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子供の頃、父が大好きだった。大人になって、世界で一番嫌いになった。それでも涙が止まらなかった話。

こんにちは脱線サラリーマンです。今回は少し重たい話を紹介します。

父のことが、世界で一番嫌いでした。でも子供の頃は、世界で一番好きでした。

釣りに連れて行ってくれた。キャンプにも行った。現場仕事の肉体労働をこなしながら、私たち兄弟の相手もしてくれた。野球部の試合はほぼ毎回、見に来てくれた。

そんな父が、なぜ嫌いになったのか。一言で言えば、お金の管理です。

この記事は笑える話ではありません。私の人生の闇をさらけ出すようで、少し不安もあリます。
でも、同じことを繰り返してほしくない。そう思ったから書くことにしました。

借家暮らしからはじまった

物心ついた頃から、私たち家族は借家に住んでいました。古びた平屋がいくつも並んでいる、あの感じ。見たことがある人も多いと思います。そういう家は家賃が安い。でも家賃が安いということは、住む人の質もまばらで、ご近所トラブルが絶えませんでした。

そんな中、ある日大家さんから告げられます。「取り壊すので、出て行ってください」

中古住宅を買う。最初の誤算

ちょうどその頃、父に相続でまとまったお金が入りました。それを元手に中古住宅を購入することになります。

私が小学校から中学校に上がるタイミング。弟が幼稚園から小学校に上がるタイミング。母の兄の紹介で、急いで決めた家でした。

人生の重大な決断のはずが、じっくり考える時間はほとんどなかった。

後から気づいたことがあります。その家を手放した前の持ち主の家族構成は、両親と男3人兄弟の5人家族。「子供部屋が2部屋しかなく手狭になったから」という理由で手放したのでした。

——うちも、両親と男3人兄弟の5人家族なんですが。

全く同じ家族構成の家族が「狭くて住めない」と手放した家を、同じ家族構成の私たちが買った。小学6年生の私にはそこまで考える知識がなかった。でも今思えば、最初から無理のある選択でした。

「元〇〇んち」

引っ越す前に、親からこんなことを聞かされていました。その中古住宅を売った家族に、私と同い年の子供がいる。そしてその子と、中学で同じクラスになるかもしれない、と。

率直な気持ちは「なんか嫌だな」でした。

だってそうでしょう。私たちが買い取った古い家に、ゴキブリが出ることをその子は知っている。同じ5人家族なのに子供部屋が足りないことも知っている。その家族はその中古住宅に見切りをつけて売ったお金で、別の場所にきれいな家を建てて暮らしている。うちはといえば、その売られた家に住んでいる。

嫌な予感は的中しました。その子と私は、本当に同じクラスになりました。そしてその事実はすぐにクラス中に知れ渡り、私についたあだ名は「元〇〇んち」。

私は何も悪いことをしていない。なのに中学校生活を、ずっと屈辱的な気持ちで過ごしました。

改修工事、そして新たなトラブル

引っ越してすぐ、案の定「子供部屋が足りない」と問題になりました。2部屋しかなかった2階を3部屋に改修工事。さらに庭の木を伐採して舗装し、駐車場にする工事まで行いました。「結構お金かけるんだな」と、子供心に思ったのを覚えています。

やがて別のトラブルが起きます。お隣さんが飼っていた猫が車の下に隠れていて、気づかずに発車してしまったのです。猫は助からなかった。それをきっかけにお隣さんとの関係が悪化し、住みにくさがじわじわと積み重なっていきました。

「新築が欲しい」

5年ほど暮らした頃、精神的に限界になった母が言いました。「新築の家が欲しい」父は渋々受け入れました。でもこれが、奈落の入り口でした。

新築の土地は人気エリアで地価が上昇していました。中古住宅を売った資金は入ったものの、購入費用・改修工事・駐車場の舗装工事と、すでにかなりのお金を使い続けた後のことです。新築住宅のローンは、決して楽なものではなかったはずでした。

そして、悪夢が重なった

新築住宅に住み始めて落ち着いたのもつかの間、父がリストラにあいました。追い打ちをかけるように弟が病気になり、母もパートを辞めなければならなくなりました。

ローンが払えない。消費者金融に手を出す。家計が破綻する。

夜、怖い取り立て屋が家に来ている。その声を、私は部屋の外からこっそり感じ取っていました。

それでも父はお酒をやめなかった

父はお酒が大好きでした。私が小さい頃から、仕事から帰れば晩酌。野球中継を見ながら飲んで、ジャイアンツが負けると怒鳴る。休みの日は朝からテレビの前でビールを開けて、画面に向かって怒鳴る。あればあるだけ飲む人でした。そのお酒癖は、家族がどんな状況に置かれても、生涯変わることがありませんでした。

バブル絶頂の頃は、それでもなんとか生活が回っていました。でもやがて日本経済のバブルが崩壊し、ボーナスカット、給料も下がっていきました。それでもお酒を飲むペースは変わらなかった。リストラも、弟の病気も、自己破産も、何も関係なかった。飲酒運転で捕まり、罰金を払ったこともありました。

「どうしてこんな状況で、酒なんか飲んでいられるんだ。」当時、本当によくそう思いました。

子供の頃あれだけ好きだった父への不信感が、このころから大きくなっていきました。

住宅購入の失敗だけが家族を崩壊させたわけではありません。計画のなさと、やめられない習慣と、時代の波が、全部重なったのです。

家族がバラバラになった

住んでいた家は競売にかけられ、両親はともに自己破産しました。また借家暮らしに逆戻りです。

私はこのとき決意しました。「この親たちとは一緒に暮らせない。このままでは自分の人生も終わる」。そして一人暮らしを始めました。

両親と弟たちが移り住んだ借家は、夏になるとゴキブリがキッチンや床をスタスタと這い回る家でした。そして数年後、またその家も大家さんから「取り壊すから出て行ってほしい」と言われたと、離れて暮らす私の耳に届きました。

——またか。

31歳。一世一代の親孝行

年老いた両親と弟たちの住む場所がまたなくなる。一人暮らしの私に、また不安の種が舞い込んできました。

次もまた借家?また引っ越し?いつまでこんな人生を繰り返す気だ?頭の中をぐるぐると要らぬ考えが回り続けます。

自業自得とはいえ親はともかく、巻き込まれている弟たちが不憫でなりませんでした。

そんなとき、母から電話がありました。「きれいな中古物件を見つけたんだけど」

バス停が近い。駅も近い。築年数も10年そこそこ。親や弟たちに手伝ってもらいながら繰り上げ返済すれば、何とかなるかもしれない。

31歳の私は決めました。一世一代の親孝行だと自分に言い聞かせて、私の名義でローンを組んで、その中古住宅を買うことにしました。今度こそ、この家を最後に落ち着いた生活をしてほしい。そんな願いを込めて。

父との約束

住むにあたって、父には約束してほしいことを話しました。

ご近所トラブルは絶対に避けること。タバコはご近所や家族に迷惑をかけない範囲で吸うこと。お酒は程々に、飲酒運転は絶対にやめること。働ける間はローンの返済に協力すること。

父は頷きました。

次々に破られた約束

まず、ご近所トラブルが起きました。近所の駐車場でタバコを吸いながら立ち小便をしたと苦情が入ったのです。それを指摘されると謝るどころか反論して、お隣さんの感情をさらに逆撫でしました。

ここでご近所さんに嫌われて住みにくくなったら、もう本当に後がない。そう感じた私は父に言いました。「もういい。出てくるな。俺が謝りに行く」。菓子折りを持ってお宅に上がらせていただき、深々と頭を下げました。なんとか理解していただき、その場は一件落着に見えました。でも父は繰り返しました。また謝って。また繰り返す。その連続でした。

それだけでは終わりませんでした。近くのスーパーの駐車場で飲酒しているところを警察に通報され、職務質問される。車に果物ナイフが入っていたことで銃刀法違反で逮捕される。帰宅すると警察の車が家の前に止まっていて、ご近所中に恥ずかしい思いをしました。

車が壊れると「お金がない」と泣きついてきて、兄弟で出し合って買ってあげた車は1台ではありませんでした。タバコを買う金がないと弟からも借金していたようでした。車検の費用や税金も、何度負担したことか。

極めつけに、飲酒運転で道路標識をなぎ倒し、その費用を私たちが負担したこともありました。またしても近所のスーパーで飲酒しているところを警察にマークされ、車を発進させたところで止められました。警察ももう限界だったのでしょう。免許取り消し。罰金をまた兄弟で払いました。

私たち家族は怒りと呆れで、父と家庭内で距離を取るようになっていきました。本当に、殺してやりたいと思ったことが一度や二度ではありませんでした。

父の最後

そんな父は、ある日自ら命を絶ちました。私が妻と入籍した10日後のことでした。

肺がんが見つかったこと。家族に愛想を尽かされていたこと。うまくいかない人生。色々と理由はあったでしょう。
もしかしたら、私が心の中で思ったことがある「もう死んじゃってくれ」という言葉を、聞かれてしまったのかな。今になってもそう思い、自分を責めることがあります。

大嫌いな父でした。それでも、当時は涙が止まりませんでした。

なんでこの悪夢を止められなかったのか。どこでどうすればよかったのか。私は人生をかけて家族再生を誓ってローンを組んだのに。幸せな家族の姿をイメージして買った家なのに、最悪の結末になってしまった。

父が何日か帰ってこなかったとき、大嫌いなはずなのに不安で仕方がなかった。遺体で発見されたと電話があった日。涙が止まりませんでした。

どうすれば、どこでどうすればこんな不幸な結末にならなかったのか。今でも答えは出ていません。

父は悪人ではなかった。でも。

最後に、正直に書いておきたいことがあります。

父は悪人ではありませんでした。子供の頃、疲れた体で野球の練習に付き合ってくれた。私のために時間を使ってくれた。弟たちにも同様のことをしてくれました。ただ、自己管理と人生設計が苦手だっただけです。

これは、誰にでも当てはまる部分があるのではないでしょうか。

私だって完璧ではありません。お金にだらしない浪費もした。怪しい投資の情報商材に騙されたこともある。美容クリニックに数百万円溶かしたこともある。父にはない種類の失敗を、私はたくさんしてきました。

だから人間は完璧じゃなくていい、と思っています。ただ、自分の失敗を自分で尻拭いできる失敗と、家族を巻き込む失敗には、大きな差があります。

失敗してもいい。でも子供や大切な人まで不幸にしないために、お金と人生設計だけは致命的な失敗にしないでほしい。この記事を書いた理由のひとつはそこにあります。

それでも、あのローンは正しかったのか

父が亡くなったあと、私は妻の実家に入りました。妻の家は古かったため、結婚と同時に取り壊して新しく建て替えました。38歳にして、2本目の住宅ローンが始まりました。

31歳で親のために組んだローン。37歳でやっと完済して、自分の人生を歩み始めた。そして38歳で、今度こそ自分と家族のためのローンを組んだ。

あのとき私がしたことは、親孝行のつもりだったかもしれない。でも今になって思うのは、ある意味では自己満足だったかもしれないということです。「してやった」という変な感覚を持ちながら、結果的に自分も疲弊して共倒れになる。そういうリスクがあることを、あの頃の私は見えていませんでした。

自分の息子に同じことをしてほしいかと、今の自分に子供ができて考えてみると、決してそんなことは望みません。親といえど、別の個体です。突き詰めれば他人であり、自分の人生の責任は自分で取るものです。

大切な人の人生を助けたいと思う気持ちは本物です。でも、自分の人生を犠牲にしてまで背負い込むことが、本当の意味での幸せにつながるかどうかは、冷静に考える必要があると思っています。

父のことは、今でも複雑な気持ちです。嫌いだった。感謝もしている。あの涙は本物でした。

答えは、まだ出ていません。


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