浄土真宗の葬儀と修多羅の意味
浄土真宗の葬儀と修多羅の意味
浄土真宗の葬儀において、僧侶が身に付ける「修多羅(しゅたら)」は、赤い紐であり、葬儀の場でのみ用いられる特別な法具です。僧侶はこれを左肩に掛けて導師として式に臨みます。日常の法要では用いられず、葬儀という最も厳粛な場においてのみ姿を現す点に、その重みがあります。
修多羅は僧侶を飾るための装飾品ではありません。もともとサンスクリット語の「スートラ(経典)」に由来し、仏法そのものを象徴するものです。そのため修多羅を掛けた僧侶の姿は、「今ここで仏法が語られている」ということを示しています。導師は個人の力で葬儀を執り行っているのではなく、仏陀が説いた教えを代読し、皆に聞いていただく役割を担っているのです。
このため、参列者が焼香にあたり、まず導師に一礼する作法がありますが、それは「僧侶個人に」対しての礼ではありません。正確には、修多羅を通して象徴されている法に対する礼なのです。ここを理解いただくことがとても大切です。葬儀の場では、親戚や知人への礼儀ももちろん必要ですが、それ以上にまず「仏法を尊ぶ」という姿勢を形に表すことが肝要です。私は参列される方々に、「まず修多羅=法に対して礼をしてください」とお伝えしたいと思っています。
修多羅は実際に掛けてみると分かるのですが、正直なところかなり重たいものです。左肩に掛けていると、すぐに肩がこってきます。しかし、その重さを「法を肩に背負っている重み」として受け止めるのです。身体的な負担であると同時に、僧侶としての責任と覚悟を実感させられる象徴でもあります。修多羅を掛けることで、自分が個人としてそこに立つのではなく、法を背負い、代読者としてその場に立たされていることを強く意識させられるのです。
葬儀は故人を偲ぶとともに、残された者が仏法に出遇う大切な機会でもあります。僧侶が修多羅を掛ける姿は、「ここに仏法が中心としてある」ということを可視化する役割を果たしています。僧侶が主体となって葬儀を進めているように見えて、実はその根底にあるのは僧侶個人の力ではなく、仏法という絶対の拠り所なのです。
ですから、葬儀に参列される皆さんには、親戚や知人にお辞儀する前に、まず修多羅に礼をするという心持ちを大切にしていただきたいと願っています。それはすなわち、法を尊び、仏の教えを仰ぐ姿勢を示すことだからです。そして僧侶もまた、その重みを身に負い、厳粛に勤めているのです。
修多羅は単なる紐ではなく、法の象徴であり、葬儀の要を示すしるしです。葬儀の中心は僧侶でも故人でもなく、あくまでも「仏法そのもの」。そこに立ち返ることによって、悲しみの中にも支えが与えられるのです。
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