幻想と信仰
はじめましての人も、
前から知ってる方も、
ごきげんよう。
偏光です。
Pixivで公開してきた小説以外の文章を、
noteに移して行きます。
二、三記事を移してみて、
ガッカリしたようでもあり、
同時にホッとした気もするんだけど、
私2019年頃から、
考え方も文章表現も書き癖も、
大して変わってないわ。
(文字数:約900文字)
もうそろそろ、
「自然豊かな所で育てば、
人の心は穏やかに清らかになる」幻想から、
全国民一斉に目を覚ましてもらえないだろうか。
幻想はいずれ覚めるから美しいのであって、
真実であるかのように思い込んだ時点から、
真実と思わせてくれない存在がうとましくなるだろう。
ついでに言うと、
「スポーツこそが健全な心身を育成する」信仰からも、
同様に解放されて頂きたい。
神ならぬ事物への信仰よりは
名前やお姿は何であれ神的な存在への信仰の方が、
自分あるいは自分達の選択が、
最善ではないという意識を持たせてくれる点で、
幾分かマシだと私は思う。
「自分あるいは自分達の選択が、
他者あるいは社会においても最善だ」
などと唱えてくるような宗教家を、
私は良くて「求道者」だと思えたとしても
本当の意味で「信仰に生きる者」だとは思わない。
両者は分けて考える。
全て人の心を荒ませるのは、
「周りとは違う」という感覚であり
人の心を鍛えてくれるのは、
「その違いを乗り越えた」経験だ。
断じて言うが、
「違いを乗り越える」とは、
「違いを無くす」事ではない。
繰り返すが、
「違いを無くす」事ではない。
「違いを残したままでも、
存在できる対策を取る」事だ。
いかに違うかを非難すべく、
モンスターを狩るかのように楽しんでいる暇は無い。
思わず眉をひそめる自分の気高さに、
内心酔っていられる余裕も無い。
最悪の結末ばかりが痛ましいわけではないからだ。
即刻周囲を見回し
自分の受け止め方を疑い、
前段階から見極める必要がある。
無論、自戒の意味も込めて記す。
以上
ここまでを読んで下さり有難うございます。
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