No.098-アレルギーの話
“昭和”という時代には、今の常識や基準から考えると違和感を覚えることが多々あります。
けれども、当時の空気をそのまま残しておくことにも意味があるのではないかと思い、ここに記しておきます。
私が勤めていたデータイーストという会社では、ゲーム開発が佳境に入ると、夜中の1時、2時、時には3時まで仕事が続くことがありました。
そのようなスタッフのために、仮眠用のマンションが用意されており、研究棟の最上階にも二段ベッドが二つ設置された仮眠室とシャワールームがありました。
さらに、荻窪にあった24時間営業のサウナ施設「湯〜とぴあ」を利用できるチケットも配布されていました。
前置きが長くなりましたが、明け方まで仕事をし、朝の4時、5時に「湯〜とぴあ」に行くと、本社の人とバッタリ!会うということもありました。
その「湯〜とぴあ」には“ミスト風呂”がありました。ほんのりと暖かい部屋の中に霧が充満し、1メートル先がやっと見通せるほど。
「へえ、こんなサウナもあるんだ」と興味を持って入ってみたのですが、私はそこに入ると、必ず呼吸が苦しくなりました。
原因はわかりませんが、細かい水蒸気の粒子が気管支や肺を刺激していたのだと思います。
体から発せられるこうした小さな“サイン”を聞き取り、記憶し、健康管理に活かすことはとても大切なこと。
けれど当時の私は、それを深く考えることもありませんでした。
それから数年後、2001年1月22日。
当時、私は猫を28匹飼っており、その日の朝も彼らの食器を洗っていました。お湯を使い、大量の食器を洗っているうちに、部屋には水蒸気が立ちこめていきました。そのとき、急に息苦しさを覚えました。
わずか10秒ほどのうちに気管支が腫れ、粘膜同士がくっついて空気の通り道が完全に塞がったのです。
「吸った息が出せない」
「目の前に空気があるのに、吸えない」
そんな異常な感覚に襲われ、慌てました。
まさか、ただお湯で洗い物をしているだけで喘息の発作を起こすとは思いもしませんでした。
などと後悔する間もなく、1分ほどで意識を失い、呼吸が止まり……後から聞いた話では、身体は土左衛門の土色で仮死状態。
運び込まれた病院で植物人間状態を告げられ、長い闘病になる、という医師の診断で、家族は絶望したそうです。
この時の臨死体験で見たもの、などについては、またいずれ書きます。
ご心配をいただくといけないので、先に書きますが、朝8時に倒れ、午後3時に意識は回復し、現在に至ります。
この出来事を通じて痛感したのは、
「体の声を聞いて無理をしないこと」
「アレルギーを軽く見ないこと」
この二つでした。
とはいえ、いま振り返ると、「ゲーム会社は徹夜が当たり前」という当時の価値観そのものにも、どこか強い違和感を覚える人も多そうで、むしろその方が、今の読者の心に残るかもしれません。
しかし、昭和を過ごした“三つ子の魂百まで”ではないですが、私は相変わらず、仕事ファーストの価値観が身に染みています。
午前2時、3時に起床し、仕事を始め、2時間ぐらい集中したあたりで、休憩。
休憩とは、このnote執筆のことを指します。
声のテキスト変換で上記のことを喋り、そのいい加減な喋り言葉変換テキストを、AIに校正整形してもらって、note投稿しています。
記事執筆開始から、わずか15分。
サムネイル写真素材選びに20分!(サムネイル選びのほうが長い?)
いろいろ、焦点を絞らずに書いてしまいました。
いずれにせよ、何かしら引っかかるものを感じてもらえたなら――
それだけで、この文章を書いた意味があると思っています。
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