第4回「2時間後に語りが開いた」2時間後、インタビューは突然変わった――ある黒人女性教育者のライフストーリー
インタビューをしていると、
「この瞬間のためにやっているのかもしれない」と思うことがある。
語りが、突然開く。
それまで見えていなかった人生の意味が、立ち上がってくる。
この話は、私がアメリカでフィールドワークをしていたときに起きた出来事である。
ある日、黒人女性の大学教授を紹介された。
小学校教員の経験を持ち、現在は大学で人種や教育について教えている研究者だという。
「優秀な教育者ですよ」
そう聞いて、私は少し緊張していた。
アメリカ社会で大学教授になっている黒人は、やはり相当なエリートであることが多い。
午後1時、研究室を訪ねた。
ドアを開けたのは、人のよさそうな年配の女性だった。
「今、ちょっと掃除をしているところなんです。少し待ってくださいね」
その柔らかな雰囲気に、少し肩の力が抜けた。
インタビューを始めると、彼女は静かに語り始めた。
小学校教師から管理職へ。
そして校長として、いくつもの学校を立て直してきたという。
成績の低い学校に赴任し、改善すると、また次の困難校へ。
移民の子どもが多い学校、そして半数以上が障害を抱える学校。
どの学校でも成果を上げてきた。
しかし、彼女は言った。
「一つの学校を変えることには、限界があると思ったのです」
その後、教育委員会に移り、学区全体の改革に関わる。
さらに州の教育改革プロジェクトにも参加する。
メンバーは6人。
その中で、彼女は唯一の黒人だった。
そして大学へ。
ここまでの語りは、完璧だった。
困難を乗り越え、成果を出し続けてきた教育者。
私は心の中で思っていた。
やはり、エリート中のエリートなのだ、と。
同時に、少し違和感もあった。
彼女はまだ一度も、
「黒人としての経験」を語っていなかった。
インタビューは、気づけば2時間が経っていた。
私はメモを見ながら、ふと尋ねた。
「離婚されていたのですか?」
何気ない質問だった。
彼女は少し黙った。
そして、ゆっくり話し始めた。
それまでとは、明らかに違う語りだった。
彼女はカリフォルニアで育った。
子どものころ、自分が黒人であることを強く意識することはなかったという。
しかし、結婚後、夫の転勤でテキサスに移った。
そこで初めて、差別を経験した。
レストランでは裏で食事をするように言われた。
店では商品を買うことを拒否された。
「心の傷になった経験でした」
少し間をおいて、彼女は続けた。
「でも、私を成長させてくれた経験でもありました」
カリフォルニアに戻っても、その経験は長く残った。
回復するまでに、5年かかったという。
その間、大学に通い始めた。
授業の中で、ようやく理解した。
自分が経験したことは、差別だったのだと。
その後の人生は、大きく動き出す。
コミュニティ・カレッジ。
仕事。
離婚。
そして大学に進学し、学士、修士、博士号を取得する。
再び教育の現場へ戻り、管理職として働き続ける。
彼女の人生の中心には、あの経験があった。
テキサスでの被差別体験。
それが、教育を変えようとする原点になっていた。
社会学者C・ライト・ミルズは、
「社会学的想像力」とは、個人の人生と社会の構造を結びつけて理解する力だと言った。
このインタビューは、まさにその瞬間だった。
一人の女性の人生の中に、
アメリカ社会の人種関係や教育制度が見えてくる。
インタビューをしていると、ときどきこういう瞬間に出会う。
語りは、最初からそこにあるわけではない。
それは、あるタイミングで、突然開く。
そして多くの場合、それは研究者の予想とは
少し違う場所から始まるのである。
