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好きにやるがよろしい

 効率を重視するあまり、
 ドラマに映画はまず最後がどうなるかを確認して、
 気を落ち着けてから観るという話があるが、

 好きにやるがよろしい。
 「どんな気分で終われるか」が気になるのだろうし、
 最後を見た程度で内容が理解できる話など、
 私は書いていない自負くらいある。


 予測変換技術が進み、
 漢字は読めるけど書けないものになった、
 これからもどんどん書けなくなるという話があるが、

 好きにやるがよろしい。
 そもそも漢字が正しく書けるか否かごときを、
 知性の判断基準にして時に笑ってきた事実を恥としてほしい。
 点訳ボランティアなんかやっていると特にそう思う。


 一つ一つの着想はすごいと思うんだけど、
 これは小説なんだから、
 もっと読者に分かりやすいように、
 伝えたいポイントを絞って再構成しないと、
 とわりとしっかり正解っぽい事を指摘されもしたが、

 好きにやるがよろしい(自分に)。
 改めて今現在書きまくりながら実感しているが、
 私は読者の分かりやすさとか伝えたいポイントとかよりも、
 主人公の人生(しかも15から16の約一年半の男子)をそのまま、
 ほぼ時系列に思考の流れに沿って書き表す方に興味がある。

 ほぼ考えてなどいない。
 主人公が周囲の人々の中で、
 どう思考し行動するかに任せている。

 事前の下書きはほぼ無効だ。
 一行ずつを書き記して行くうちに、
 主人公も成長し思考が変わり行動が変わる。

 好きにやるがよろしい。

 以前から自分でも気になっていたんだが、
 「小説」という所詮近代以降に誕生した表現形式名で、
 ほぼ全てのフィクション著作物を言い表す事自体、
 もはや問題が生じているのかもしれない。

 新しい表現形式名を生み出していいのかもしれない。

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岡埜 由木古(偏光) 何かしら心に残りましたらお願いします。頂いたサポートは切実に、私と配偶者の生活費の足しになります!