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【noteでBL】なだらかな奈落

 こちらの企画に参加します。

お題:「ふと、振り返るとそこには」で書き出す、
   「過去回帰や回想無し」の話
ジャンル:人間ドラマ
文字数:約4975文字←危なかった

あらすじ:

 天野あまの 拓海たくみは大学で学部首席の池島いけしま 真一郎しんいちろうと出会う。オリエンテーション後に声を掛けられ話をして、真一郎側の事情を聞いた上でアパートでの同居を持ちかけられる。
 即了承して移り住んだが、拓海は地元の人間だ。真一郎には事情を察してもらえたが、移り住んでから思い知った本音はまだ隠している。


    1
 ふと、振り返るとそこには新入生の、学部首席がいた。

 と言うより彼しかいなかった。机と椅子が階段状になっている大講堂の、僕より上の席にはもう誰も、残っていなくて、教壇に向かって左端の出入り口辺りで学生たちが、賑やかに固まりながら少しずつ、外へとほどけて行く気配を感じていた。

 僕と目が合うとすぐ、開いていたノートやペンを取りまとめて、黒のショルダーバッグに仕舞い入れて、立ち上がって僕のすぐ右隣の階段を、下りてそのまま行ってしまうと思ったのに、僕の正面で立ち止まって、
「目を覚ましたならちょうどいい。一旦この教室を出てから話をしよう」
 僕にはまだ夢が続いているみたいな事を言ってくる。

「え。と……、なんで?」
「この教室は次の講義で使われる。開始時間までに出て行った方がいい」
「あ。そうか」
「居座って聴き続けてもいいが、二回生の講義だ。単位は取れない」
「うん」
 寝起きで頭はぼんやりしたまま、僕の方は特に机に何も出していなかったから、生成色の帆布のトートバックだけ肩に掛けて立ち上がった。

 うん、と聞こえるみたいにひとつ、頷いて出入り口に向かう首席に続いて歩く。


    2
 首席は確か、そう、真一郎しんいちろうとかいった。今時すごい時代劇みたいな名前と思って、名字の方は覚えていないけど。

 学部棟を出てすぐの自動販売機に近寄って、
拓海たくみはどれにする」
 語尾が上がっていないから、一瞬僕に訊かれていると思わなかった訊き方をしてきた。

「なんでいきなり名前の呼び捨てなの。距離感おかしくない? あと、どうして僕の名前知ってるの」
「後で話す。後ろに待っている人がいるから早く選んでくれ」
 コーラとブラックコーヒーの缶を一本ずつ出して、指の長い手で二本とも掴み取ってまたスタスタと先を歩いて行く。

天野あまの、拓海だったな。すまなかった。俺は他人を名字で呼ぶ事に慣れていない」
「何それ。ちょっと意味が分からないんだけど」
「俺の故郷では全ての家の名字が俺と同じ池島いけしまなんだ」
 池島、真一郎、と名字を付けて頭の中で繰り返した。

 午後の三時を過ぎたあたりで、人もまばらな学食に入ると、受け取り口に近い端の四人掛けテーブルを選んで、壁一面の大きな窓を背にして座って、向かい合って座った僕の前にコーラの缶を置いてくる。

 ショルダーバッグは隣に置いて、缶コーヒーのプルタブを開けてひと口飲んでいる間、頬杖を突きながら眺めていたけど真一郎は、午前中の入学式で登壇したままのスーツ姿で堅苦しい。こっちはジーンズにパーカーなのに。僕だけじゃなくて見渡した感じ、他の大学生もそんなものなのに。

 黒髪もワックスで艶を出して、きちんとクシを入れた感じに整えてある。僕は高校を卒業してから、明るい茶色に染めちゃって、手ぐしで雑に散らしちゃっているから、真一郎と向かい合っているところを見ている人たちから不思議がられそうだ、と言うより僕が今不思議。

 僕もコーラを飲み始めたあたりで言ってきた。
「ずいぶん気持ち良さそうに眠っていた」
 さっきまでの新入生オリエンテーションの事だな。

「学生番号順に席を指定されていたから、た……天野が俺の一つ前だった」
「いいよもう、拓海で」
「ありがとう」
 全く思いがけないちっちゃなところでお礼を言われたから、吹き出しそうになったコーラを喉に引っ掛けた。しかも咳き込んだ僕に身を乗り出して、「大丈夫か」とか言ってくる。

「だいじょうぶっ……だけどっ……、炭酸飲んでる時に笑かさないで……」
「笑わせるような事を俺は言った覚えが無いんだが」
「そこっ……、そういうとこだってば……」


    3
「目を覚まさないから何度も呼ばれていた。一つ後ろの席で繰り返し聞かされれば覚える」
 ショルダーバッグのファスナーを開けて、取り出してきた分厚い冊子を僕の前に置いた。

「シラバスだ。他にも拓海の分の書類は俺が預かっておいた」
「シラバス? って、何?」
 真一郎は少し眉をひそめて、僕の質問返しには答えないまま溜め息をついた。

 息を吸って、背筋を立て伸ばして腕組みして、
「在学中に取得すべき単位数と、一回生のうちに取得しておく事が推奨される単位数は?」
 こっちの背筋も引き伸ばされるような調子で、口にしてくる。
「なっ……、何?」

「中講堂、大講堂で行われる特別講義と、通常教室で行われる、前期・後期に分かれた通年講座の位置付けの違いは?」
「い……位置付け? さぁ」
「選択した講義または講座の履修者登録は、どこで行う? 教授の評価と、単位が確かに取得できた事を、俺たちはどこで何を見て確認すればいい?」
「わ、分からないよ。そんなの」
「すべて先ほどのオリエンテーションで説明された内容だ。聴いていた者は皆分かっている」

 僕の前に置いた方じゃなくて、真一郎の手元に置かれていた同じ冊子を、取り上げてパラパラとめくっている。
「このシラバスにも、今年予定されている全ての講義・講座概要と共に、先ほど聞かされた内容が附録として記載されている。これを見て即行動できる者であれば、わざわざオリエンテーションになど出る必要は無い。しかし」

 パタン、と閉じたシラバスをテーブルの元の位置に置き戻してから、顔を上げてくる。
「拓海は困るだろうと思った」

 左右できっちり対称みたいな、卵形の顔は色白で、一重のまぶたに縁取られた黒い瞳に、真正面から見据えられると僕は、頬とかが、熱くなってきたけどそれはだって、恥ずかしい状況だからなって自分に言い聞かせながら、両手で顔を押さえて、
「あり……がとう……」
 だけはどうにか呟いて、うん、とひとつ頷いているところを指の隙間から見ていた。

「だけど、その……」
 顔をこすって息をついて、気持ちを落ち着かせてから手を離す。
「放っておいてくれて良かったのに。なんでわざわざ、知り合いでもない僕に、そこまで……」

「俺は気遣いが出来ないからだ」
 堂々と言ってくるけど、ボケみたいに感じてツッコんでしまった。
「どの口が言ってるの」
 こっちはさっきから細かく気遣われているとしか感じていないんだけど。
「事実だ」
 呟いて真一郎はまたコーヒー缶に手を伸ばす。

「幼い頃から何くれとなく与えてもらえて甘やかされてきた。一般的な感覚や常識を知らないから、人の気持ちが汲み取れない。俺も自分のこうしたところには辟易している」
「へきえき」
 何だろうそれ、と思ったけど、今訊く事じゃない気がして黙っておく。

「大学に入ったら、誰か一人、たった一人でいい。困っている奴に気が付いて、面倒を見られる人間になりたいと思っていた。初日からすぐ近くに拓海がいただけだ」
 嬉しい、ような気もしたけど同じくらい、寂しい気もして、じゃあ真一郎が気に掛けてくれたのは、今日だけの、このコーラひと缶分の時間だけで、このテーブルを離れたらもう何の関係も無くなるんだ、と思っていたから、

「恩に被せるつもりはないが頼みがある」
「何?」
 と返した時には、どんな頼みだとしても聞いてみる気満々でいた。


    4
 まずは見てもらいたいと、真一郎が一人暮らししているアパートの部屋に案内された。
 リフォームされたばかりの、壁も真っ白な2D Kで、お風呂とトイレは分かれている。ダイニングの中央に置かれたテーブル以外は、大きな家具も無くて、真一郎の荷物はベランダに接して並んだ二つの和室の、キッチンに近い四畳半の隅に寄せられていた。

「学生には分不相応だ」
 真一郎はそう言うけど、築年数は古いから、オートロックでもなかったし洗濯機置き場は室外だし、ちょうどいいくらいじゃないかなって僕は思う。
 真一郎は(多分)東京の人だから、学生と言えばワンルームみたいに思っているんだろうけど。

 テーブルに向かい合わせで座って、マグカップで出された紅茶を飲む。
「奨学金をもらっている身分で、俺一人では家賃を支払えそうにない」
 奨学金、と聞いて思わず首を傾けた。

「誰か一緒に住んでもらって、家賃を折半すればどうにかなると思った」
「実家はお金持ち、なんだよね」
「物乞いだ」
 ビクッ、と震えがきそうなキツい単語、だったけど、僕は両手にマグカップを持ったまま、真正面からの目線を受け止めている。

「俺が生まれたというだけで、両親は偉そうにふんぞりかえって、俺に援助してくれる親戚たちに礼すら言わない。産んで育ててくれた事には、感謝しているが」
 ひとつ息をついて一旦、目を伏せただけでまたすぐに上げてくる。
「俺は実の親二人を軽蔑している」

 軽蔑、なんて言葉が、こんなにまっすぐに聞こえた事なんて無い。
 きっとこの先も、真一郎以外の誰の口からだって、聞ける事なんか無い。

「うん」
 半分ぼんやりしたままで口にしていた。
「いいよ。僕、ここに移って来ても」
「ありがとう」
 それを言う時だけはっきりと笑顔になるから吹き出してしまった。

「だから……笑かさないでって……」
「礼を言って笑われる理由が分からない」


    5
 祝杯でも上げない? ってもちろん冗談で言ったんだけど、真一郎からは「未成年だ」って断られた。思っていた通りで笑っちゃった。
 デリバリーしてくれたピザとコーラを、真一郎の部屋のローテーブルで、畳に座って食べる。ダイニングからやって来る途中で僕の荷物が入ったもう一つの部屋を眺めて、「家らしくなった」って微笑んでいた。

「東京の人なんだよね?」
 確かめるつもりで訊いたのに、
「九州だ」
 と返されて驚いた。

「ちっとも訛っていないんだけど……!」
「言葉はコミュニケーションに資するものだからな」
「しする、って何?」
「俺と同じくらい日頃から使いこなしている相手でなければ、方言は出てこない。出したくないわけじゃない」

「九州の人なのに日に焼けてもいないし」
 言ってみると白い頬を赤くして、
「悪かったな。アウトドア志向じゃない九州人もいるんだ」
 すねた感じに返してきたけど、そこ全然気にするとこじゃないのに。

「拓海は、どこの出身だ」
 訊かれてピザが喉に詰まる感じがした。口を押さえた顔を逸らしてうつむいてしまって、「どうした」と心配そうな声が追いかけてくる。

「……地元」
 だいぶ後ろめたい気もしたから、身を縮めて真一郎の顔を見上げる感じに答える。
「大学、と同じ、大阪府、です」

 驚いた、みたいだけど真一郎は顔に出さない。
「関西弁じゃない」
「関西弁が、苦手で使いこなし切れない関西人もいるんです」
「学生寮に住んでいると言っただろう」
「それはその……、訊かれてとっさに飛び出しちゃって……、そこからは、話を合わせていたっていうか……」
「何だそれは。いや」

 真一郎の表情が固まって、まずいと思った。 
「俺があの流れで頼んだからか」

 僕からも、テーブルのピザからも身を遠ざけて、壁に背をもたれて座りに行く。肩全体でつく溜め息が重い。
 僕は、ゆっくりと身体の向きを変えて、真一郎に膝歩きで近寄って、出来るだけ明るく聞こえる声を出そうとした。

「だけど、その、大丈夫だよ。家からは一時間以上かかっていたから、大学の近くに住みたくて」
「通学費で済むのと、家から出すのとでは桁違いだ。親御さんの負担が」
「……良いんだよ! あんな家、僕にはちっとも居心地良くなんかないんだから!」
「ちょっと、いいか」

 いきなり振り向いてきた真一郎の顔は、息がかかるほど間近で、頬に触れられて額から前髪を掻き上げられて、
「ふあっ……!」
 って変な声が出ちゃうくらい、心拍が急激に速まった。

「白髪が、多いな」
 顔も耳も、一気に熱くなったから、胸を押さえて真一郎には背を向けてうずくまったけど、真一郎からは多分、地毛がほとんど白髪だと知られて恥ずかしいみたいに思ってもらえている。

「気になっていたんだ。あの状況でぐっすり眠り込んでいられる奴は、よっぽど神経が図太いか、そうでなければ……」
 神様。ごめんなさい神様。僕は卑怯者です。卑怯者の嘘つきです。

「気が休まる場所にようやく身を置けたかだ」
 好きな人が、ちょっとずつ気が付いてはいたけど、今はっきり好きだって思っちゃった人が、きっと誤解もあるのに気を遣って、一緒に暮らし続けてくれちゃいそうな事が、
 僕は嬉しくってたまりません。

了 

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岡埜 由木古(偏光) 何かしら心に残りましたらお願いします。頂いたサポートは切実に、私と配偶者の生活費の足しになります!