メトロンズ #9 『No Sing, No End!』
今回は欠員と客演により、いつもとは一風違ったメトロンズ。
いつもと違う雰囲気になるのかと思いきや、いつも以上にパワフルな作品になっていたように思います。
今回も、東京に宿泊して最後の土曜2公演と翌日の千穐楽を観劇し、アーカイブ配信を観ながら書いたメモを基に、備忘録兼感想文として記入していきます。
客演が入った影響なのか、今回はYouTubeでの配信がない可能性があると聞いていたため、いつも以上に目に焼き付けようと画面に食いつくように配信を見ていましたが、
長い期間かけてちょっとずつnoteを書いていたら、年末から10回公演初日までの期間限定で配信されることになりました。
こちらも、いつも以上にありがたみを感じながらたくさん見る所存です。
また、今回は配信期間中にアフタートークライブがあったのも非常にありがたかったです。
裏話や暴露があった上で改めて「裏ではこんなことを…」と思いながら配信を見られたのも、新たな目線で見ることができて非常に面白かったです。
もう消されてしまったけど以前メトロンズのYouTubeに上がっていた「KASAMATSU」の副音声動画を思い出したりしました。
あわよくば配信期間に時間制限がなければ…(買いなおした)と思いますが、そればかりはFANYの仕様だから仕方ないですね。
メトロンズ第9回公演
「No Sing, No End!」
2025/09/10(水)~09/28(日)
赤坂RED/THEATER
あらすじ・登場人物
事前に公開されていたあらすじは以下の通り。
都内に梨好きの金持ち夫婦がいた。夫婦は美味しい梨を求めて一路千葉県へ。辿り着いた先は、ワンオペで経営する「岡村梨園」。園主の愛情がたっぷり注がれた梨を食べ感動する夫婦。そんな夫婦の元に、突然ボロボロの姿の男女が現れる。
そして「ここは私達の梨農園だ」と言う。
平和に見える梨農園に一体何があったのか?
梨を巡りそれぞれの想いが交錯するヒューマンポエトリー。
開幕。
梨好きの金持ち夫婦
舞台となっている「岡村梨園」にやってきた「梨好きの金持ち夫婦」こと徳則(児玉さん)と聖(川上さん)。
梨に対しては盲目的に愛情と熱意を注ぐ2人(バカップルが年とったらこうなるのかなとふと思った)だが、感情が昂ると野生的な面を見せる聖の方がより梨への愛が深いように見えた。
すぐに感情的になり度々暴走する聖と、彼女と同じ熱量で舞台を動き回る徳則。それでいて徳則はどれだけ聖が大暴れしようとも、それを受け止める度量の大きな存在であるし、聖も基本は徳則の半歩後ろを歩いている。
個性は強いがお互いが支え合っていて、夫婦としてのバランスは非常に良い2人だと思った。
梨を振る舞う男
そんな夫婦に梨を振る舞う青年が山崎(純さん)。
徳則夫妻の会話の歪さに気を取られることなく、淡々と梨を提供する。
あらすじには「園主」と書かれているが、実際は部外者であり、勝手に岡村梨園の敷地で育てた梨を振る舞っていた人である。その上、梨園を経営する夫婦を倉庫に監禁するなど、「美味しい梨作り」のためなら倫理観を捨てて突き走る危険人物である。
余談だが、メトロンズの作品の中で「山崎」と言う人物名は#6「寝てるやつがいる!」の関町さんの役に次いで2度目の登場である。脚本担当が違うのでたまたまなのだろうけど、「山崎」という名は執筆中に思い浮かびやすい名前なのだろうか。
ボロボロ姿の男女
やがて入り口すぐの倉庫から現れるボロボロ姿の夫婦が秀雄(池田さん)と貴子(福井さん)。
言葉遣いや行動が荒っぽいヤンキー夫妻であり、秀雄は岡村梨園の創業者の孫でもある。東京で音楽をやる夢を途中で諦めて梨園を継ぐことにしたことや、梨に全てを注いだ祖父・ミノルからの迷惑を被ったことから、秀雄には梨づくりへの熱意は一切なく、ただ毎日の生活のためだけに惰性で梨農園をやっている。
貴子は音楽の夢に向かって努力する秀雄に惚れて一緒になった女性であり、秀雄以上に喧嘩っ早く、気が強い。どこかズレた人や盲目になりがちな登場人物が多い本作において、貴子の強くまっすぐな芯のある姿は、特に後半にストーリーそのものの軸として作用していたように思う。
近所に住む男と秀雄の幼馴染
冒頭でふらっと岡村梨園にやってくる男が緒形(田所さん)。
少なくとも祖母の代から岡村梨園の近所に住んでいる41歳。物語冒頭では徳則夫妻や山崎などキャラの濃い人物たちを俯瞰で見ており、目まぐるしく話を掻き回されていくストーリーを度々まとめてくれる存在であった。
そのため、はじめは定期的にまとめてくれる緒形の存在に助けられ、彼目線で物語を見ていれば良いのだと思っていたが、徐々に彼はその「まとめ」能力を褒められて嬉しくなったことで徐々にエスカレートしていき、「まとめ」に対して狂い始めていく。
須藤(赤羽さん)は物語の中盤でやってくる秀雄の幼馴染であり、隣の梨園の後嗣。
彼は再三、秀雄に「誰からも必要とされていない」とイジられている存在で、確かにキャラクターとしての印象は薄い。
しかし、冷静に物事を見て簡潔に言語化する(=まとめる)ことが緒形より上手く、また梨園の人ということで梨への知識も豊富なことから、物語中盤以降は徐々にこの物語に必要不可欠な存在へと変貌していく。
あらすじの続き
今作はYouTubeにあがるのも期間限定ということなので、サイトに記載されているあらすじの続きも記しておく。
岡村梨園は徳則夫妻が買い取り、秀雄と貴子は音楽で成功するために再度上京する。 自身に梨を作る才能があり、それを活かさないのは勿体無いと気づいた山崎は、徳則や須藤らと共に、ミノルがかつて作っていたという、梨を超越する美味しさをもつ「アリ」づくりに励みだす。 しかし、自身の計画の遂行のためなら平気で倫理観を放棄する山崎の暴走に耐えきれず、聖は方向性の違いから早々に愛想を尽かし、徳則や緒形は心身共に疲弊し「アリ」作りから離脱。 やがて「アリ」作りが難航し、山崎自身でも彼の暴走を止められなくなってしまった中で、聖はとある「アリ」作りのヒントを思いつく。東京にいた秀雄らも含めた全員で岡村梨園に集合し、クライマックスでは聖の作戦を実行する。
生き甲斐や存在価値
梨を溺愛する夫婦、梨作りの才能だけを持つ山崎、「まとめ」に執着する緒形や「誰からも必要とされていない」須藤など、
本作の登場人物は、知らず知らずのうちに自身の「存在価値」「才能」に振り回されており、これがおそらくこのストーリーの軸なのではないかと感じた。
生き甲斐のように愛すること
「推し活」という言葉が一般化した今、「何かにのめり込んで熱烈に愛する」ことが誰かのアイデンティティになっている場合がある。そしてまさにそれを体現しているのが、この物語で唯一、梨を愛する人物である徳則と聖だ。
聖のように、愛する気持ちはエスカレートすると周囲の人との協調性や人間関係のバランスを失うなどの欠点もあるが、後半のシーンのように、頭打ちになった状況でも、もはや執着とも取れる程の愛が原動力となれば、諦めずに打開策を見つけられることもある。
良くも悪くも、愛は凄まじいエネルギーを持って人間を突き動かしていく。
一方で、その愛する対象を突如失ってしまった恐怖を見せてくれるのが徳則である。
アリづくりで体を壊し、それ以来梨を受け入れられなくなってしまった徳則。体を壊してからの彼は体を壊した演技というのもあってだろうが、虚ろな様相で見ていて苦しくなる。
生き甲斐のように愛すること。
それは自分や周囲を突き動かす大いなる原動力であり、間違ったり失ったりした代償もまた大きい。
「誰にも必要とされていない」者と、他人の才能を信じる者
今回の登場人物は、冒頭や中盤までに幸せのピークがやってきて、その後はそのグラフが下降してしまう者たちが多い。
そんな中、幸せ度合いが急降下せず、横ばいないしは緩やかに上がり続けた印象なのが、須藤と秀雄と貴子である。その中でも、今回は須藤と貴子のスタンスが印象的であった。
先述の通り、須藤は「梨農園の息子で梨づくりのノウハウがあり、アリの味を知っている」という経歴を買われ、中盤以降の山崎のアリづくりで活躍する。しかしながら彼は登場後しばらくは秀雄にしつこく「誰からも必要とされていない」とイジられるように、長らく存在価値が見出されていなかった人物である。今回のアリづくりで初めて「須藤が必要とされたこと」に秀雄は喜ぶが、須藤自身は最後の最後まで冷静なままであった。
同じく、作中で必要とされる描写があるキャラクターとしては緒形が挙げられるが、彼はその必要とされた「まとめ能力」に対する執着がエスカレートし、一時的に彼はそのポジションを失ってしまう。
それに対して須藤は舞い上がることもなく、自分に力不足だと感じたことは素直に認め、求められたことやできることには、冷静かつ真面目に向き合い続けた。
貴子は音楽をやる夢を持った秀雄に惚れるほど、他人(特に秀雄)の夢に熱い人物。彼女自身は、他の人物と比べて梨づくりへの才能や愛情、知識もあまりなく、喧嘩っ早いことを除けば、個性の強すぎる他の登場人物に比べて平凡な人間である。
そして、終盤の「アタシには喧嘩の才能しかねえんだ」というセリフが示すように、彼女自身でもそれを痛感しているようであった。
秀雄の音楽への才能を本人以上に信じていたり、終始夢を追いかける姿を熱く応援したりという貴子の姿は「自分には喧嘩の才能しかない」ということへのある種のコンプレックスのようなものが突き動かしているのかもしれないと思った。
須藤と貴子、そして秀雄の3人に通ずるものは、みんな「自分の才能を過信せず、身の丈や自分の能力の限界を知っていること」である。
特に須藤と貴子は、終始自身のスタンスをブレさせることがなく、自分のできる範囲で舞い上がることなく動き続けている。
何か飛び抜けたものがあったりそれに乗っかることで一時的に大きな幸せを手に入れることができるが、
実は幸せの総量は、自分の範囲内で懇々とできることを突き詰めていく方が多いのかもしれないなと考えさせられた。
才能の居場所
梨を作る才能はあるが、人を動かす能力がなかった山崎。
梨づくりも音楽も才能はなかったが、服の仕立ての才能があった秀雄。
喧嘩の才能しかないが、人の背中を押すことに長けていた貴子。
何の才能もないように見え、何でも平均点以上にこなせた須藤。
自らのまとめの才能に執着していたが、上には上がいた緒形。
物語の終盤に「やりたいことの才能なくて諦めるなんてザラじゃねえか?」という貴子のセリフがあるが、まさにこの作品の登場人物はみんな「やりたいこと」を極めたり、現在の境遇で何かを成し遂げたりするには、何かが足りない人が多い。
現実世界でも、まさに貴子の言うとおりそれは「ザラ」なことであり、夢を叶える人はほんの一握りで大半の人はどこかで打ち砕かれてしまう。さらに、仮に思い描いた将来の夢になれたとしても、どこかで「思ってたのと違う」場面や立場になることもあるはずだ。
「夢や理想を実際に成せることなど殆どない」という残酷で当然な現実は#7「店出す」でも描かれている。
しかし、今回の登場人物は秀雄を筆頭に、挫折はありながらもどこかには自分の才能とそれを活かせる居場所があるのだということを示してくれている分、救われた気持ちになる作品でもあった。
メトロンズが描く夫婦•女性像と恋愛模様
今作は客演で女性が入ったことにより、初めて「夫婦」や「恋愛模様」も描くようになっていた。
徳則・聖夫妻と秀雄・貴子夫妻
作中には2組の夫婦が登場するが、その対比が非常に面白かった。
熟年夫婦の徳則と聖は、小競り合いをしたり、度々暴走しながらも、基本的にはお互いを信頼し合っている。暴れる聖を諭したり、聖の要望を汲み取って緒形や山崎に改めて問いかけるのは徳則であったりと、彼は聖を第一に優先しながらも大切なタイミングではしっかりと引っ張ってゆく。聖も時折暴れるものの最終的な決断は徳則に託したり、倒れた彼を介抱したりと、半歩後ろで支えていることが多い。
お互いに支え合いながらも夫が大黒柱として構え、妻はそんな夫に献身的に添い遂げる。熟年夫婦らしい、昔ながらの夫婦の関係性だなと感じた。
秀雄と貴子は、音楽の夢を諦めている秀雄に対し、貴子はもう一度挑戦すれば上手くいくと信じて彼に発破をかけている。
徳則らと同じようにお互いで支え合ってうまくバランスの取れた夫婦像ではあるが、秀雄が再び音楽の夢に向かうように彼を引っ張りあげ、梨園を買い取る話の際には断ろうとする秀雄を貴子が制止するなど、この夫婦は妻が火付け役として夫のやる気に火をつけていくという夫婦の関係性である。「男は大黒柱として振る舞う」「女は一歩引いて支える」といったジェンダーに囚われた夫婦の価値観から逸脱した、多様化した現代の夫婦像だなと感じた。
緒形の不器用な恋愛
2組の夫婦像とともに、女性客演の登場で初めて描かれたのが緒形による恋愛模様である。
些細なことから徳則と聖の間で口論が起き、聖の口から「あなた(徳則)と別れて緒形さんと付き合う」というセリフが飛び出る。その後徳則からも「聖め、離縁してやる」というセリフが出てくるが、感情的な聖と徳則のことだ。
どちらも本気ではなく売り言葉に買い言葉であったことは一目瞭然であるが、40年間恋人ができたことがない、圧倒的に経験値不足の緒形だけは本気で捉えていたのかもしれない。
山崎がアリづくりをすると決めた日の晩、「離婚やだなぁ〜」と涙する徳則が去った後、ベンチに残った秀雄の前に緒形がやってくる。
緒形は「自分が徳則に怒られる筋合いはない」と無理矢理に聖との関係を正当化した後、彼女との馴れ初めを徳則に話し始めるが、その「まとめ」が極端に下手であった。
喋り方がしどろもどろになったり、「籍のない聖さんが出来上がる」など独特な言い回しが増えていったりして、長くて薄く彼らしくない「まとめ」はそのままフェードアウトしていく。そしてそれ以来、彼が聖に別れを告げられるまでまとめをする描写が出てこない。
恋愛にうつつを抜かして、自分がやるべきだったことも手につかなくなった結果、緒方は聖に振られてしまう。聖が初めての恋人であった緒形は、自分が恋をするとまとめが手につけられなくなることも知らなかったようだ。
「すごいよね、人を好きになるって」と大袈裟に彼は振り返るが、緒形のキャラクターや特質と結びつけることで「恋をすると四六時中相手のことを考えてしまう」といったベタな恋愛描写をメトロンズの作る世界観に合うように、真面目すぎずにコミカルに味付けされているのかなと思った。
その他思った事
秀雄夫婦のヤンキー描写
不良のテイでXを更新する池田さんが脚本を務めているだけあって、秀雄夫婦の「田舎のヤンキー」の解像度が非常に高いなと思った。
黙って欲しい時に「口湿らすな」と言い、警察のことを「デコスケ」と表現するヤンキーならではの言い回しや、遠くからもしっかり聞こえる貴子の車のエンジン音のしつこさ、秀雄の幼少期の話をガンガン話す貴子に対して、照れ隠しによってダルがる時の態度など、細かいところまでヤンキー描写へのこだわりを感じられた。
その上で、「実は代々継ぐものがあるような安定した家柄の出身であること」や、「やめ『ち』くれ」といった独特の訛りから、秀雄の「田舎育ちのおじいちゃんっ子」感も出ており、「田舎のヤンキー」のディティールが非常に高い。
細かいヤンキーの描写から、秀雄は決して荒んだ家庭環境でグレたわけではない、実家が太く家族に愛された不良(所謂「マイルドヤンキー」に近いのかもしれない)なのだということがよくわかる。
「離婚」と「離縁」
先述のように、口論の勢いで一度離婚する徳則夫妻。
夜になり冷静になった徳則は「離婚やだなぁ」というが、その日の日中に聖から離婚を切り出されたときは「離縁してやる」と言っている。「離縁」は養子縁組の解消時に使う言葉なので夫婦関係に適応されるものではないが、この表現間違いは「頭に血の昇った徳則が冷静さを欠いている」様子を表現しているのかもしれないなと思った。あと、その言い間違いは「梨園」とかかっているのかもしれない。
それから、前方の席に座っていると、冒頭で徳則夫妻が左手に指輪をつけているのが見えた。夫婦であることがわかりやすいからかなと思っていたら、きちんと離婚期間中だけ外されているのも細かくて興味深かった。
彼らの離婚はどこまで本気だったのだろう。あまりに短期間だし、別れた後も顔を合わせていたので、届出まではしていないのかな。
「まとめ」という役割
「私は「まとめ」というポジションがよくわからない」
過労で倒れる直前の徳則のセリフであり、本作のセリフの中で一番共感したセリフである。
冒頭から緒形が話を「まとめ」ているため、この物語の世界には当たり前に「まとめ」というものがあるのだと自然と感じている一方で、立場として確立されるほど重要なものなのかという違和感も心の何処かにあったため、このセリフが面白く感じられたのだと思う。
前半では緒形の役割だったが中盤で秀夫と須藤が挑戦し、後半はアリ作りの作業員が足りないのに「まとめ」が2人誕生するなど、なぜか重要視されるポジションの「まとめ」。
須藤の「まとめ」が評価される中で聖だけは、終始緒形の「まとめ」に絶対的信頼を置いている。自分が輝ける場所を失いそうになっても信じ続けてくれていたから、緒形は聖に好意を抱いたのかもしれない。
気がつけば7000字超え。
そして書き上げるのが異常に遅かったせいで、もう次回作の初日が1ヶ月後に迫ってきています。
次回作は関町さんが魔法の国から戻ってきて、メトロンズがフルメンバーになり、さらに客演が2名。
今作を見ていても、客演の影響なのか、いつもより1人多いからという物理的な総量ではなく、溢れ出る熱量で舞台が狭く感じたので、次回作はどうなるかが楽しみです。

