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奈良クラブを100倍愉しむ方法#051 第10節対 アスルクラロ沼津  -The Beach Boys - "God Only Knows"

古代ギリシャのことわざに「幸運の女神には前髪しかない」というものがある。時の神カイロスは、出会った人が捕まえやすいように前髪は垂らされているものの、後頭部には髪は無いという設定になっており、追いかけて掴むことはできないのだそうだ。これが転じて「チャンスはやってきたその時につかまなくてはならない」という意味になったという。
初めてこの言葉を聞いた時は、チャンスの神様というのはたいそう個性的な髪型をしているのだなあと思った。パンクロックでもしているのだろうか。はては、日韓ワールドカップのときのブラジルの怪物ロナウドの髪型はこれをイメージしたのだろうか。確かに彼はチャンスにめっぽう強かった。まあ、ロナウドが「幸運の女神」をイメージして髪型を考えたなんて、そんなことはないのだろうけど。

今節を迎えるにあたり、奈良クラブは八戸、岐阜、金沢を相手に2分1敗と、直近3試合勝ちのない状況であった。終盤の決定機を外した八戸戦、お互いに決定的なところを決めきれなかった岐阜戦、互角の勝負を演じながらもタレントの差で前に出られた金沢戦と、どれも勝てそうな雰囲気がありつつも勝ちに見放された試合が続いていた。繰り返しになるが、今年の奈良クラブはどれほど強いのかというところでいくと、「非常に面白いフットボールを展開するが、どこが相手が相手でも勝ち切るまでの力はまだない」という見立てが妥当であろうか。もちろんそれは、これからの戦いの中で伸ばしていくべき部分である。というなかで、今節迎える相手アスルクラロ沼津は、その伸び代がどれほどなのかを検証するにはもってこいの相手である。

奈良クラブは昨シーズン、アスルクラロ沼津にいわゆるシーズンダブル(ホームとアウェー両方で負けること)を喫している。アウェーでは彼らの攻撃力を抑え込みながら健闘するものの、最後に力負け。ホームでは先制するものの3失点を献上。終盤追い縋るものの力及ばず。どちらの試合も、点差以上に力の差を感じさせられる内容だったと記憶している。サイドをワイドに使ったスピーディな攻撃とソリッドな守備は「これぞJ3」という見本市のようなチームだった。彼らにとっての誤算はプレーオフを逃したことだろうか。結果的に、その見本市としての完成度の高さゆえにオフに選手をかなり引き抜かれた。その反動もあり今シーズンは苦しんでいるのだが、相性で言えば奈良クラブは最悪に近い。加えて川又や斉藤といった元日本代表の選手の引き止めには成功。率いるはゴン中山こと中山雅史だ。彼はそのキャラクターからユーモアのある面白い人、あるいは骨折していてもプレーするほどの情熱的な人間性をもっていることはよく知られているが、フットボールに関しては極めて研究熱心で戦術家でもある。おそらく、シーズンを消化しながら、チームの完成度を上げていくに違いない。現在の順位が芳しくないからといって、油断することはできない。
また、中山はジュビロ磐田で活躍したことでも有名だが、奈良クラブを率いるのは静岡ダービーでしのぎを削る相手である清水エスパルスからやってきた中田一三である。指揮官だけみれば「静岡ダービー」ということで、サッカー王国の威信もかけて、熱戦が期待された。奈良クラブのサポーターとしては、ここ数試合のモヤモヤした感じを払拭するだけでなく、昨シーズンの借りも返さなければならない。今日の試合、「内容の良い引き分け」よりも「どんな形でも勝ち」が必要な一戦だ。


奈良クラブ版ゼロトップ発動

今年の奈良クラブのテーマは「新たなる挑戦」である。実は僕も、ここ数試合は「新たなる挑戦」をしてみている。それが「試合経過を追うような記述はしない」ということである。これまでは試合展開をダイジェスト気味に追いながら、その中でキーになるプレーや選手について書き進めてきた。それはそれで面白いのだけども、そうではなくて「全体として見た場合、こんな風になってましたよ」という部分について、より詳しく書いてみようとしている。岐阜戦はそれぞれの立場からこの試合を考察してみた。金沢戦は選手のプレーへの志について書いた。この試合は、奈良クラブの戦術について書いてみようと思う。

このタイプの書き方をすると、試合をフルマッチで見た方が話の理解が良いはずである、できればレミノなどで試合をご覧になられてから読んでいただきたい。あるいは、これを読んでからフルマッチで観戦してもらえれば、奈良クラブの意図が解釈できるのではないかと思う。

今節の先発である。これまでスーパーサブ的な起用だった國武が先発に。選手の並びからして4バックであろうことが推測される。そして見てほしいのが、フォワード(FW)として登録されている選手が1人もいない。いわゆる、ゼロトップだ。
ゼロトップの戦術、布陣については前節にやや詳しい目に紹介をした。いわゆるセンターフォワードを置くことなく、それぞれが空いたスペースにどんどん入り込んでいくような動きだしとパスワークを基本とする戦術だ。おそらく、これまでとは少しやり方を変えてくるだろう。それを見定めるために、キックオフからしばらくは試合をじっくり観察することにした。結果から言うと、この布陣は、完全にアスルクラロ沼津を嵌めるために構築された、ほぼ完璧な戦術であった。
まずはアスルクラロ沼津の布陣を確認しよう。このチームは基本的に4−1−2−3の布陣を採用する。フリアン監督時代の奈良クラブもこの布陣を採用していたのでお馴染みの形だ。昨シーズンよく書いていたように、4−1−2−3には構造的な弱点が存在する。この布陣は1にあたるピボーテ(アンカーともいう)の選手の性質や立ち位置でかなりチーム全体のパフォーマンスが変わる。それは、この選手は1人でディフェンスラインの前のスペースを仕切る必要があるのだが、かならず両脇にスペースができてしまう。ここを誰がケアするのかが不明瞭になりやすいのだ。奈良クラブはここに入り込まれたところから、センターバックとサイドバックの間の背後スペース、いわゆる”ポケット”にボールをどんどん差し込まれて失点を重ねていた。逆に言うと、この試合ならクラブが狙うのはここだ。
DAZNでは試合前の奈良クラブの布陣を4−4−2と表示していたが、選手の並びは違っても4−4−2という表記自体は間違ってはいない。ただし、この日の奈良クラブはいわゆる僕たちがよく思い浮かべる4−4−2(FC大阪的なプレッシングのためのフラットに選手が並ぶタイプ)ではない、4−4−2の布陣を展開する。

沼田を包囲するように展開する奈良クラブ

奈良クラブが見せたのはフラットではなく中央に人数をかけた4−4−2だ。正確に表現すれば4−2−2−2になるのだろうが、トップの2も大外に開いたり、下がって受けたりと前線に張り出すという感じではない。ただし、誰かが空けたスペースには誰かが入り込むという意図が完全に共有されており、「そこに誰もいない」という状況は生まれにくくしている。(金沢戦は前線に人がいない状況が散見された)
例えばディフェンスでボールを回収し堀内が持ち出すと、田村翔太は真ん中からサイドのスペースへと走り出す(「流れる」と表現することが多いです)。誰もいなくなった真ん中のスペースには田村亮介が走り込み、田村亮介の空けたスペースには國武が、さらにその國武を追い越すように吉村が、というように奈良クラブの選手が入れ替わり立ち替わりに前線に顔を出す。あるいは、両方の田村がサイドに開いたところを中央に岡田優希が入り込むという連携を見せる。変幻自在の奈良クラブの攻撃。沼津はこれをなんとかしたいのだが、いかんせんサポートが追いつかない。バックラインを務める4人はとりあえず目の前に出てくるな奈良クラブの選手を捕まえるだけで手一杯になっているし、前の遠山、渡井は堀内と神垣をケアしないといけない。ガンダム的に言うと、ドムによる”ジェットストリームアタック”(3機のドムがまるで1機であるように突進を仕掛け、相手が誤認したところをやっつける方法)を沼田にぶつけたような感じだ(果たしてこの説明は伝わるのか?)。

加えてディフェンスは、むやみやたらとハイプレスをかけるのではなく、ハイラインを維持した上でしっかり構えて組織的にボールを奪おうとしているのがわかった。前線の選手が突出してプレスをかけにいってしまうと、見た目には頑張っているように映るが、そこが逆に穴となってスペースを生んでしまい、相手の進路を作ってしまうことになる。シュートストップの可能性が薄いのに形だけ行うスライディングを「お気持ちスライディング」というが、同様に「お気持ちプレッシング」も存在する。特にこの辺りは、鈴木のコーチングが的確で、「まだ行くな」「そこを厳しく」と細かく指示が飛んでいた。また、その指示が全員に届く範囲になるくらいコンパクトに全体がまとまっており、沼津の選手たちが自由にプレーするスペースはほとんどなかった。仮になんらかのミスでボールをロストしても、すぐにヘルプにいく距離に選手がいるので、即時奪還も容易だ。このように、攻守にわたりピッチの中央を完全に制圧した奈良クラブは、沼津ゴールに襲いかかる。

先制点のシーンに至る一連の奈良クラブの攻撃は圧巻だ。リズムよくパスをつなぐ奈良クラブの選手たち。沼津はこれをほとんど捕まえることができていない。場合たり的なクリアはセカンドボールを奈良クラブが全て拾うので、攻撃が止むことがない。また、奈良クラブの選手たちはパスに迷いがないので、これまでよりもかなり速いパススピードで、ビシ、ビシと繋いでいく。最初はなんとかついていく沼津だが、何本もパスを繋がれると徐々に遅れていく。その遅れからボールウォッチャーになったところを田村翔太が走り込んでシュート。初発のシュートはミスになったのだが、これをコントロールに切り替えて狭い方を通す技術の高さ。地味だが技術点の高いシュートだ。

先制からの奈良クラブの前半は今シーズンベストとも言うべき、圧倒的なパフォーマンスであった。全員が素晴らしいのだが、僕が注目していたのは田村亮介選手だ。リズムよく繋ぐ奈良クラブのなかにあって、田村亮介選手は、恐らくわざとボールを受けないようなポジショニングをしていたように見える。ただ、彼が相手の嫌なところや最も危険なところに動き出し、その空いたスペースを國武や堀内、あるいはタイミングを見て神垣らが入り込んでいく。本当はもっと得点に直結するようなプレーがしたいと思うのだが、彼はそれを封印しチームプレーの徹していたように見えた。この日はバックスタンドの真ん中から見ていたが、彼が沼津のディフェンスラインとミッドフィルダーのラインの間(ハーフスペースと言います)に常に陣取り、絶妙の間合いでパスを引き出しながら攻撃の展開に攻撃しているのを見ていた。おそらく、相手のディフェンスとしてはたまったものではないだろう。目の前にいるのにボールを奪いに行けないギリギリのところでプレーする田村亮介選手。なるほど、苦手沼津への対策はこれだったのか。

田村亮介のボールの待ち方は相手が優秀なディフェンスであるほど動けなくするような体の向きをしている。いわゆる「ボディシェイプ」ということなのだが、田村亮介はボールを引き出す時に必ず半身は前向きでフリーランニングする。「もらいに降りる」時でも相手ゴールに向いているような感じだ。「いつでも裏を取りますよ」という態度を常に見せているので、ディフェンスは安易に彼に寄せることができない。下手に寄せると、その逆をついて裏抜けを許す可能性がある。彼は立ち位置だけでなく、体の向きも利用してディフェンスを釘付けにすることに貢献した。
また、岡田優希や國武といった2列目の選手がボールを持って持ち上がると、田村翔太と共に彼もセンターバックに吸い付くようにポジショニング。こうすることで、ボールホルダーにはサイドバックやミッドフィルダーが対応せざるを得なくなる。また、もしドリブルで突破できたとき、田村と対峙するディフェンス(中村や篠崎)は、自分のマークを捨ててドリブルを止めにいかなくてはならないが、タイミングに迷いが出ると、出ていった裏を突かれてしまう。マークを捨ててドリブルを止めるべきか、あるいはマークはそのままに相手の出方を見るべきか。こういう「動くに動けない状態」のことを最近は「ピン留め」というふうに表現する。田村亮介の質の高い動きが沼津のディフェンスを機能不全に至らせたのだった。正直、ああいう選手は敵としては対戦したくない。

またこの戦術でキーになるのは奈良クラブの攻撃のマエストロ岡田優希選手だ。「マエストロ」というだけあって、彼はボールがあることで本来の輝きを放つ選手なのだが、ここ数試合彼へのマークはかなり厳しく、ボールを持った瞬間に2人3人と相手のディフェンスが彼へ非常に厳しいタックルを仕掛けていた。なかなか思いのプレーができないなかで、彼は一旦ボールを集めない選択をしたのではないだろうか。岡田優希は引力のある選手なので、彼がそこにいるだけで相手ディフェンスはどうしても彼に寄り気味のプレーになる。ボールが出た瞬間に寄せに行かなければならないので当たり前のことだ。岡田優希はそれを逆手に取り、自分がペナルティエリアの傍で待つような立ち位置が印象的だった。動けばディフェンスは付いてくるので、ボールホルダーの逆の動きをすればそれだけスペースを作り出したり、別の誰かをフリーにすることができるわけだ。これまで岡田優希のキャリアは「彼を中心とするチーム作り」=「岡田優希が輝く」という図式が必ず成り立っていたのだが、この試合はボールを持たないことで攻撃のタクトを振るっているように見えた。彼もまた、敵としては絶対に対戦したくない。

攻撃陣が相手の選手を前向きのプレスができないような位置に押し込むことができるので、ディフェンスも自信をもってラインを上げて対応することができる。この日の沼津のセンターフォワードだった鈴木輪太郎はほとんど仕事をさせてもらえなかった。なぜなら、ポストで受けたとしても彼の周囲にはほとんど沼津の選手はおらず、サポートすべき遠山は渡井はかなり低い位置から駆けつけようとするより他ない。彼らよりも速く堀内、神垣はサポートに回れるので、セカンドボールはことごとく奈良クラブが回収に成功。センターバックの鈴木と澤田は、ゴールキーパーの岡田慎司まで含めた連携で沼津の攻撃を封じ込める。
また、ユにとってもこのシステムの方がかなりやりやすそうにプレーしているように見えた。バックラインの数をいじる可変システムのとき、その調整弁の役割は奈良クラブの場合はサイドバックが担うのだが、まだ彼がそのシステムを完全に落とし込むには時期尚早という感じがあった。今日はスタンダートな4バックということで、迷いなくプレーしている様子が見られた。今日のプレーは自信になったのではないだろうか。
前半終了間際にコーナーキックから「あわや」というシーンがあったが、逆に言うとそれ以外は奈良クラブが完全に支配していた。僕が「こうなったら良いなあ」という理想にかなり近い形が前半の奈良クラブであった。

新たなる力、川井大地

後半の目玉といえば、この日ついにプロデビューを果たした川井大地選手について触れないわけにはいかないだろう。アカデミー出身で今後ミスター奈良クラブになりうる存在である。
先発のラインナップを見た中での印象として、これまで後半のブースターだった國武を先発で使うと言うことは、その代役はいるのだろうかということだった。ここで名前を連ねた川井。おそらくメンバー入りしたということは、今日は出番がありそうだという予感があったのは僕だけではないはずだ。後半終わりの記念出場になるのかな、と予想していたが、なんと70分から出場とガッツリと役割を与えられての出場だ。中田監督はこの辺りの思い切りが本当に良い。
彼のプレーの印象は國武と戸水を足して2で割ったような選手だ。フィジカルの強さは國武ほどはない。パスのセンスはまだ未知数。しかし、沼津のプレスにも全く物おじせずにボールをキープし、リズムよくパスを繋いでいく様は、「本当にデビュー戦なの?」と疑うくらい落ち着いていた。佐藤といい、戸水といい、そして川井といい、今年のルーキーたちの器の大きさは末恐ろしいものがある(その突破口を開いたのは國武の活躍なのだけど)。

さて、後半も半ばに差し掛かると、もちろん沼津も反撃開始。奈良クラブのような、組織力で立ち向かうチームに対して、相手がとるべき作戦は「各個撃破」である。要は強力な個人の力で局面を打開してチャンスを作る、ということだ。沼津の中山監督は川又、斉藤学という日本代表も経験した飛び道具を投入し、特に左サイドからの崩しを図る。やはりこの2人は流石だ。川又は入るや否や周囲の選手に立ち位置を指示し、奈良クラブにボロボロにされた組織の再構築する。斉藤は執拗に吉村と澤田の裏を狙い続ける。2人ともかなり足に来ている様子で、ここから何度も危険なシーンを作られることになる。奈良クラブにとっては試練の時だ。しかし、あくまでリードしているのは奈良クラブ。幸運の女神の前髪は絶対に放してはいけない。しかし、奈良クラブに襲いかかる試練はこれだけではなかった。

不可解な判定、立ち塞がる女神ならぬ守護神岡田

82分に鈴木に対する”不可解な”(最も、他に言葉はあるのだけど使える中で一番綺麗な語彙がこれなので不可解と言っておく)判定で、2枚目のイエローカード。退場処分となる。詳細についてはXにポストしたので、繰り返しはしない。ただ、これだけは書いておくと、鈴木の行為に何ら不自然なものはないし、ゲームキャプテンなら当たり前のことをしていただけだ。むしろあそこで黙っている方がキャプテンとしての資質を問われる。前述したが、彼はこの試合中、ひたすらにチームメイトにコーチングを行い、相手フォワードの鈴木と競り合いゲームに関与させなかった。同性の選手と対峙することになったが、この試合に参加できた「鈴木」は一人だけだった。それほど彼は躍動していたのだ。
鈴木の退場で騒然とするスタジアム。そのなかでも集中を切らさずに試合を進めるのが我らが守護神、岡田慎司選手だ。

彼のキャリアの長さから言って「50試合」というのは意外な印象もある。もっと出場していても良いのではないか、ということだ。彼は奈良クラブに移籍してからはセカンドゴールキーパーという立ち位置が多かった。アルナウの控えとして過ごしたシーズンもあったが、そのアルナウが怪我で離脱してからの彼の活躍ぶりを覚えているサポーターも多いことだろう。また、昨シーズンはマルク・ビトとポジションを分け合った。争ったという言い方もできるのだが、彼らは本当に仲が良いし、お互いを高め合っている。ビトが来てから岡田はキックの精度が伸びているし、ビトはキャッチングが上手くなった。

退場した鈴木からキャプテンマークを引き継いだ岡田は、浮き足立つことなく堅実なプレーを見せる。ちなみに、この日沼津のシュートはポストやバーに嫌われるのだが、岡田慎司の気迫がそうさせたというのは言い過ぎではないと思う。前節のパトリックもPKを枠外に飛ばしていた。岡田の佇まいは、なんというか大きいのだ。身長は180cm、キーパーとしてはそんなにサイズがある方ではない。それでも、彼がゴールマウスの前に立つと非常に大きく見える。安心感というのだろうか。彼がいるなら大丈夫だという気持ちにさせる。1人少なくなっても、彼は「ボールと女神の前髪だけは絶対に離さない」と決死のセーブ。彼はボールをセーブしているだけではない。試合そのものをセーブしているのだ。頼む、持ち堪えてくれ。

長い長い6分のアディショナルタイムを耐え抜き、ついに試合終了のホイッスル。歓喜に沸くスタジアム。持てる力を全て出し切ったとばかりにピッチに倒れ込む奈良クラブの選手の横で、岡田慎司は大きく左手を突き上げて勝利を噛み締めていた。今シーズン初のクリーンシート(無失点での試合)。圧倒した前半とは打って変わっての後半だったが、なんとか勝利を掴み取ることに成功した。

ちなみに、試合終了後に岡田慎司が真っ先に駆け付けたのはベンチで試合を見守った鈴木大誠だった。彼がこの試合にどれほどの意気込みで出場したのか、そのキャプテンマークを引き継いでのプレーにはどのような意味があったのか、それを知るには十分なシーンである。

フェーズ2の目的地

監督のインタビューを読むと、選手たちはこの試合に向けてのコンディション作りの部分でかなり苦労していたことがわかる。思えば先週は暴風雨、まるで冬に逆戻りかというような気候だった。一転してのこの日は真夏日。こういう季節は体調を崩しやすい。完全な不調という形に出なくても、監督がおっしゃるように判断力であったり、瞬間的な反応速度のところで遅れが出ることもある。難しい中での勝利には、一勝以上の重みや価値を感じる。また、この日は中田監督の誕生日でもあった。岡田慎司選手のセレモニー、奥田選手の入籍、川井大地のデビューと、奈良クラブにとっては祝い事の多い試合に勝利できたというのも、感慨深いものがある。得てしてこうしたメモリアルな試合というのは、勝利できないことが多い。本当によく勝てたなあと感じる。

また、インタビューのなかでは「フェーズ2」への言及もあった。「まだ何者でもない」という奈良クラブが、「何者かになる」ことが求められることがフェーズ2になる。それは今期の目標の設定値が確定するということでもある。優勝まで狙えるのか、プレーオフ圏内か、あるいは降格争いに巻き込まれるのか。まさに「神のみぞ知る」ということだろう。それでも僕たちは、毎試合期待せずにはいられない。なんというか、このチームには是非ともポジティブな意味で「何者かになってほしい」という願望がある。

The Beach Boysの名盤『Pet Sounds』のなかでも最も根幹にあたる楽曲が今回取り上げた「God Only Knows」である。この曲はまさに、ブライアン・ウィルソンが「何者かになろう」として書いた曲である。完成度は、あのポール・マッカートニーをして「史上最高の楽曲」と評されるほどだ。このアルバムまで、The Beach Boysはアメリカ西海岸のサウンドの代表として充分認知されていたし、「青い海・広い空・かわいい女の子」というカリフォルニアのカルチャーを目一杯楽曲に落とし込んでいた。ハーモニーを重ねるサウンドは彼らの代名詞にもなり、すでに十分すぎる名声と人気を得ていたThe Beach Boys。ブライアン・ウィルソンはその現状を良しとせず、さらなる音楽性を追求しようとする。それが音楽史に残る名盤とされる『Pet Sounds』だ。ただし、ブライアン・ウィルソンはこの作品に続く名曲「Good Vibrations」発表後ほどなく、精神を壊してしまう。彼の追い求める音楽性に、彼自身の耐久性が持ち堪えられなかった。それに続く大作「スマイル」を完成させるのは37年後のことだ。それほどに、「何者かになる」ということは、ある場合には悲劇的な結末になることもあるし、結果的にどこにも到達し得なかったということにもなりうる。それでも追い求めなければならないものなのだろう。

公開練習、あるいはSNSでの中田監督の言動は、要求水準が非常に高く、非常に厳しい態度であることはわかると思う。おそらくそれは、生半可な「なんとなくやっていれば上手くいくんじゃないか」というメンタルでは、ポジティブな意味で「何者かになる」ことなど到底無理なことだと知っているからではないか。試合中も含めて「そこまで言わなくても」と思うときもあるのだが、そこまで追い求めて初めてプロということなのだろう。
フェーズ2の相手は強敵揃いだ。この後のゴールデンウィークのアウェー鹿児島、ホーム宮崎と九州の強豪との連戦になる。さらに6月中旬からは、勢いのある栃木シティ(H)、FC大阪(A)、北九州(H)、松本山雅(A)と地獄の連戦だ。サマーブレイク前は前節に敗れた金沢とホームでリターンマッチ。この試合が終わったあたりで、奈良クラブの目標値はほぼ固まってくるだろう。

そのとき、僕たちにはどんな景色が見えているのだろう。まさに「神のみぞ知る」ことなのだけど、今日掴んだ幸運の女神の前髪は、しばらく離さない方が良さそうだ。彼女にはもうしばらく奈良クラブの側にいてもらい、ゴールデンウィークの連戦を良い形で乗り切りたい。こんな笑顔を何度も見たいものですね。