自己供養備忘録
今書こうとしている小説のキモになる部分で、
人によっては不快に感じられる思考かもしれないけれども、
だからこそ小説、つまりフィクションの形式で表せば、
多少やわらいで受け取られるんじゃないかと
思ってもいたんだけども、
今朝6時頃にその発展系が頭に浮かんだので、
まとまるか分からないけど記録しておくのも、
無益ではないかもしれない。
フツー経験せんでええような苦難に、
幼少期からアホほど遭わされてきた結果、
私は心の一部が死んだと思っているし、
心は一部だとしても死ぬ事があると思っているので、
ここから先は「心の一部が死んだ者」の言として、
読み進めてもらいたいのだけれども、
恐ろしいと同時に哀しい事に、
死んでしまった「一部」は、
常にただひたすらこの世の全てを愛し続けているんだ。
いやマジで。
恨みに思いこの世を呪っているように見えるのは、
残念ながら生きている者の都合による感覚なんだ。
この世の全てを愛していればこそ、
悪かったのは愚かだったのは生前の自分でしかない。
「心の一部が死んだ者」にとっては、
過去を後悔するどころではなく、
自分を責めるどころではない。
自分の一部が死んだまま腐り続け、
死の方向に引きずられて行くのを、
日夜ひしひしと感じ取っている状態だ。
故に「心の一部」であるとしても、
何らかの「供養」が必要になる。
供養のまず第一工程は、
死んでしまった部分と自分の身とを峻別する事だ。
血肉を持って生まれ出た以上私は生きて在り、
かろうじて保ち続けて来られた以上未だ在り続けている。
ちょっと恐ろしい事を断言し切ってしまうが、
過酷な経験は確かに、
人の心の大部分を仏に変えてくれるけれども、
人の身はもちろん仏に変わる事を望んでなどいない!
断じて、いない!
個として保たれて在る事、
誰によっても心身を損なわれない事が、
人の身に生まれた以上根底に有する煩悩だ。
多くの人の誤解を解きたいがために、
私は事あるごとに繰り返したいのだが、
仏教は煩悩を否定などしていない。
仏にとってはこの世に血肉が「在る」事自体が喜ばしいのだ。
保たれて在る者同士が、
お互いを保たせ合って暮らしてくれるだろうと、
何の疑いも無くただ思っている。
ただただこの世を愛し続けているので。
然るになぜそれが現実においては上手くいっていないのか、
上手くいっていないように人の身には感じられるかと言えば、
まず「自分を保たせる」事が前提である事を、
多くの集団が失念してしまうから、
のような気が私個人はしている。
まずは自分を保たせて、
自分にはこれで充分であると気付けた上での、
他の存在への分け与えが原則だ。
充分に持っているもの、
わずかしか持っていないものは、
人によって異なるのだから、
その見極めと、
「自分には何が必要か」を知る事も重要。
しかしながらそれらは全て、
他の存在から左右されるべき事ではない。
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