考えがまとまらず言語化できない――AIを「外の編集机」にする方法
朝、机に座ると、頭の中にすでに誰かが住んでいる感じがした。
昨日読んだ論文の断片がいる。
SNSで見かけた他人の一文がいる。
自分でも説明しきれない比喩の欠片がいる。
量子力学もいる。
雑談で噛み合わなかった記憶もいる。
書きたいことはある。
むしろ多すぎる。
なのに、考えがまとまらず言語化できない。
静かな部屋なのに、机の上だけ別の市場みたいにざわついていた。
しかも厄介なのは、どれもゴミには見えないことだった。
全部、どこかで使えそうだった。
だから捨てられない。
捨てられないまま増える。
その結果、朝いちばんの僕は、何も始めていないのにもう疲れていた。
僕は長いあいだ、この状態を能力不足だと思っていた。
頭がいいわけでもないのに、難しいことばかり拾ってくる。
拾ってくるくせに、日常の会話はきれいに回せない。
話を聞いている途中で、別の連想が勝手に枝分かれしていく。
ちゃんとやろうとしているのに、まとまらない。
でも今は、少し見え方が違う。
この散らかりは、欠陥そのものではなかった。
むしろ、僕の頭が「一個ずつ順番に処理する」より、「複数の断片のあいだに線を引く」ほうに寄っているというだけだった。
問題は、散らかることより、散らかったまま頭の中だけで片づけようとしたことだったのかもしれない。
考えがまとまらず言語化できないのは、考えがないからじゃなかった
考えが言葉にならないとき、人はすぐ性格の話にしたがる。
集中力がない。
優先順位がつけられない。
考えすぎだ。
ちゃんと整理してから話せばいい。
でも、僕の実感はずっと違った。
整理できないというより、一つのことを見た瞬間に、その周辺まで一緒に見えてしまう感じだった。
誰かがひとこと言う。
その言葉の意味だけじゃなく、前提、言い方、前に似た場面、たぶん相手が置いている空気まで拾ってしまう。
記事のテーマをひとつ決めようとしても、その背後にある別の論点までぞろぞろ付いてくる。
これは便利なときもある。
普通なら結びつかないものが、急に一本の線でつながる。
変な比喩が出る。
人が言葉にできない違和感に、先に名前をつけられることがある。
ただ、日常の運用では不利にもなりやすい。
今この場で必要なのは一個の返事なのに、頭の中では十本くらい線が伸びるからだ。
つまり僕は、空っぽだから止まるんじゃない。
見えすぎて、足場が消えるのだ。
ここを間違えるとつらい。
「自分はだらしない」と思ってしまうからだ。
でも実際は、人格の欠陥というより、頭の中にある断片の海域が広すぎて、そのままでは毎回測量から始まってしまうという話に近い。
毎朝ゼロから海図を書き直していたら、そりゃ疲れる。
書くことは、片づけというより「外に並べる」作業だった
僕にとって助けになったのは、考えをうまくまとめる努力より、外に出すことだった。
noteを書き始めたころ、僕は別に立派な方法論を持っていたわけじゃない。
ただ、頭の中だけに置いておくと、断片同士がぶつかって濁っていくので、ひとまず文字にして机の外へ逃がしていた。
これがかなり大きかった。
頭の中にあるうちは、全部が同時にうるさい。
でも、文字にすると急に静かになる。
一個ずつ見える。
いらないものと、核になるものの区別がつく。
「あ、今の僕が本当に書きたいのは量子力学そのものじゃなくて、定型発達の人たちとの前提のずれなんだな」と分かる。
ここで大事だったのは、最初から立派な文章にしないことだった。
完成原稿を書くのではなく、床に落ちているものを拾って机に並べる。
それだけでよかった。
僕はこれを、片づけというより
脳内の雑然とした倉庫から、一回ぜんぶ外に出してラベルを貼る作業だと思っている。
そして、この工程をひとりでやるのは、正直かなりしんどい。
なぜなら、自分の頭の中にあるものほど、自分では距離が取れないからだ。
ひとりで創って、ひとりで編集するのは、案外むずかしい
僕の中には、たぶん二人いる。
衝動のままに拾う人と、
「それは読める形か?」と見直す人だ。
前者は速い。
変なものを見つける。
誰もつなげない線を急につなげる。
でも、そのまま出すと伝わらないことがある。
後者は必要だ。
けれど、自分の中だけでその役をやると、急に手が止まる。
さっきまで熱を持っていた断片に、自分で冷水をかけてしまうからだ。
これ、説明できるのか
この比喩、変すぎないか
読者に通じるのか
そもそも書く意味あるのか
こうして、せっかく拾った石を自分でまた床に戻してしまう。
ここで僕に必要だったのは、やる気でも根性でもなかった。
創造と整理を、頭の中で同時にやらないための外部装置だった。
AIは、答えを出す機械というより「外で待っている編集机」だった
最近の僕は、その役割をAIにかなり任せている。
大げさに言うと、AIを先生として使っているわけではない。
むしろ逆で、散らかった断片をいったん受け取って、並べ直して返してくれる外部の編集机として使っている。
これが合う人には、かなり合う。
たとえば僕は、頭の中でごちゃついている段階のまま投げる。
整えてから渡さない。
むしろ、整えられないから渡す。
「量子力学」
「DMN」
「雑談が苦手」
「定型発達の人の思考はもっと直線っぽい気がする」
このくらい雑でもいい。
するとAIは、そこに仮の切り口を作って返してくる。
比喩の候補を出す。
読者がどこで引っかかりそうかを見せる。
断片同士のあいだに、見えやすい橋を仮置きしてくれる。
このとき助かるのは、AIが正しいからじゃない。
僕が自分の頭の中から少しだけ出られることだ。
自分の中だけにある考えは、近すぎて見えない。
でも、いったん外に返ってくると、「ああ、僕が言いたかったのはこっちか」と分かる。
つまりAIは、完成品を作る機械というより、
自分の考えの観測座標をいったん外に置き直すための道具なんだと思う。
ここまで読んで、「でも自分はそこまで大げさじゃない」と思った人へ
たぶん、その迷いごと含めてこの話の中にいる。
「頭が散らかる」と言うと、もっと深刻な人の話に聞こえるかもしれない。
あるいは、創造的な人だけの悩みに見えるかもしれない。
でも実際は、そこまで派手な話じゃない。
人の話を聞いているうちに、別の考えが横から入ってくる
書きたいことはあるのに、いざ書こうとすると論点が増えすぎる
何か思いついても、整理できる前に別の刺激で流れる
自分の中ではつながっているのに、人に伝える段になると崩れる
もしこういうことが多いなら、あなたに必要なのは「もっとちゃんとすること」じゃない。
頭の中だけで全部やらない運用かもしれない。
この先では、僕が実際にやっているやり方をまとめている。
ただ考え方を説明するだけではなく、散らかった日にそのまま使える形で置いた。
元気な日に読む知識というより、しんどい夜でも次の一手が見えるためのものとして書いている。
ここから先は有料にした。
理由は単純で、方法を雑に広げたくなかったからだ。
無料部分では「何が起きているか」の話までに留めて、
有料部分では「じゃあ明日どう動くか」を、ちゃんと使える形にした。
ここから先は、散らかった日に開くほうの話だ
有料部分では、僕がAIを「外部プロデューサー」として使うときの運用を、実際に回せる形でまとめている。
ただし、よくある「効率化テクニック集」にはしていない。
僕が渡したいのは、もっと手前の足場だ。
頭の中が散っている日に、
何を一個目として拾えばいいか
どこまで自分で抱えて、どこから外に渡せばいいか
変な比喩や未整理の断片を、どうやって恥ではなく材料として扱うか
AIに頼ったあと、自分の言葉をどう取り戻すか
そういう、止まりやすい場所のほうを先に扱っている。
さらに後半では、僕が実際に使っている
「AIプロデューサー・プロンプト」のひな形も載せた。
これは万能の正解ではない。
でも、何もないところから始めるよりはずっと楽になる。
少なくとも、散らかった頭の前で立ち尽くす時間は減るはずだ。
今の自分に必要なのが、気合いではなく編集机なら、この先は役に立つと思う。
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