見出し画像

ノスタルジーの味

 はじめましての人も、前から知ってる方も、ごきげんよう。
 岡埜おかの 由木古ゆきこです。

 他人のそれを侮るなかれ。

(文字数:約1200文字)


 知らない者にはどうだっていいが知っている者にはたまらない。

 街角で催された物産展に立ち寄り、ふと目についた途端に、ノスタルジーが湧き上がり購入せずにはいられなくなる。

 今回はただそうした二品の紹介だ。

 路地裏出身を標榜し、故郷は存在しないと豪語した私だが、生まれ育った土地ぐらいは存在し、時折襲い来るノスタルジーには抗いがたい。

 まず一品目。

 長崎のこぢんまりとした中華街に、日夜積み上げられていた、菓舗蘇州の赤色が目を惹く素朴な小麦菓子、「麻花兒まふぁーる」。
 庶民の我々は普段使いの言葉で「よりより」と呼んでいた。

 小麦粉そのものをねじって堅焼きにしたまでであり、それほど甘くないし何よりも堅い。他人様にお勧めしようにも、素朴そのものの味わいであるのだが、私にはたまらない。

 ノスタルジーはとんでもない甘味である。


 ついで二品目。

 頰被りをする草鞋履きのコソ泥を、パッケージにあしらった商品など、果たして他に存在するのだろうか。
 しかもフンドシを翻してもいる。そればかりか、そのフンドシが現実には有り得ないほどの、しかし食品パッケージとしては最適な真っ白である。

 長崎県、の中でも県庁所在地から車で2時間ほどは離れた、在来線なども存在しない、リアルに私の郷里に近い店、大平おおひら食品の「めし泥棒」。

 いや。パッケージ下部の住所に注目してほしい。
 布津町ふつちょうはまだ私の郷里よりも人口がある。番地の前がおつ、とまだ二番手だ。私の郷里はだ。

 こうおつへいていこうしんじん
 いわゆる十干じっかんの五番手だ。

 甲、と、庚、の音が重なってしまうため、実際の番地に庚以降が使われる事は滅多に無い。つまり戊は下から数えた方が早い。

 めしがどんどんなくなってしまう、という意味で「めし泥棒」と名付けられた、いわゆる「ごはんのお供」だが、要は金山寺味噌だ。

 我が家は月一回和歌山県に赴くのだから、そちらで買った方がいい。
(※金山寺味噌の発祥は和歌山県)
 道理や効率から言えば、それが正解だと分かってはいる。
 地産地消精神や鮮度を考えても、その方が美味しさにつながる。

 しかし、ノスタルジーが私にそれを許させない。
 ノスタルジーはとてつもない旨味である。

 他所の方々が興味を抱いて手に取り購入して下さるのは有難いとしても、
「おいしくない」「大した事ない」「わざわざ買うほどのものじゃない」
 などと言下に退けたまうな。

 人はノスタルジーも同時に食しているのだから。


以上です。
ここまでを読んで下さり有難うございます。

いいなと思ったら応援しよう!

岡埜 由木古(偏光) 何かしら心に残りましたらお願いします。頂いたサポートは切実に、私と配偶者の生活費の足しになります!