【機能不全家族】「うちに問題のある子なんていない」と言う家で育った子どもたち――自分の感覚と“家の言い分”を分離する3行ノート
「別にそのくらいで傷ついてないし」
そう自分に言い聞かせたあと、帰り道でずっと胃だけが固かった。
その場では怒鳴られていない。責められてもいない。
ただ、相手が少しため息をついて、そのあと話すのをやめた。
こういうことが何度もある人は、感じる力が鈍いわけじゃない。
むしろ逆で、感じたあとにそれを引っ込めるのが早いのだと思う。
「うちに問題のある子なんていない」という空気が強い家では、子どもは感じない子になるわけじゃない。
感じたことを、すぐ引っ込める子になりやすい。
今日はその話をしたい。
感情の前に、その場で自分に言い聞かせる”決まり文句”が入る
こういう家で育った人は、昔のことを話すとき、妙に説明がうまいことがある。
「あれは親も大変だったし」
「別にひどい家ってほどじゃない」
「よくあることだったと思う」
「自分が気にしすぎただけかもしれない」
たしかに、それが全部まちがいとは限らない。
でも、その説明が早すぎることがある。
本当はその前に、体の反応があったはずだ。
親のため息を聞いた瞬間に、言おうとしていたことを飲み込む。
相談しようとしていたのに、「まあいいか」で閉じる。
怒られていないのに、夜までずっと肩が固い。
LINEを返したあとに、急に「変なこと言ったかも」が来る。
こういう反応が先にあるのに、そのすぐあとで”決まり文句”がかぶさる。
「このくらい普通だ」
「場を悪くしないほうがいい」
「今ここで言うことじゃない」
「自分が大げさなんだと思う」
この手順が長く続くと、大人になってからしんどくなりやすい。
何も感じられないからじゃない。
感じたあとに、それを引っ込める手順が先に動くからだ。
問題は、出来事より先に“家に都合のいい受け取り方”が入ってきたことだった
ここで言いたいのは、どの家庭にも悪人がいる、という話じゃない。
怒鳴られたとか、分かりやすく傷つけられた、という話だけじゃなく、もっと地味で、外からは見えにくいものがある。
家には、その家なりの決まり文句みたいなものがあったりする。
「うちは普通の家だ」
「うちはちゃんとしている」
「そんな大げさに言うことじゃない」
「うちに問題のある子なんていない」
たとえば、子どもが「しんどい」と言ったときに、
「そんなに深刻に考えなくていい」
「みんなそれくらいある」
みたいな空気が先に返ってくる。
すると、問題にされるのは出来事のほうじゃない。
子どもの感じ方のほうになる。
「怖かった」
「嫌だった」
「悲しかった」
そういった感覚より先に、その家の物語に合った決まり文句が出てくる。
「考えすぎ」
「気にしすぎ」
「そんなつもりじゃない」
「もっと大変な家はある」
こういう言葉が何年も続くと、「嫌だった」「こわかった」「悲しかった」が取り出しにくくなる。でも、感じていなかったわけではない。
誰も怒っていないのに、相手の声が少し低いだけで身構える。
何も言われていないのに、「今のはまずかったかも」があとから来る。
それは弱さというより、昔の空気に合わせて身についた反応が残っているのかもしれない。
あなたが鈍いのではなく、起きたことと“頭の中の言い分”がごちゃ混ぜになっている
もしあなたが、昔のことを思い出すたびに、
本当につらかったのか分からなくなる
自分が被害者ぶっている気がする
でも体は妙に緊張する
大したことないと言いながら、なぜかしんどい
こうなるのは、感覚が鈍いからというより、感じたことをすぐ引っ込める癖が残っているからかもしれない。
起きたことと、その場で自分に言い聞かせてきた”言い分”が、くっついたまま残りやすいのだと思う。
子どもは家の中で生きるしかない。
だから、その家で波風を立てにくい受け取り方を覚える。
子どもの頃に覚えたこの手順は、大人になってからの人間関係にもそのまま出やすい。
たとえば、本当は嫌だったのに「相手にも事情がある」で閉じる。
本当はかなり疲れているのに
「このくらいで休むのは甘えだ」と飲み込む。
本当はこわかったのに
「自分が気にしすぎただけ」で終わらせる。
それは弱さというより、当時の自分を守るための癖だったのだと思う。
ただ、そのやり方が大人になってからも残ると、今の人間関係では苦しくなりやすい。
昔の家で覚えた受け取り方が、今の場面でも先に出てしまうからだ。
あなたに必要なのは、自分を責め直すことじゃない。
まずは、何があったかと、そのとき体がどう反応したかと、あとから頭に出た説明を分けて見るだけでいい。
「何があったか」と「頭の中の言い分」を分けると、感覚に触れやすくなる
こういう混ざり方に気づくとき、最初に役に立つのは、
その場で起きたことと、そのあと頭に出た言い分を分けてみることだ。
この二つがくっついたままだと、
「本当は何があったのか」より先に、
「このくらい普通だ」
「自分が気にしすぎだ」
という説明のほうが前に出やすい。
すると、自分がどう感じたのかに触りにくくなる。
だから大事なのは、どれが正しいかをすぐ決めることじゃない。
まずは、
何があったか
体がどう反応したか
そのあと頭にどんな言い分が出たか
を、ひとつにせず見てみることだ。
それだけでも、
「あのとき自分は嫌だったのかもしれない」
「こわかったのかもしれない」
と、あとから少しずつ触れやすくなる。
断定はいらない。
まずは、混ざっているものを分けて見るところからでいい。
先に「たいしたことない」で閉じないための三行メモ
ここで大げさなことはしなくていい。
三行だけでいい。
最近のモヤモヤを、次の三つに分けて置いてみる。
何が起きたか
例「相手がため息をついた」「返信が来なかった」体がどう反応したか
例「肩が固まった」「心臓が速くなった」「胃が重くなった」そのあと頭に出た言い分
例「自分が悪かったかも」「気にしすぎだ」「これくらい普通」
三行目も消さなくていい。
それも長く使ってきた言い分だからだ。
ただ、一行目と二行目の上にかぶせない。
横に置く。
それだけで、
何があったか。
体がどう反応したか。
あとからどんな言い分が出たか。
この三つが、少し見えやすくなる。
おわりに
「うちに問題のある子なんていない」と言う家で育つと、子どもは問題を起こさない子になろうとしやすい。
でもその代わりに、自分の内側で起きていることまで、過小に扱う癖が残ることがある。
でもそれは決して、何も感じていないんじゃない。
感じたあとに、それを押さえつける手順が育ったからだ。
だから、取り戻す作業も派手なことをしなくてもいい。
まずは、”感じたこと”と”頭に浮かんだ言葉”を書き分けることから始まる。
「本当はどうだったか」を焦って断定しなくてもいい。
まずは、自分の中で何が起きていたのかをもみ消さない、そこからスタートする。
このあとできれば、最近のモヤモヤを三行に分けて書き出してみてほしい。
何が起きたか
体がどう反応したか
そのあと頭に浮かんだ説明
その三行は、昔の家に合わせた反応から少しずつ離れて、自分の感じ方をもう一度読み直すための、最初の足場になるはずだ。
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