【創作大賞2026応募作】【動画付短編小説】【JACK】─異聞 更新型エデン/春の校庭(93)
夜の帳が、ひっそりと降りていた。
光が丘団地の部屋に、
さっきまでの雨粒は気配だけを残し、
湿った闇を優しく纏わせていた。
三つのベッドが横一列に並ぶ空間は、
音のない水面のように静まりかえり、
互いの影を測るように、
ただ沈黙を守っていた。
美咲の寝息が、かすかな波のように揺れている。
沙織が身を返すたび、シーツが小さく、夜に触れる。
神宮寺だけが、天井の白さを追っていた。
まぶたを閉じるまでには、もう少しだけ闇とのあいだに残しておきたい距離があった。
やがて思考の輪郭はほどけ、
意識は深い水底へと、ゆっくり沈んでいった。
――いつかの春だった。
校庭。
桜が、風に溶けるように流れていた。
花びらは一本一本が光を透かし、淡い桃色に輝きながら、ゆっくりと、雪よりも静かに舞い落ちる。
校庭全体が、薄紅色の柔らかな雪に包まれていた。白い雲がゆっくりと流れ、
午後の光が、砂埃にまで金色の粒子を散らしている。
聞き慣れたチャイムが、遠くで響いた。
神宮寺は制服姿のまま、立ち尽くしていた。
「遅いよ」
声がした。
振り返る。
順子がいた。
コンビニのパンを片手に、面倒くさそうにこちらを見ている。
「……なに、その顔」
神宮寺は何も言えなかった。
風が吹いた。
桜の花びらが、二人の間をゆっくりと埋めていく。
順子は眉をひそめた。
「変なの」
二人は並んで歩き始めた。
校庭の端。
フェンス越しの空は、果てしなく青い。
誰かが遠くでボールを蹴る音が、春の空気に溶けていく。
「なんか老けたね」
「……うるさい」
「難しい顔してるし」
神宮寺は小さく笑った。
順子も、満足そうに笑った。
少しの間、黙って歩いた。
春の風が通り抜けるたび、
桜の花びらが無数に舞い上がり、
まるで時間がゆっくりと息をしているかのようだった。
やがて順子が、ぽつりと言った。
「あのさ」
「……ん?」
「私、結構楽しかったよ」
桜が舞う。
「コンビニのパンも」
少し笑う。
「どうでもいい話も」
「……悪くなかった」
チャイムが鳴った。
世界が白く滲み始める。
順子がゆっくり遠ざかっていく。
神宮寺は思わず手を伸ばした。
あと少し。
指先が届く距離。
だが、触れた瞬間、
順子の輪郭は春の光に溶け、
無数の桜の花びらとなって、風に散っていった。
指は空を掴み、
静かにすり抜ける。
風だけが残った。
桜が、音もなく、容赦なく舞い続ける。
順子は振り返らなかった。
そのまま、光の向こうへ溶けていく。
神宮寺は追わなかった。
その時だった。
遠ざかる順子の声が、
風の向こうから聞こえた気がした。
「ちゃんと生きなよ」
風が吹いた。
優しく背中を押された。
神宮寺は振り返る。
誰もいない。
春だけが残っていた。
――朝だった。
光が丘。
カーテンの隙間から、薄い光が差し込んでいる。
キッチンからコーヒーの香りが立ちのぼる。
沙織の、小さな声。
美咲の、かすかな笑い。
神宮寺は、ゆっくりと息を吐いた。
深く、長く、
胸の奥まで空気を入れ替える。
そして、起き上がった。
部屋の向こうでは、もう朝が始まっていた。
――異聞録/春の校庭

失われた春は、 決して戻らない。
ただ、俺の中に生き続ける。
(映像)
【創作大賞2026応募作】【動画付短編小説】【JACK】─異聞 春の校庭(93)
— 隼人 (@hayato_watches) June 16, 2026
オリジナル音源通常版
「ちゃんと生きなよ」
風の向こうから、 そんな声が聞こえた気がした。 pic.twitter.com/BQhrBQJ60p
【創作大賞2026応募作】【動画付短編小説】【JACK】─異聞 春の校庭(93)
— 隼人 (@hayato_watches) June 16, 2026
オリジナル音源ロング版
木南三四郎に戻った刹那。
幻のような時の悪戯。
それでも確かに、 彼女はそこにいた。 pic.twitter.com/7iI3hu6QIu
【創作大賞2026応募作】【動画付短編小説】【JACK】─異聞 春の校庭(93)
— 隼人 (@hayato_watches) June 15, 2026
オリジナル音源ショート版
あの春だけは、今も終わらない。 pic.twitter.com/FtzyT6rCuF

※Murekaで制作したオリジナルのイメージ音源です。読後の余韻としてお楽しみください。
(動画内BGMとしても使用しています)
