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かつて芸事にはパトロンが必要であった(過去形)

紙は貴重なのだ。

とりもなおさず、洋の東西を問わず、それに尽きる。


1、文字の発祥

  農耕により文字が生じたと人類史的には言われているが、
  多少の疑問が残る。
  農耕に加えて植生が豊かで
  紙に変わり得る木材が豊富に育たなければならない。

  尚一層入手が困難な羊皮紙文化によって培われた、
  ロシア(旧ソ連)の文字及び文章に対する崇拝具合には、
  目を見張るものがある。

  米原万里氏の著書で読んだもので、
  今現在はどうか分からないが、
  小学生のうちからペンで清書したもののみを提出させる。
  インクの付け過ぎによる文字の乱れも減点対象とされ、
  鉛筆書きの文字を他人に見せる事は失礼とされている。

  我が国においては幸い、
  そこまでの厳格さは求められないものの、
  料紙を作らせ手元に置けるのはやはり特権階級。
  庶民にとっての「言葉」は長らく、
  まず「歌」であり「語り」であった。


2、日本文学の祖

  『源氏物語』が日本文学史上最高傑作であり、
  いまだに誰もそれを超えていない、
  とされているが当然だろう。

  紙も時間も豊富に与えてもらえた専門家が、
  当時の最高権力者から
  自分の主人を選んでもらうために、
  「仕事」として書いたものだ。

  藤壺中宮よりも紫の上を選べ
  ……と暗に言っている。

  更に言えば藤原道長を初めとする、
  写本が可能であった当時の貴族達により、
  数百年に渡る「編集」を受けているのだから、
  誰も敵うはずがない。
  (「まだ途中だったのにきっと道長様持ってった」って、
   紫式部日記に書いてある。)

  『更級日記』だって晩年に大量の紙を頂けたので、
  幼い頃からの積年の思いを
  一気にそこでぶちまけ切れたからこそ、
  生き生きとした名文章になっているわけだし。


3、印刷の歴史

  西洋はちょっと脇に置くとして、
  江戸時代の日本は、
  専門職の彫師による手彫りだ。

  活版印刷時代は、
  活字拾いに植字工がいて、
  現在の印刷業界用語にも当時の名残が残っている。

  謄写版印刷をやってみた事がある人が
  今現在どれだけいるだろう。
  私はある。

  印刷とは少々異なる分野の話だが、
  点字を手打ちする際の労力と、
  肩の凝り具合も思いやってもらいたい。

  印刷の歴史において、
  繰り返すが、
  紙(及び文字を刻む労働力)は極めて貴重なのだ。

  出版、すなわち数百万部もの大量印刷ともなれば、
  紙の一枚、文字に句読点のひとマスであっても削りたい。
  それは少年達に時給程度で
  小さな活字を拾わせるに足る文章なのか?
  女性達に無償で一点一点打たせるに値する単語なのか?

  大御所の文豪達にそのような些末な事までは問われない。
  出せば売れる事が確約されているのだから。
  しかしながら研鑽中の若手物書きには厳しく問われる。
  文豪達には問えない分の紙面調整も必要となるからだ。


4、第二次大戦が拍車を掛けた

  かつて関西には出版社が数多くあった。
  京都にも出版能力を有する老舗書店が残っている。
  和歌山は紀伊(木)の国なのだから当然だろう。

  第二次大戦において出版社は、
  東京に一極集中させる事が定められ、
  林業も顧客の大部分を失った。

  一方で製紙業は無害ではない。
  木材集積時はもちろん、
  紙材に加工する過程での化学薬品による公害の歴史は、
  わりかししっかり調査され、
  製紙業界のホームページでも公開されている。

  あまり知られていない事だが原木は臭い。
  決してフィトンチッドな良い香りではない。
  命が朽ちて行く臭いだ。
  獣が死んだ時の臭いに割りと近い。

  つまり紙一枚と言えど無償ではないのだ。


5、エコロジーとかSDGs

  湯水のように紙を浪費して良いものかという、
  罪悪感が「小説」を書く私には常につきまとっていた。

  「小説」はその文量の多くが、
  「情報」として無益かつ非効率であり、
  紙資源を浪費する事が、
  世間一般として知られていなくとも、
  私の心の内には明らかだったからである。

  しかしながら、

  ネット上でのデータ販売であれば、
  在庫を抱える必要が無い!

  欲しい方が手元に置いておきたい場合にだけ、
  人によっては内容からイメージした、
  自分好みのあるいは自ら描いた表紙を付けて、
  可能であれば紙質にもこだわって、
  世界で唯一自分だけの本として、
  所蔵し賞玩して頂ければ良い!

  責任逃れのサービス放棄?
  いやいやいや。
  西欧の貴族界においてはそれこそが主流!
  
  天地に金を塗り表紙も革張りにした
  豪華装丁本をご覧になった事は無いか。
  あれなどはまさしく書店で買ったブックレットを集め、
  貴族達が趣向を凝らし造り上げた逸品だ。

  だったら現代庶民だってもうそれで良いじゃない。

  もう植字工雇わなくたって良いし、
  それ以前に金属でも木材でも活字作ってないし、
  点字だって今はソフトがあって、
  本の形で欲しけりゃパソコンから、
  打刻器での打ち出し指示すりゃ良いんだもの。


まとめ

  無論、編集の知識に技術は偉大だ。
  見開き1ページ内にどう収まれば人の目に見やすいか、
  次のページをめくりたくなるかという視点は、
  小説家にとっても重要だ。

  しかしそうした技術を持った友人がいる、
  あるいは自らの作品に編集まで施せる自信があるなら
  (相当に難しい事は断言しておく)、
  小説家は「出版」から、すなわち、
  資源及び資本の制約から解放されても構わない、

  と私は考える。





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岡埜 由木古(偏光) 何かしら心に残りましたらお願いします。頂いたサポートは切実に、私と配偶者の生活費の足しになります!