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芸能の端緒

 昨日は悲しい話で終わってしまったが、
 故郷方言がなぜ、如何にして音楽性を有するかについて、
 より一層深く掘り下げてみる。


口数の多さ

  故郷方言の最大の特徴として、
  冗語(いらん情報)が多い。

  とにかく何でも良いから口先を動かして、
  大量の語句で取り囲み、
  結論部分は言わないようにする。

  更に言えば敬語の種類も標準語どころじゃなく豊富だ。
  その場にいるメンバーの構成と年齢差、
  つまり力関係に応じて微妙に使い分ける。

  気遣い、と言えば聞こえが良いが、
  下手に結論部分を口にすれば、
  誰か有力者の機嫌を損ねかねず、
  責任を取らされかねないからであるような気もする。

撥音、拗音、促音の多用

  短い時間で大量の口数をさばくために、
  まず早口になり声のトーンも上がり気味になり、
  撥音(ん)、拗音(小さなやゆよ)、促音(小さなつ)が多用される。
  それが独特の音楽的リズムを生み出していると思う。

  例えば今即興で、
  女性二人の会話を作ってみる。

  太字部分は我ながら、
  書いていていかにも故郷方言らしく思えた箇所だ。
  「言わんでいい」とツッコミたくなる。
  現実にはその場のしゃべり手にツッコめるものなどいないが。

  「今日は朝から町ん方さん出よったとばってん、
   電車に乗りよった間に窓ん外で雨の降り出してからさ。
   電車の着いた先の駅ん隣のコンビニで、
   ビニールんカサば500円くらいで買うたとにから、
   帰りん頃には雨のきれーいに上がっとったもんじゃいけん、
   どっか分からん思い出しも切らん場所に置き忘れて来とっとよ」
  「あいたー。そいはまたぁー。どぉーろ

  冗談でもふざけているわけでもなく、
  ほんの日常会話でこの語句量だ。

  私の文章が短文に収めにくい要因にもなっていると思う。
  こうしたしゃべり口調が標準語に直したとて、
  耳にこびりついている。

  標準語での会話なら、
  「今日はいきなり雨が降ったからコンビニでカサ買ったのに、
   帰りには晴れてて忘れて来ちゃった」
  「もったいな」
  くらいで済む話だろう。


わりと高度な技術

  侮れないのは語尾の微妙な選び具合で、
  故郷方言ネイティブであれば、
  「(仕事等の自ら望んではいない用件で)町に出た」
  「滅多に行かないだろう町の情報を、
   なるべく細かく提供してあげる。
   500円くらい私には大した金額じゃないのよ」
  「帰りは良く晴れていたせいだから、私は悪くない。
   (傲慢と言うより非を明確に認めたならば責任を取らされる)」
  と思っているだろうニュアンスまで汲み取れるので、

  聞き手側の女性としては、
  感情のみを最大限に表して、
  相手を非難する口調にならないよう気をつけるしかない。
  (しゃべるのが得意でない人であればその方が楽だ。)

  しゃべり手側は微妙なニュアンスまで含めてひたすらに、
  「ん」や「っ」を多用したリズミカルな長文をしゃべり続ける。
  聞き手側も感情だけは豊かに表現する。

  内容などはほとんど無いか大して重要でもないのだから、
  日常会話はふんふん聞き流せる程度の音楽、
  しゃべり手の姿は適当に見流しているテレビ番組に等しい。

  重要な、あるいは深刻な会話はどうするかって?
  人も減るし口数も格段に減るよ。
  だから誰かがしゃべり続けていられる間は、
  集団は至極平和とも言える。

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岡埜 由木古(偏光) 何かしら心に残りましたらお願いします。頂いたサポートは切実に、私と配偶者の生活費の足しになります!