【亀好書房①】オーストリッチに涙する
はじめましての人も、前から知ってる方も、ごきげんよう。
岡埜 由木古です。
君は文字に飢えた事があるか。
無ければいっそ能動的に、飢えてみないか。
(文字数:約1600文字)
「あっ。点字が書いてある!
……と思ってふと手に触れた友達のバッグを、嬉しくなってどんどん触っていったら、あれ? 読めないってガッカリして……。
それ、オーストリッチだったんですよ」
私は今現在点字翻訳ボランティア員、15年以上のややベテラン(※私が所属する団体では20年継続で初めて表彰を受ける)なんだが、
養成講座を受けた当時に講師をしていた職員さんが、笑い話として語ってくれたそのエピソードを、聴いた時の自身の衝撃を忘れ切れずにいる。
その正体がダチョウの革だろうと、オーストリッチを使っているからにはブランド品だろうと、そんな事は彼女にとって何の価値も無い。
点字が書いてある!
と勘違いであれ思った事が、その喜びの全てだと言うのだ。
「私たちは文字に飢えているので」
と続けられて更に畏れを成した。
文字に飢える、という感覚を、果たして晴眼者が味わう事はあるのか? 晴眼者にとっては、今や飽和しまくっていてこれ以上入れたくもない代物に成り下がってはいないか?
私も飢えた事は無い。
しかし、オーストリッチのイメージと共にその片鱗だけでも感じ取れた。点字と思ったなら触り進めずにはいられない、その渇望を。
と同時に背筋には冷や汗を感じた。
もしかしてその飢えとは、世の小説家が渇望してやまない、理想の読者のあり方なのではないか?
いや。ここは一般化せず正直に言おう。
私が求める理想の読者は、もしかすると、文字に飢えている者の内にいるのではないか?
文字にこそ飢えていないかもしれないが、正直に言ってどうだ。
自身が本当に面白いと感じる、貪るようにのめり込める小説に、出会えている人はそれほど多くないんじゃないのか?
ただ出会えていないというだけで、小説にそんな物は存在しない、と思い込んでしまっていないか?
私は、小説が好きだ。
もっと言うと文章というものが総体として好きだ。
産湯のように文章に浸かり、ミルクの代わりに文章を与えられ、親兄弟と会話するよりも先に文章から森羅万象を教えられてきた。
どんな文章でも味わえる自信があるどころか、キリル文字にヒエログリフにソグド文字といった、私には現在読めない文字列であっても好きだ。
文章から想起されるイメージではなく、字面や文章の流れそのものからも美しさを感じ取り、快楽さえ得られる。
私はかなりのキワモノだが、私一人では無いと信じる。
私同様の文章マニアに訴えたい。
点字があるぞと。
晴眼者でありながら文章にどっぷり浸れるぞと。
あとですね。皆さん。
障害者だからと言って差別はあるまじき事ですけれども、
障害者だからと言って善人でも聖人君子でもありませんのでご注意を。
街で見かけた視覚障害者に声を掛けて下さる、心優しき方々のために特に注意を促します。
手引き誘導時には我々、肘の辺りを軽く触ってもらいます。
腕を握らせなくても良いです。
普通は初対面の他人様の腕など掴みません。
握った手を脇の方にずらして、乳触ってこようとする、他人様の善意を仇で返す悪辣な痴漢もいやがるので、ソイツらは捨ておけ。
放り出されたひどいとか嘆いてきやがるなら、「触ってくるからだ阿呆」と言い切って良い。
この記事は創作大賞2026、ビジネス部門応募作です。
シリーズ:亀好 書房(約6500字)
①:オーストリッチに涙する → この記事
②:8%という諦め
③:詩を書き写してみた事はないかい?
④:いずれ来る老眼に備えて
⑤:ゆっくり時間をかけて良い
⑥:なんのはなしばしよらすと
以上です。
ここまでを読んで下さり有難うございます。
いいなと思ったら応援しよう!
何かしら心に残りましたらお願いします。頂いたサポートは切実に、私と配偶者の生活費の足しになります!