楽園の暇 ― もんたん亭日乗
<その13> 「農家のヨメ」
令和の米騒動、である。
これから先、コメの値段、日本の農業、はたまた進次郎がどうなるのか予測もできないが、連日の騒動で、コメの流通の仕組みがとにかく面倒なことになっている、ということはわかった。銀シャリが大好きなくせに、周囲には田畑が点在する(その多くは休耕田だが)田舎に住んでいても、大して関心を寄せることもなくコメを消費してきたことも少々反省している。
実家は農家ではないが、「農家のヨメ」になった中学の同級生がいる。私が高校卒業以来ずっと東京で暮らしていたこともあって、若い頃はあまり会わなかった。帰省しても、彼女が多忙だったからだ。そう、死ぬほど忙しいのだ、農家のヨメは。
彼女が農家の長男と結婚したのは、私が東京でチャラチャラ大学生活を送っていた80年代の初めである。職場結婚だが、そこは恋人同士の単なる結婚とはならない。「農家の長男のヨメ」という想像を絶する世界に、彼女は踏み入ることになったのだ。
あいにく結婚式には出られなかったので私は会ったことがないが、彼女が嫁した家にはモンスター級の「姑」が控えていた。後日、そのモンスターぶりを彼女から聞かされて、絶句に次ぐ絶句、であった。まず、新婚旅行から帰ってくるなり言われたのが、
「お前は(この家に)要らなんだ」。
おいおい。『おしん』か、『細うで繁盛記』(古っ!)か? 一体いつの時代の話なんだ? さらに、花登筺(『細うで繁盛記』原作・脚本)も書いてないようなこんな台詞まで。
「血は汚い。血が繋がってないんはお前だけじゃ。お前が好かんのじゃ」。
これには、はぁ? よー言うわ、あんたも昔は「ヨメ」として来たんやろ、と私まで口汚く罵ってしまったが、現実のヨメの彼女にはそれができない。反論しようものなら十倍になって帰ってくるし、夫が板挟みになってかわいそう。実家の母にも言えず、黙って耐えるしかなかった。
もちろん「農家のヨメ」だからこんな仕打ちを受けるわけではなく、ひとえに姑個人の資質ではあるだろう。それでも、家業を存続させることが結婚の究極の目的であるかのような、「家制度」「女三界に家なし」的な考えが、農家ではまだ根強かったのかもしれない。当時、彼女に離婚という選択肢はなかったという。「出戻り」は両親を苦しめることがわかっていたから。結婚の時、周りの親戚は言ったそうだ。家に建具を入れるのに、合わなかったら建具を削るだろう?「ヨメが家に合わせる」のが道理だ、と。それを聞いて、女が手足をもがれるイメージが思い浮かび、私はぞっとしたものだ。バブルに明け暮れた80年代、農家は、地方は、そんなだったのか。その頃からすでに30年以上が経過した。現在もまさかそうだとは思いたくないが。

仕事は続けながら出産、その後も家事はヨメの役割、休日も田んぼを手伝い、暴言に耐え、ボロボロになっていた20代の後半、珍しく彼女が家に遊びに来て、偶然居た私の父に姑の話をぶちまけたことがあった。父はステテコ一丁でその話を聞いていたが、しばらくしてからこんなことを言った。
「人間は四種類しかおらん。
まず、善人と悪人。それぞれに賢い奴と阿呆な奴がおる。一番ええのは、善人で賢い奴。一番悪いのはわかるか。悪人で賢い奴、や。これはもう手がつけられん。そんで、あんたの姑はな、善人で阿呆じゃ。そう思うとったら、大丈夫や」
一瞬、私たちはポカンとした。わかったようなわからないような。でもその後、三人で大笑いした。彼女はその話を気に入ったようだった。気が楽になった、と私に言った。それ以来、彼女は父のことが好きだ。父がその何年も後に入院し、病院で息を引き取る数日前に見舞いに来てくれて話をした、最後の友人になった。
中学1年の時、同じ教室で座っていたふたり。私は東京で就職して結婚もせず、コロナ禍を機に故郷に戻ってきた。両親は他界し、同居する家族もいない。自由気ままに生きてきて、今はまさに「自分」のためだけに生きている。死ぬ時もひとりだろう。
一方、全時間を「自分以外の家族」のために費やして、自分の孫の世話も含めれば、なんと5世代にわたる面倒を引き受けている彼女。そして還暦も過ぎた今、姑が倒れた。え、このうえ介護までも? と私は危惧したが、事情で別の家族がすることに。姑はほぼ寝たきりで、毎日ぼんやりと過ごしている。彼女はその状況に何を思うのか。つねってやったらいいのに、などとけしかける不埒な私の前で、彼女は言うのだ。
今となっては弱り切った人を苛めたりしたくない、介護しろと言われたらする。「くそ憎ったらしい」人だったけど、憎むことは苦しい。夫からしたら親だ。夫の気持ちを考えた接し方をする。長生きもしてほしい。
最後の言葉にまたしても絶句。この人、聖女だった……。
いちいち書くのも憚られる数々の酷い扱いを受けてきたはずだが、それでもなお、人間はこれほど優しくなれるものか。これが生活を共にしてきた家族の情というものか。60年以上生きてきたが、私が持ち得ていない感情があるのかと驚く。
彼女はすでに「赦し」ているのだろう。くそ憎ったらしい、と言う感情から「赦し」の境地に辿り着く道のりが、私には想像もできないけれど。感情がそれほど揺れ動く体験が我が人生になかったということか。はて、私たちのうちどちらがより「人生」を生きているのだろう。
姑問題が収まっても、また次々に別の家族の問題が発生するそうで、会うと「ごめんなー」と謝られながら、微力ではあるがガス抜きに協力しているところである。でもその姿はもう20代の彼女とは違う。
転機は45歳だった。辛い日々を癒してくれたペットの犬との出会いがあった。姑のことで悩む時間が、心底無駄に思えた。かつての我が父の「善人で阿呆」説よりは、ずっと効き目があったようだ。相変わらずの理不尽な暴言や要求に対してようやく「ノーと言える」ようになり、さらに相手を黙らせる言葉の反撃力まで身につけた。
実家の母にも、これまで話せなかった姑との経緯を打ち明け、初めて知ることになった母を泣かせてしまったけれど、ようやく重い荷物を下ろせたようである。そんな彼女の語る言葉に、私は「人生」というものの重みを感じ、敬服する。私には経験することも闘うこともなかった、「彼女の」人生。自力で克服してきた尊い人生だ。

さてと。
農家に限らずいわゆる「ヨメ」とはそういうもので、当たった姑が悪かったね、よく頑張ってきたね、で、この話を終わらせるわけにいかない。我が友人が人生を費やして、しなくてもいい苦労を強いられてきた背景には、意識的、無意識を問わず古い因習を支えてきた「世間」が横たわっている。家に建具を無理に合わせるように、ヨメさんが我慢したら収まる、といつの間にか思わせる空気が流れている。「夫」という存在もまた、その空気を積極的には変えようとしない。そんな状態を流石にもう放置してはいけないのだと思う。「聖女」の犠牲や寛大さに甘えているうちは、未来は変えられない。現実の未来にもう「おしん」は要らんのだよ。
日本のジェンダーギャップ(男女格差)指数が過去最低を更新して、世界144か国中114位だとか。なあんだ、地方の農家の話じゃなく、日本の社会そのものが恐ろしいほど変化していないのだった。誰かの犠牲によってでなく、一人一人がこうあったらと望む社会を手にできるよう、時間はかかっても気づけた人から努力し、実践しなければ。その先にこそ「より良い人生」はあるに違いない。
*不定期(たぶん月1)掲載です。
