー」
 カナエさんは僕と顔を見合わせて微笑んでくれる。

 そこに頼んだメニューが運ばれてきて、それがナポリタンで、真一郎が食べている間も僕とカナエさんは、また目線と表情で盛り上がっている。
「ナポリタン」「可愛い」「子供の頃の憧れメニュー」「つい選んじゃう」「フォークの使い方はキレイなのに」「唇はケチャップ色」「可愛い」

「豊中の、フミヨさんの家に連絡せんばじゃろ」
 真一郎が何か言い出したら、もちろんそれぞれの対応に戻るけど。
「うん。さっき簡単にはしたとけど」

「今夜はうちに寄せたなら良か。拓海も……」
 僕に目を向けながら、コップの水をひと口飲み込んで、切り替えてきた。「それで、構わないな」
「僕は、構わないけど……」


        4
 駅のコインロッカーに預けてあった、カナエさんのボストンバッグを引き取ってから、三人で家の扉の前に立った時、カナエさんが真一郎に向けて、僕たちには見慣れた金属片を差し出してきた。
「鍵は、持っとったと」

 真一郎の表情も、僕たちを取り巻く空気もピシッと固まった。
「『押しかけ女房ばして来んね』って……、真兄ちゃんの、お母さんから渡された……」

 そればかりは僕も、不満が顔に出てしまうのを抑えられない。
「真一郎、ご両親にここの住所伝えて、合鍵まで渡してたんだ」
 真一郎はゆっくりと、人形の首が軋みながら動くみたいに、僕にまっすぐ顔を向けて、言いようのない不満で満ちた目の色で言った。
「渡してない」

「……え?」
「俺が、伝えるわけがない」
 表情も声色も懸命に、抑え込んでいるけど、恐怖が伝わってきて僕はゾッとして、
「ごめん。ちょっと貸して」
 とカナエさんの手からひったくった鍵を、鍵穴に差し込んだら、回った。

「開いた」
「まず中に、全員入ってから、話そう」
 扉を開けてまず真一郎、続いてカナエさん、最後に僕が入って扉を閉めて内鍵とチェーンを掛けるまでは、バクバク鳴り出しそうな心臓を騙し騙し、落ち着かせていたけど、
「使えた。え。なんで? 真一郎が渡してないならなんでっ?」

 リビングに入って電気を点けたり荷物を置いて整えたり、は二人に任せて僕はプチパニックだ。手持ちの盗聴・盗撮器具探知機を取り出して、家中のコンセントや窓に当てて行く。
「さすがに、使われんねって……、困りよったら拓海さんの来てくれらしたけん、私は中に入っとらんよ」
「そういう問題じゃない! 僕カナエさんは疑っていないんだけど!」
 ひと通り回ってとりあえず反応は無かったから落ち着いた。

「これって僕だいぶ怖いんだけど! そうだよ。うちオートロックだから、部屋番号知ってたって鍵持ってなきゃ、アパート全体のドア開かない……」
 だから家の前にカナエさんを見て物凄く驚いたんだったって、因果関係が遅れて頭の中で結ばれてきた。

「前に一度会わせたが俺の母親は、異様なほど人当たりだけが良いんだ」
 それを聞いたカナエさんも少しだけ吹き出したけど、まだ分からない僕には分からない。
 部屋着に着替えた真一郎が、ヤカンを火にかけてお茶を淹れてくれるキッチンと、リビングのカーペットに座り込んだカナエさんとの中間で、僕だけがクルクル二人の表情を気にしながら回っている。

「母親の立場を押し出して、泣いて見せたり困って見せたり、行く先々で出会う人たちを、次々に巻き込んで思い通りに働かせる。その場で礼こそ口にして大袈裟に頭は下げてみせるが、金は支払わない。
 後から俺か父親が、費用を工面させられるんだ。母が掛けた迷惑を詫びながら、母の言い分をそのまま信じた人たちから叱られ説教を受けながらだ」
 真一郎の表情も口調も、ちょっとずつ苦そうになっていく。

「本家筋の娘さんで……、あん土地では誰もあの家に逆らえんけん……」
「神の末裔と本家のお嬢さん夫婦って……、何それ最強タッグが過ぎる!」
「俺も、今すごく怖い。まさか、ここまでやってこられるとは、想像が追いついていなかった」

 紅茶を淹れたマグカップ三つを、座敷用のテーブルに並べて三人で囲む。長方形のテーブルの、長い辺に真一郎が座って、短い辺二つのうち真一郎から見て右側にカナエさん、左側が僕。何も間違ってない気がするのに、何かがしっくりこない並び。

「住所と、行き方は教えてもらえたとけど、電話番号とかの、連絡先は聞かせてもらえんで……、お母さんが自分で『連絡しておくから』とか、『喜んでるから心配無い』とか……そがんわけはなかやろねって、思ってはおったとけど……」
「思っておりながら、引き受けたとじゃな。カナエちゃんは」

 両手で抱えたマグカップで、口元を隠すようにカナエさんはひと口飲む。
「なしてな。もう、子供でもなかとじゃけん、どがんした意味になるかくらいは、分かっておったやろうで」
 言葉だけならそれほどに聞こえなかったけど、『押し掛け女房』って要するに、女として手を出されろって意味なんだって、僕は二人の会話や表情から組み立てて遅れて理解する。

「そいでも、良かごて思うたと……」
 マグカップを置いてカナエさんは、両肩を落としてうつむいていく。
「介護の、専門学校も終えて働きよる娘ば、そがん何年も家ん中に置き切らんて……、私、もうじきお嫁に行かされる……」

 聞いているだけで首の後ろ側から、ザワザワと息が詰まってくる。
「農協のおじさんが、良か話ばまとめてくれらすやろて……」
「良い話って、え。カナエさんは知らない人、とかになるの?」
「私は、顔も名も知らんでも……。嫁の来てくれんで困りよる家なら、いくらでもあるとじゃけん」
「カナエさんの意志とか希望とか、気持ちは聞いてもらえないの?」
「拓海さん」

 僕に向けて上げてきた瞳は潤んでいて、
「ここんごたる都会とは違うとよ」
 その目線だけでも僕には突き刺さる感じがした。

「私たちの生まれ育ってきた所では、ただ自分、一人の気持ちではなん決められん。決めたら、いけんわけじゃなかけど決め切れるとは、思われんと。信じられんし、考えられもせんやろうとは思うけど」
 言葉が出て来ない。反論が、許されないわけじゃないけど反論を想定すらされていない。

「オイも、そいで良かて思う」
「真一郎……!」
「オイが家はオイで絶やしたが良か」
 何だこれ。僕にはすごく良く、分かる気がするのに全然、分からない。

「あん家に生まれ落ちた者が、どがん扱いにさせられるかは、オイが誰よりよぉ分かっちょう」
「そいけんせめて、真兄ちゃんに会って話ばしてから、諦めたかて……」
 嫌だ嫌だ嫌だ。なんか、話が変にまとまりつつあるみたいだけど、それって我慢とか自己犠牲とか、一族の掟に一家の絆みたいな、僕には納得も共感も尊敬も出来ない、ちっとも好きじゃないものばかりでぐるぐる巻きにされていて、真一郎までその内側に包み込まれそうだって思ったら、
 あ。

 思わず吹き出して、ふっふっふってそのまま笑い続けちゃった僕に、向けられる表情が、真一郎とカナエさんとでバラバラだ。ごめん。笑いやめたいけどしばらくは、止まらない。
 ようやく治まってから顔を上げてにっこり微笑んで見せた。
「僕、すっごく良い解決策、思いついちゃった」


        5
「本当か」
「解決策て、なん」
「大丈夫じゃ。カナエちゃん。拓海は大学ん時からオイにはいっちょん思い付かんごたる案ば、引き出してくれるけん」
 カナエさんは口を引き結んで不満そうだけど、真一郎は前のめりだ。

「実行に移すには、他にも色々と悩ましか事の出てくるばってん、実現したなら素晴らしかごたる案の」
「聞きたい?」
「ああ。聞かせてくれ」
 すぐ近くまで顔を寄せて来た真一郎からは、目を逸らしてテーブル越しのカナエさんに据える。

「カナエさんはこのまま大阪にいて、真一郎と結婚、したら良いよ」
 見開かれた黒眼がちょっとだけ渇いた。でも、呆れたようなため息で逃がされる。

「九州にはなるべく戻らないで。子供が出来たって、顔写真は送らない方が良いね。その代わり豊中や芦屋の親戚たちには、仲良く暮らしている様子を詳しく連絡しとこう。どうやら真一郎のご両親は、自分では動きたくない人たちみたいだから、情報さえひとりでに飛んで来てくれたら気が済む」

 すぐ近くからは重たいため息が聞こえてきた。
「それが出来るなら苦労はしない」
「なんで? 真一郎だって本当は、カナエさんのこと好きだよね?」
 真一郎に向き合って、テーブルの向こうからの視線も気にしておく。
「実家にはもう帰らない、って決めてからも、気にしてたし忘れてやしなかったじゃない」
 一度会っただけの人でも、僕が名前を忘れるわけがない。

「俺への当てつけもあって、分かっていてとぼけているんだろうと思うが」
「当てつけ? とぼけるって、何の事?」
 カナエさんをチラ、と振り向いて、ぶつかった視線に息を詰めてからだけど、それでも口にしてくれた。
「俺は拓海と別れたくない」
 ありがとう。それが聞けただけで僕は内心超アゲアゲ。

「別れるなんて言ってないよ僕」
 首を回して顔だけはカナエさんにまっすぐ向けておく。
「カナエさんは、僕とセックスして僕の子供産むんだよ」
 逃げようがないくらいまん丸に、カナエさんの目が見開かれた。

「ふざくんな!」
 怒鳴られて真一郎の方を向かされるけど、それは僕には想定内。
「そがんつもりやったらオイが出て行く! お前が責任取って結婚せえ!」
「僕が結婚したって意味無いじゃない。故郷の皆さんが安心して下さるのはあくまでも、真一郎とカナエさん御夫妻なんだから」

 カナエさんが顎に手を当てて考えるそぶりでいる事も、黒眼がちの目は丸く開いたままな事も、僕は目の端に確認している。
「もちろんカナエさんがオッケーしてくれるまでは、僕から手なんか出さないよ。真一郎のことが大好きで、諦め切れずに大阪まで会いに来ちゃうような人、僕が嫌いになれるわけないじゃない。好みやツボが完全に一緒。今日話しながら思ってたけど、僕たち気が合うし、仲良くできるよ」
「カナエちゃん。なん聞かんでよかぞ!」

 真一郎は耳まで真っ赤になって、怒っているのに今にも泣き出しそうに見える。
「ごくろげとる(侮辱している)! 人が真剣に、耳ば傾けておれば……、オイに飽いて女ば抱きとうなっただけじゃなかか!」
「真一郎」
 間近にある唇に、チュ、とわざと音を立ててキスした。

「ごまかすな!」
 もちろん真一郎は払い退けようとして、両腕を振り上げかけたけど、肩から包み込むように抱き締めて、押さえ込んで背中に後ろ頭撫でてあげる。
「嫉妬、しちゃうよね。うんうん」
「嫉妬、じゃなかぞ! オイは本気の懸念で……」
「そんなわけないじゃない。社会制度とか法律とかは置いといて、真一郎は実質僕の妻、なんだから」

「えっ?」
 ビクッとなって真一郎がカナエさんを向いた。
「真兄ちゃんのそっちやったと……?」
「ああ。やっぱり逆だと思ってた。そうなんだよ。僕たちよく誤解される」
 そしてこれ以上は赤くならない顔でうつむいていく。抱き締めているから僕の胸に、顔を埋めていく形になっている。

「何が起きたって僕たちは、絶対に離れないって誓ったよね」
 嬉野温泉で、って口にしたら、カナエさんと会った前後だってカナエさんに気取られそうな気がしたから、エピソードをすり替えた。
「僕の、お父さんにだけは打ち明けて、僕の家の教会で、祭壇の前で祝福、してもらえたでしょ」
 実際あれだって僕の側は相当な覚悟だったんだから。

「僕にとってはずっと、真一郎が一番。いつだって真ん中、なんだけど」
 両腕を離して僕は、なるべく平然とした顔を作って見せた。
「ルールは、決めとこうか」
「ルール?」

「そう。これだけは嫌、これやられたらこの家出て行きます、って条件を、それぞれに出し合って三人で、共有、しておこう」
 テーブルに戻って三人で顔を寄せ合う形に戻す。
「まず僕からは自分に対して一つあって……、ひと晩単位、で考えた場合の順番は……」

 テーブルの向かい側に手のひらを差し出して、
「カナエさん」
 手のひらを、僕から見て右横に移す。
「の次に、真一郎。逆は絶対にアウト」
「ああ。そいは、そうやろうな」
 相当恥ずかしい話だからこそ、はっきり言葉に変えて事務的に。

「真一郎にも、そこは確実に守ってもらいたいんだ。そこの順番だけじゃなくて、この家の中では常に、カナエさんが最優先」
「分かった」
 真一郎の色味もすっかり落ち着いて来たけど、
「今日はどうしても真一郎じゃなきゃ納まらないって日は、真一郎だけ」
 そう言ってやったらまた染まった首筋に手のひらを当てていた。

「カナエさんはその分、日を改めて」
 軽く首を掻いて、ふっと気が付いたみたいで眉をひそめてくる。
「拓海」
「ん?」
「オイたちは、まだ許可なんぞ出しよらんうちに……、それぞれで具体的に考えさせて、実現しやすか方に向かわせよるとじゃろ」

 さすが実質僕の妻だ。僕の思惑を裏まで読み取ってくれる。
「バレた?」
「話に、なり切らん」
 顔を背けてテーブルを一人だけ立ち上がってしまった。


        6
「オイはもう、疲れた。カナエちゃんも、今日はたいてくたびれたじゃろ。ひと晩寝てまた明日、働くごとなった頭で考えようで」
「面白いなぁ」
 ちっとも面白そうに聞こえない声で言ってやったら、振り向いて心配そうな顔になってくる。僕も立ち上がって向かい合う。

「真一郎の方言、ずっと聞きたいなぁって思ってたのに、目の前でよく分からない言葉で話され続けていると、伝わらない。そりゃそうだよね。今まで僕に気を遣って、僕の事思いやってくれての標準語だったんだもんね」
 不満を不満じゃない方向から話してみせると、真意が分からなくて無意識に機嫌を取ろうとしてくれる。そりゃだって実質僕の、妻だから。

「よかったよね真一郎。こないだ僕が帰って来て、すぐ思いっきり愛し合ったから、僕の方には結構余裕があるよ」
 記憶に新しいからほのめかしただけで、生々しく身に甦ってしまう。
「どっちかって言うと真一郎の方が、今週末の今日辺り、可愛がってほしくてこのところ、お仕事頑張ってきたんじゃないのかなぁ?」

 ファミレスで向けてきた目配せの意味を、僕は正確に把握している。
 ーーすっごくザンネン、なんだけど、人前でなんて恥ずかしいから、今夜は手を出さずにいてくれるよね?
 なんて、聞こえてくるみたいに伝わっているけど、声に出して言葉で言われていない事は、僕は知りません。

「イヤ。ダメ。ちょっ、と……」
 触っていったら身を崩して、結構あっさり僕に組み敷かれる。
「恥ずかしい……。拓海ぃ……」
「普段の語彙力なくなっちゃうんだ真一郎。可愛いよね」
 近寄って来たカナエさんを振り向きながら言ってみた。

「カナエ、ちゃん……。そのっ……」
 うつむいた顔を垂らした髪と両手で隠しているカナエさんに、真一郎は息を詰めて、吐息の合間にでもどうにか理性を保とうとしている。
「見るごと、なかじゃろけん席ば……、外しよってもらえたら……」
「ごめんなさい。真兄ちゃん……」

 両手から顔を上げてきたカナエさんは、真っ赤になって黒眼がちの目が爛々と輝いていた。
「そがんと、私もいじっちゃ(ものすごく)興味のあるぅ……」
「カナエちゃん……!」
 ははっ、って僕は思わず、笑っちゃう。ファミレスで長い時間話をしながら思っていたけど、
 二十五歳近くまでを、期待だけ持たせて待たせ続けて、地域全体の親族からのセクハラ発言にも耐え続けてきた、女性の情念を甘く見ない方が良い。

「触ってあげてカナエさんも。ほら。ほらほら。すっごく反応良い」
「いやぁ……。真兄ちゃんのもう……、こげんならして可愛らしかぁ……」
 真一郎の、聞いただけでどうにかなっちゃいそうな声は、自粛。

了 

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