特命係長・只野仁を見てあの頃の自分を思い出す

チ。~地球の運動について~が数話分プレミアム会員にならなければ見れないような仕様になっていて、そこのためにABEMAプレミアムに登録した。

チ。は一瞬で見終えて最新話に到達してしまったので、なんかもったいないなぁと思い、それなら別のプレミアムでしか見れないものを見ようとのことで、SpyFamilyだのいろいろ見ていたら、特命係長・只野仁を発見した。

なんかシーズン1は70万回くらい再生されている話もあって、プレミアムでしか見れないドラマなのに、やっぱみんな好きなんだな。と確信した。チ。→只野仁というルートをみんな辿っている可能性がある。

知らない方もいるだろうから簡単に説明すると、私が中学校くらいのときに確か金曜23:15~やっていたドラマ枠で、お色気シーンほぼ毎話入っていて、ほぼそれを目当てに見ていた。

ストーリーとしては、高橋克典さん演じる只野仁という冴えない清潔感ゼロの窓際会社員が実は会長直属のCIAのような任務を請け負って、毎回社員の無法者を成敗したり、困ってる社員を助けたりする1話完結型のようなドラマになっている。

20年近く前のドラマであっても、一応平成なので、そんな古いとは思わないだろうなぁと思いながら見始めたら、もう動画の彩度も女優たちの演技や顔のクオリティも今とぜんぜん違うなぁと思わざるを得ないレベルだった。

20年前ってことは、このころの高橋克典さんは、今の俺と同い年くらいなんだろうな~めちゃカッコいいなぁと思ってググってみたら、高橋克典さんが今60歳という衝撃の事実を知ることになった。あんなバチクソイケメンの還暦おじいちゃんがいるんか。

私も出来ることなら高橋克典さんのようになりたい。私が真似できるのは只野仁の窓際族の清潔感ゼロ男の部分だけかもしれないが、なんかいわゆる若手イケメン俳優として名前が上がりやすい人より、全然私は高橋克典さんが好きな感じがする。

当然、昔のドラマということもあって、普通におっぱいが丸出しになっているシーンが頻繁にあって、平成でもおっぱい出してOKなんだっけ?と疑問に思った。私が生まれる前の昭和バラエティ番組なら、よく島田紳助だったり、そのあたりが女性に生着替えを強要して、番組内でキャーみたいなのはよく見たが、まぁこれはドラマの中の表現ということだからまだOKかもしれない。

昔の若い頃の海老ちゃんが出てたり、田山涼成さんが昔から田山涼成さんだったんだなぁという感じがすごい面白い。

特命係長・只野仁のドラマの脚本は、リアリティがあるわけでもないのだが、なんか数年に1回ニュースになるような会社員の事件だったり事故だったり、そんなんを表現しているような、不倫だったり、変ないざこざだったり、そういう要素も面白かったりする。

そんな奴いねぇだろ。と思いながらも、そういうことあったら会社員として面白いな。という絶妙なラインだったりする。

どうでもいいが、ちょい役で出てくるような女優俳優のレベルが、やはり現代だとすごい顔が整っているというか、昔はなんか歯がガタガタだったり、女狐のような色気のある女性の設定なのに、ビジュアルがそうでもない人が演じていたりしていたが、今はもう整形当たり前の時代で、ある程度のレベルの顔が基準になってしまって、それも面白くないなと思ってしまう。

中学生の頃だった自分としては大人になったら、夜にこんなてんやわんやする事があるのか。と思っていたが、20年後の自分は全然そんなことなく、なんの価値もなくただ生きるだけで何もない人間になってしまった。

それを申し訳なく思う感じだったり、なんというかこのドラマで出てくるような脇役の1話で自殺したり、事故で死ぬ人間のような人生だったんだなというのがわかって、つまらない人生になったなと思う。

もう35歳になる。普通の人間が20代でやるようなことを自分は何もやっていない。今の自分の人生において、結婚なんか遙か先のレベルのことのように思えるし、ましてや子どもを持つなんて、馬鹿なこと言うな。という感覚である。1話完結の冒頭20秒で飛び降り自殺するシーンから始まるそいつの人生が俺だったのか。という感じがなんとも言えない。

受験勉強もロクに出来ていないまま大人になってしまったし、結局仕事を始めても何も自分の自信を生み出すものでもない。

本当に消費されるだけの人間というか、自分が自分として生きている意味がない。そんな会社員になって、今後生きられる自信もない。

会社員になって人との繋がりが増えれば、何か自分の自信になるようなものが見つかると思ったが、結局は何もなかった。孤独感と不安が増すだけというか、1パーの望みに賭けても、ただただハズレの宝くじを買っているような、やっぱり自分はクズ人間だったんだな。と確定しただけだった。

お金という面では、働いているだけで自分一人の生活くらいはやっていける。ただ、これを繰り返して何か意味があるのか。ましてやお金をもっと稼いだところで、自分の飯のクオリティが上がるだけで、それ以上何か展開があるわけでもない。

特命係長・只野仁では、会社員の話を描きながら、サラリーマンとして働く人たちの葛藤みたいなものも描かれている。

仕事がうまくいかずにリストラ候補になっているような社員に、梅宮辰夫演じる会長から一声「あなたは我が社に必要な社員だ。」と電話で話したことで、社員が犯罪に手を染めないで済んだ。みたいなバカバカしいシーンがあるのだが、実際の社会もこういうのはあることかもしれない。

自分はなんのために頑張ってるんだろうと迷った時、上司だったり顧客からお礼を言われると、転職しようかどうか迷っていたのに、明日も頑張ってみようと気持ちが切り替わったりするものである。

「そもそもなんであんたら会社しかねぇんだよ。一番大事なのは自分だろ。」みたいな事を、たまたまヤクザの拳銃を拾って気が狂った自社社員に言って説き伏せるシーンもある。今でこそ転職しようとか、フリーランスがいいとか言われているが、20年前はきっと今ほどのムードもなかったはずである。

20年前も結局は今と似たようなことを言っていたんだなと思う。似たようなことを言っているというより、本質的には人間というのは何も変わっていない。自分がむしろ只野仁をみていたことで、サラリーマンの苦悩を本能的に回避しようとして、今のような人格が出来上がった説もある。

私はなぜ生きているのか。生きてる意味はあるのか。こういうことを考えるのはどの時代の人間も同じであるし、生きてる意味を考えるのは無意味という結論にたどり着くのもどの哲学者も同じである。

只野仁のような清潔感のない窓際係長がナメられるのもどの時代も同じだし、金を持ったりしたら周りの態度が一変するのも同じ。

やりがいのない仕事を続けて生きて、その繰り返しの人生に苦しみを覚える人も同じ。自分の人生がどうなるかわからないが、希望を持ち続けなければいけない。

ちょうどシーズン2には、今話題のテレビ局の枕営業の話が出てくる。20年近く前のドラマでもタイムリーというべきか、なんというべきかわからないが、やはり火のないところに煙は立たないのかもしれない。

みんなが高校に行ってるから高校行って、みんなが大学行くから大学行って、みんな働いているから会社へ行って、みんな文句言いながらも我慢して働いてるから働いて、その先になにがあるんだろうか。

人の言いなりになってきた人生だったり、世間体という謎の思い込みで人生が拘束されている人たちの人生は幸せになるんだろうか。そもそも幸せというものを追求して生きるのも不思議な話かもしれない。生きてるだけで幸せという感覚が普通はあるものである。それを見失ってる時点で何かが欠落している。

梅宮辰夫演じる会長が只野仁に「男の幸せっていうのは、なんですかねぇ」と問われた時、「男に幸せなんていうのは、ないんだよ。」「男にあるのはつかの間の快楽だ」「永遠に流離うしか無いんだよ」と言っていたのが、本当に梅宮辰夫さんが言ってるみたいで、少し寂しい感じがした。

幸せを追い求める人間ほど不幸になっていくという不思議があり、だいたい変な方向へ走っていってしまう。

アホみたいに何も考えずに生きてるほうがきっと面白い。だが、その人は幸せかもしれないが、周りを不幸にしているかもしれない。どういう人生を歩むかは人それぞれだし、結局決まりなんて無い。自分がバイアスを掛けているだけに過ぎない。

自分の今の生活が不幸と決めつけていると、きっと不幸になる。だから幸せを追い求めると不幸になるということなんだろう。

夢を抱いていた学生の時代とは違う。今は夢がかなっていないといけない時期なのに、自分は何も無い。そこから希望をどう見つけるかということなんだと思う。

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