見出し画像

読書と怪談とヘーゲルと

 はじめましての人も、
 前から知ってる方も、
 ごきげんよう。

 偏光です。

 読書は能動的であってはならない。 

(文字数:約1500文字)


  書物の種類や性質にもよるので、
  一概には言えないが、

  少なくとも小説、に関してだけは、
  「これは何を言っているんだろう?」
  「裏に別の意図が隠されてないか?」
  といった、
  積極的かつ能動的な読み方は、

  オススメしない

  それはそういうものなんだと、
  一旦は全面的に、
  完全受容してみる姿勢こそ、
  強くオススメする。

  書く側の方でもなるべくなら、
  小説家本人や周囲の人々とは、
  関わりのない人々や事柄についての話を、
  書いておいた方がいい。

  なぜならこの「完全受容の態度」は、
  慣れない人や馴染みのない人には、
  極めて困難で、
  苦痛にすら感じられるだろうからだ。

  私自身は大得意なのだが、
  それも幼少期に三畳ほどの小部屋の、
  家中の本を集めた大きな本棚の前に、
  座らされて過ごしていたからで、

  もちろん両親は、
  下の段の絵本を読んでもらうつもりでいたが、
  私は分厚い本も字がビッシリ詰まった本も、
  引き出しては意味など分からないままに、
  広げて繰り返し目を通していた。

  親と対話するより先に、
  テレビなどの映像を見せられるより先に、
  字面とその並びによる情報を、
  取得する技ばかりを鍛えられた。

  この特殊な生い立ちあってこその、
  完全受容能力なので、
  それは一般平均よりは特化しており、
  通常は身につけにくいだろう事も察し切れる。

  しかし先日中山市朗先生主催の、
  プライベート怪談会に参加してみて↓

  怪談会、という場も同様に、
  完全受容でなければ成り立たない。

  「嘘でしょ」
  「何言ってんの」
  「そんな事あるわけないじゃん」
  とかいちいち思ってしまっては、
  そこで話が終わって大変に、
  面白くなくなってしまう。

  「うわぁすげえ」
  「そんな事あるんだ」
  とまずは全面的に受け止めた上で、

  「あれ? なんか私にも似たような事が」
  「そういえばアレってもしかして……」
  と自分の内側も見つめ直し、
  何かを引き出してみようとする。

  読書と怪談会に共通する、
  この流れはもしかすると、

  哲学者ヘーゲルが唱えていた、
  『然り』の状況ではないか。

  って私もヘーゲルについては、
  NHK『100分de名著』の、
  「精神現象学」の全4回分を、
  観た程度の知識しか無いが。

  中学高校大学あたりの、
  文系の授業で小耳には挟んで、
  語呂だけはおかしみがあって覚えている、
  アウフヘーベン(止揚)というヤツだ。

  対立する相手側の言い分を、
  まずは聞き取って受け納めて、
  『然り』と頷いた上で、
  自分側の言い分にも反映させる。
  反省点がある事をただ認める。

  対立し合うもの同士を、
  双方が反省し合う事によって、
  より高みへと精神的に引き上げる。
  その流れがつまりアウフヘーベン。

  その状況が、
  読書あるいは怪談会にあっては、
  それほど強く対立する必要も無く、
  自然と導き出されるわけだ。

  端的に言って面白いわけだ。

  ヘーゲルは理性を薔薇と捉え、
  最終的に「薔薇と踊れ」と表現するのだが、
  ってこれもまた、
  「100分de名著」で観た知識でしかないが、

  脳内の景色は確かに、
  理性と踊っている状況だろうと、
  思わされたという、

  ここにきてさぁ皆様、
  ご存知の方はご唱和下さい。

なんのはなしですかも『然り』だな。


以上です。
ここまでを読んで下さり有難うございます。

いいなと思ったら応援しよう!

岡埜 由木古(偏光) 何かしら心に残りましたらお願いします。頂いたサポートは切実に、私と配偶者の生活費の足しになります!