見え方が変わってからの日常
見え方が変わった、という実感は、
病院より先に、生活の中でやってきた。
最初は、網膜剥離だった。
手術を受けて、
見えない日常に、一度区切りがついた。
見えるようになった、という安心もあった。
けれど、時間が経つにつれて、
見え方は少しずつ変わっていった。
急に何かが失われた、というより、
やりにくさが静かに増えていく感覚に近い。
料理の手順が変わったり、
外に出る時間を選ぶようになったり。
最初は、それが理由だとは思っていなかった。
ただ、生活の中で小さな調整が増えていった。
包丁を出す回数が減った。
人混みを避ける時間帯を選ぶようになった。
歩くときは、足元を見る時間が長くなった。
文字を書くより、スマホに打つことが増えた。
どれも大きな変化ではない。
生活が壊れたわけでもない。
ただ、
今まで無意識にやっていたことが、
少しだけ意識を必要とするようになった。
原因をはっきりさせようとは、
しばらく思わなかった。
困ってはいたが、
急いで答えを出すほどでもなかったから。
日常は続いていたし、
工夫すれば、だいたいのことは回っていた。
その後、
緑内障と診断され、 今も治療を続けている。
だからといって、 生活が一変したわけではない。
できなくなったことが、急に増えたわけでもない。
見え方に合わせて、
選び方が少しずつ変わった。
前に出ないほうが楽な場面が増えた。
急がないほうが、安心できることもあった。
明るさや距離、位置を調整するだけで、
続けられることは意外と多かった。
このnoteでは、
治療そのものの解説はあまり書かない。
数値や方法を並べることも、ほとんどしない。
役に立つ情報を求めている人には、
少し物足りないかもしれない。
書いているのは、
日常の中で起きた、感覚の変化や違和感だ。
慣れていく過程や、
無理をしないための調整の話でもある。
前向きである必要もないし、 克服する話でもない。
ただ、
その時々で、 今の自分に合う位置を探している。
前に出なくなった場面もある。
距離を取るようになった場所もある。
でも、進んでいないわけではない。
やり方が変わっただけで、
生活そのものは、ちゃんと続いている。
このnoteの記事たちには、
そういう小さな変化の話が並んでいる。
あなたに合うものだけ、 拾ってもらえたらいい。
