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小さな子どもにとって、親は光なのだ。

私は、自分のルーツに関わる古いビデオを観た。

下町のアパートのベビーベッドで眠る私。その周りでは、入れ墨を入れた男たちが煙草をくゆらせ、下品な笑い声を上げていた。

物心つく頃、母は父から日常的に暴力を受けていた。父母の喧嘩が始まるたび、小学生だった私は年子の弟と「今日はどちらが止めに入るか」を話し合った。

父もまた、虐待の中で育った人だった。暴力は一つの家庭だけの問題ではなく、世代を超えて連鎖していたのだと、今は思う。

私自身もいじめを経験した。心は暗く沈み、自分が自分でないような感覚に襲われた。

高校二年で両親が離婚した。当てもなく街を彷徨い、何度も「死にたい」と考えた。

そんな日々の果てに、一つの答えだけが残った。

「世のため、人のために役立てるなら、生まれてきた意味がある。」

私は福祉の道を選んだ。

社会福祉士となった私は、高齢者福祉、路上生活者の緊急一時保護施設など、様々な現場を歩いた。

東日本大震災では、東京も停電や交通網の混乱など大きな影響を受けた。私は地震直後、一人暮らしの高齢者宅を訪問し、電気・ガス・水道など生活インフラの復旧を支援した。

支援によって人生を取り戻す人がいる一方で、必要な医療や福祉につながれず、制度の狭間で黙って取り残されていく人もいた。

現場で痛感したのは、日本の社会保障は申請主義だという現実だった。制度を知らなければ恩恵に与れない。本当に困っている人ほど、自らSOSを出すことさえできなくなっている。

「制度があること」と「支援が届くこと」は違う。

だからこそ、声なき声を拾い上げる人が必要なのだと思う。

忘れられない子どもがいる。

児童養護施設で出会った小学校一年生の女児だ。彼女は会うたび、誇らしそうに言った。

「私のお父さん、イケメンなんだよ。」

ある日、一人の老人が施設を訪れた。彼女の父親だった。

父親の姿を見つけた瞬間、彼女は駆け出した。あの笑顔は、今も忘れられない。

小さな子どもにとって、親は光なのだ。

子どもを守ることは、親を支え、家庭を支え、地域を支え、そして助けを求められない人へ手を伸ばすことでもある。

「すべての人に健康と福祉を」。この言葉は、福祉の道を志した日の私自身への約束である。

自ら助けを求められない人へアウトリーチを続け、見過ごされがちなマイノリティの声にも耳を傾ける。

誰もが安心して未来を描ける社会をつくるために、私は一人の社会福祉士として歩み続ける。

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