心が綺麗な人には見える
はじめましての人も、前から知ってる方も、ごきげんよう。
岡埜 由木古です。
ナニのはなしであっても私は至極真面目に語りたい派。
(文字数:約1000文字)
これは、高尚なお話です。
私は今年から仏道に勤しむ事に決めました。
と言っても高野山で授戒し、戒名を頂くだけの、優婆夷、すなわち在家信者になる予定です。
宗派によっては否定されるかもしれませんが、あくまでも、釈迦の説法に基づけば、仏教を学び仏道に則って暮らし、その教えを世に広める者であれば、僧と認識しても良いとのこと。
聖徳太子が仰った「篤く三宝を敬え」の三宝とは、仏・法・僧の三種であり、僧とはつまり僧侶と一般的に解釈されていますが、厳密には僧伽。
つまり仏道に生きる事が出来たならば、私は僧であり、皆様も僧である。
誰しもがなろうと思えばいつでも宝になれるわけです。
何なら生きとし生けるもの皆国宝と言っても過言ではないわけです。
そういった次第で私は真言系仏教の、特に曼荼羅が大好きです。
曼荼羅と名のつく図像であれば基本的に面白がります。
大丈夫です、アラさん。件のアートに私は手を叩いて爆笑しました。確かにあれも一種の曼荼羅であると、私は認めます。
さてこの記事の要点はまずこちらをご参照ください。↓
そしてこれが、上記記事で話題にした『南方マンダラ』です。

これは、高尚なお話です。
一見してとっさにナニかを思い出した方も、いらっしゃるかも知れませんが、これを展示紹介していた博物館も、これを中央にプリントしたTシャツを販売しており、これを書き記した南方熊楠本人も、またこれを主に仏教面から解説した学術書も、
ナニか脳裏をよぎったものがあるなどとは、おくびにも出しておりませんので、ご留意のほどお願いします。
その上で、断言させて頂きたい。
この図像、正確には『南方マンダラ』を、真に理解し切れた者には、とっさに頭をよぎったかもしれないそのナニかと対峙した際にも、まさしくそのナニカから、仏を感得する事が可能であると。
これは、高尚なお話です。
そもそも頭をよぎったかもしれないそのナニかは、冷静に考えてみれば、本来高尚な存在ではなかったですか?
注:とは言えこの記事は、マンダラらしからぬ図像のインパクトや、高尚めかした文章とのギャップで、クスッときてもらえることを望みながら書いたものですが、伝わりますでしょうか。
以上です。
ここまでを読んで下さり有難うございます。
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