髪を切ったら當麻寺
はじめましての人も、前から知ってる方も、ごきげんよう。
岡埜 由木古です。
見出し写真は千世さん撮影。
庭園から見上げる東塔(三重塔)が格好良かった。
(文字数:約2400文字)
当麻と言えば相撲が出る人どんだけいる?
ご近所さんと、普段使いの電車に乗って、路線沿線のお寺に行く。
幸いであったのは私の場合、そのご近所さんが千世さんであることだ。
千世さんの當麻寺記事はこちら↓
まさか大阪府の中でも南河内の住人だとは。
そして近鉄南大阪線を、当麻寺駅で降りるとそこは奈良県だ。降りてすぐ現れる看板が示す方向に、進んだ道の突き当たりに仁王門がある。寺の表記は當麻寺。当麻一族の氏寺だという。
当麻と言えば私の中では当麻 蹴速。日本で初めて相撲を取った人物、と言うことで道中には蹴速の塚と相撲館がある。
蹴速、負けた側だけどな(しかもその勝負で亡くなっている)。
でも結構好き
(;∀;)
仁王門をくぐる前に腹ごしらえ。釜めし屋「玉や」に入る。
釜めしを、そのまま、卵かけ、出汁茶漬けと、何度も(せんど)食べる「せんどめし」が美味い。
釜めしはもちろん、おひたしも佃煮も豆腐も、奈良県内の食材にこだわっている。
何それそんなの聞いたこと無い
まず宗派は真言宗、と浄土真宗、を1年ごとに交代する。
って何それそんなの聞いたこと無い
(;・∀・)(・▽・;)
異論はありそうだが例えて言うなら、朝日新聞と読売新聞を一年ごと交互に購読するような違和感。やっちゃいけないわけじゃないけど、普通そこはやりませんよね、みたいな。
何せ寺域が広いんだ。奈良や京都では普通だと思うけど。境内の中に大阪でイメージする寺が三つか四つ入っている感覚。
仁王門を入ってすぐの左手にある中之坊が真言宗、奥院が浄土真宗。ですが今回は、中之坊と、本堂・金堂・講堂で、時間と集中力が限界になって帰りました。
とにかく中将姫推し
余談なんだけど大将・少将が「しょう」なのに、中将だけが濁るのちょっと不思議。
それはともかく当麻寺はとにかく中将姫推し。
奈良時代に中将職にあった、藤原豊成の娘で、16歳で出家し當麻寺に入ったと伝わる。
仁王門を入って本堂に向かう途中には、屋根をつけて囲われた中に大きな松の幹だけが、何の説明も無くただ置かれていて困る。近くの石碑に中将姫の文字が読み取れるけれど、そのそばの文章は昔の仮名で読み取れない。
帰ってから調べて中将姫お手植えの松だと知る。
當麻寺本堂の御本尊は、中将姫が一夜にして織り上げたと伝わる、極楽浄土を表した曼荼羅(の複製)だし、
中之坊の本堂では中将姫の守本尊と伝わる導き観音が、毎月16日だけ公開されるし、
中之坊の霊宝館には中将姫の髪を剃ったと伝わる日本最古の剃刀やツムラの中将湯まで展示されている。
ってかツムラの中将湯って中将姫だったんだ。
何より参詣した6月16日は、ちょうど年に一度の髪供養会。
中将姫にあやかって、髪を少しだけ切って願掛けをしませんか、と誘われたのだが私も千世さんも、當麻寺に限らずどこであっても願掛けはあんまりしない。
駅近くには地域の銘菓「中将餅」まである……、と言うのにこの日はなんと定休日で買えなかった。
食いたかった
(;∀;)(;▽;)
庭園と茶室と陀羅尼助
中之坊では桃山時代に造られて、後西天皇を迎えるため片桐石州が改修したという庭園を周回できる。
片桐石州は私は知らない人だけど、千世さんが当然のように詳しかったので、庭園や茶道の世界では基礎知識レベルの方であるようだ。
あんまり知らないから申し訳ないけど茶室「知足庵」はすごく価値のある物を見られている気がしたよ。
ちょうどアジサイが咲き誇っていて、色も赤、青、白と、それぞれの濃淡が株によって様々に分かれていて飽きない。
スノーフレーク(カシワバアジサイ)という、花序部分が真っ白な品種を初めて知った。
ところで中之坊の山門には、役小角が漢方薬の陀羅尼助を作ったと伝わる、大窯が展示されていた。そもそもの創建は役行者だったんだね。
本堂と金堂
中之坊を出たら今度は本堂に向かってみる。道中にまた三重塔が見えて、こっちは西塔。
三重塔を、古代の寺院は必ず東西の二つ造っていたそうなんだけど、ほぼ同年代で両方が現存しているのは當麻寺だけらしい。
本堂ご本尊の當麻曼荼羅はともかく、曼荼羅を収めている奈良時代の厨子に、厨子を安置している鎌倉時代の須弥壇が、源頼朝の寄進と伝わっているわ細かい螺鈿も入っているわで、貴重にも程がある。
あんまり貴重だとそばに座るの恐ろしいのよド庶民だから。
(((○∀○)))あわわわ
中将姫が曼荼羅を織ったと伝わる部屋、が観音像以外何も無いんだけど、ちょうど織機があってもおかしくない感じの広さで趣き深い。
あと弘法大師が當麻寺に真言宗を伝えるために籠った部屋、が世にあった頃の人間としての空海好きな私としてはたまらん。
金堂は弥勒菩薩像を中心に四天王像。他は白鳳時代(大化の改新の頃)なのに、多聞天だけが鎌倉時代で、足元に踏まれている邪鬼の造形まで明らかに異なる。何が異なるかって筋肉感と躍動感だ。
とは言え白鳳時代の増長天・広目天・持国天も、顎がしっかりして顔全体が四角く見える、私の本来の好みの顔だな。
(・m・)ニヤリ
本来? あ
(・ω・)(・m・;)
実は配偶者は本来の好みじゃなかったんだが、まぁ人の好みなんか生きていくうちに出会う人によって変わるもんだ。
以上です。
ここまでを読んで下さり有難うございます。
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