#541「興味グラフの設計者:ByteDance創業者・張一鳴と、効率性を突き詰めた機械のパラドックス」(起業家のフィロソフィー#27:張一鳴)
起業家のフィロソフィー。
今回は世界の企業家・起業家は何を考えて、どのような価値基準や哲学をもって、起業(企業)に取り組んでいるのか調べたいと思いました。「起業家の伝記」を配信していきます。
27人目は、ByteDance 創業者の張一鳴さんです。
Abstract
張一鳴(Zhang Yiming)は、起業家である前に、冷徹なまでの合理性を備えた「アーキテクト」である。福建省の読書好きのギークだった彼は、「情報流通の効率性」という一つの哲学に憑りつかれていた。彼は、従来の「人が情報を探す」モデルの非効率性に苛立ち、自ら「情報が人を探す」機械を設計することにキャリアを捧げた。
2012年に創業されたByteDanceは、その思想の実験場だった。Facebookらが築いた「ソーシャル・グラフ(友人関係)」の帝国に対し、彼は「興味グラフ(個人の暗黙的な行動)」という新たな大陸を発見する。その実装が、Toutiao(今日頭条)であり、最終形態がTikTokであった。
彼の設計思想は、技術(Monolith)、組織(Context, not Control)、そして経営(平常心)のすべてに一貫している。彼は、純粋な効率性を追求するアルゴリズムが、人間の編集者や旧来の組織階層よりも優れた解を導き出すと信じ、それを証明した。
しかし、その機械はあまりにも効率的に国境と文化を越えすぎた。結果、純粋な技術的効率性(アルゴリズム)は、彼が最も不得手とする二つの領域—複雑な人間感情の管理(組織)と、非合理的な国家の論理(地政学)—と激しく衝突する。
これは、自らが設計した機械によって、自らの哲学の限界を突きつけられたアーキテクトの物語である。そして2021年、成功の絶頂でCEOを退任するという彼の決断は、そのパラドックスに対する、彼なりの最も合理的な「解」であった。
序章:アーキテクトのパラドックス
2021年5月、世界で最も評価額の高い未公開企業ByteDanceが、10億ユーザーという大台を目前にしていたまさにその時、創業者である張一鳴(Zhang Yiming)は全従業員に一通の書簡を送った。
それは、CEOからの退任を告げるものだった。
その理由は、燃え尽きでも、スキャンダルでもなかった。文面に綴られていたのは、成功の絶頂に立つリーダーのものとは思えない、恐ろしいほどの自己分析であった。
「実のところ、私は理想的なマネージャーが持つべきスキルをいくつか欠いている」
「(人を動かすよりも)組織や市場原則の分析に、より興味がある」
「自分はあまり社交的でなく、読書や空想(Daydreaming)など、一人ですることが好きだ」
これは、単なる謙遜ではなかった。これは、自らを「システムの構成要素」の一つとして冷静に分析したアーキテクトによる、組織のボトルネック(彼自身)を排除するための、最も合理的な「再配置」の実行宣言であった。
張一鳴の物語は、21世紀における最も重要な「アーキテクトのパラドックス」を体現している。
彼は、福建省の平凡なギークとしてキャリアをスタートさせ、「情報流通の効率性」という一つの執着を、世界中の文化と産業を再編するアルゴリズム・エンジンへと昇華させた。彼が設計した機械(TikTok)は、あまりにも効率的に人間の興味を学習し、国境を越えた。
その結果、純粋な技術的効率性だけを追求する彼の設計思想は、彼自身が最も理解できず、最も不得手とする二つの巨大な壁に激突することになる。一つは、10万人を超える従業員の感情を管理する「組織の複雑性」。もう一つは、中国と米国の間で引き裂かれる「地政学の非合理性」である。
エンジニアとしてあまりにも過剰に成功したため、彼は自らが最もなりたくなかった「マネージャー」であり、最も回避したかった「政治家」になることを余儀なくされた。
これは、純粋な論理で動く機械を設計した男が、非合理的な現実世界と衝突し、変容していく軌跡の記録である。
第1部:情報効率の原体験 (1983-2011)
第1幕:図書館のギークと「PULL型」への不満
張一鳴の哲学は、彼の原体験に深く根ざしている。1983年、福建省龍岩で公務員の家庭に生まれた彼は、典型的な「ギーク」だった。中高時代から新聞や雑誌を「端から端まで」読みふけり、情報の流れそのものに魅了されていた。
2001年、彼は天津市の南開大学に入学する。当初、マイクロエレクトロニクス(ハードウェア)を専攻していた彼は、すぐにソフトウェア工学へと転向する。この最初の「ピボット(方向転換)」に、彼の核となる哲学が表れている。
彼が惹かれたのは、理論よりも「手を動かせる学び」、つまり迅速なフィードバック・ループを持つ実用的なシステムだった。物理的な製造プロセスに縛られるハードウェアよりも、コードによって即時性と無限のスケーラビリティを実現できるソフトウェアの世界に、彼は「情報効率」の未来を見た。
大学時代、彼は伝記を多読した。「偉人の若い頃は平凡だ」と知った彼は、「忍耐」の美学を学ぶ。彼にとって忍耐とは、短期的な雑音に惑わされず、長期的な構想が実現するまで辛抱強く待つ能力であった。
当時の中国のインターネットは、Sina(新浪)やSohu(捜狐)といった「ポータルサイト」が全盛期だった。それは、人間の「編集者」がトップページの見出しを決め、ユーザーが自ら情報カテゴリをクリックして探しに行く、「人が情報を探す(PULL型)」の世界だった。
張一鳴は、このモデルの根本的な「非効率性」に、本能的な苛立ちを感じていた。なぜ、情報が欲しい人間が、膨大な情報の山から自力でそれを探し出さねばならないのか?
第2幕:「情報が人を探す」プロトタイプ
その答えの原型は、彼が大学卒業後に見つけた。2006年、彼は旅行検索サイト「Kuxun(酷訊)」に、5番目の従業員、そして最初のエンジニアとして入社する。
彼の貢献は即座に現れ、わずか1年で技術責任者に昇進した。だが、Kuxunでの最大の収穫は昇進ではなかった。彼自身の「不満」の解決であった。
当時、彼は希望する鉄道の乗車券情報を得るため、自ら「検索」ボタンを何度もクリックし続ける作業に忙殺されていた。彼はこの非効率性に耐えられなかった。そこで、彼は小さなプログラムを自作する。希望条件がトリガーされたら、自動で自分の携帯電話に「短信(SMS)」で通知するスクリプトだ。
2006年に書かれたこの小さなスクリプトこそが、ByteDance帝国全体の「概念的祖先」であった。
彼は、無意識のうちにパラダイムシフトを起こしていた。従来の「人が情報を探す(PULL型)」モデルに対し、彼が実装したのは、情報が条件に合致した「人を自動的に探してくる(PUSH型)」モデルだった。
この「情報が人を探す」という体験こそが、2012年のToutiao(今日頭条)、そして世界を席巻するTikTokの「For You」フィードの原点となる。彼は、この小さな成功体験を、社会インフラ規模で実装する野望を抱き始めた。
第3幕:構成要素の収集
Kuxunを去った後、張一鳴のキャリアは一見、迷走しているように見える。
彼はまずMicrosoftに入社したが、その「息苦しい」ほどの官僚的なルールに馴染めず、すぐに退社した。その後、スタートアップのFanfou(中国版Twitter)に参加。そして2009年、Kuxunの不動産検索事業を買収し、自身初となる会社「99fang.com」を設立した。
これらの「失敗」や「寄り道」は、分析的に見れば、ByteDanceという巨大なシステムを構築するために必要な「構成要素」を意図的に収集する、完璧なR&D期間であった。
Kuxun(検索): 「PUSH型」情報配信のプロトタイプを経験。
Microsoft(大規模システム): 大企業の非効率性と、それを支えるインフラの「重さ」を体感。
Fanfou(ソーシャル): ソーシャル・グラフが情報伝播に与える力学を学ぶ。
99fang(創業経営): 創業者として、初めてアルゴリズムによる推薦サービスを構築し、経営実務を学ぶ。
2011年末、99fang.comは成功を収めていた。しかし、張一鳴は3年でこの会社をあっさりと手放す。これは彼のキャリアにおける決定的な特徴を示している。
彼は、現在の成功に対して感傷的な愛着を持たない。彼が愛着を持つのは、次の成功に関する、より優れた仮説だけである。
彼は当時、「スマートフォン × 機械学習」という、不動産検索よりも遥かに巨大な波が来ていることを確信していた。彼は、成功している事業(99fang)からリソース(彼自身の時間)を引き上げ、次の仮説に全振りする。
この「冷徹なまでのピボット」こそが、ByteDanceという帝国の礎を築いた、アーキテクトとしての戦略的DNAであった。
第2部:機械の鍛造 (2012-2017)
第4幕:「編集者なき」賭け
2012年、張一鳴は彼のキャリアで最も重要な一歩を踏み出す。大学時代の友人であり、後にCEOの座を継承することになる梁汝波(Liang Rubo)と共に、北京のアパートの一室でByteDanceを設立した。
彼らの最初の主要プロダクト「Toutiao(今日頭条)」のコンセプトは、当時の常識に対する完全な反逆であった。それは、人間の「編集部なき」ニュースアプリであり、すべてがAIによる推薦配信によって最適化されるというものだった。
当時の中国のニュースアプリは、SinaやTencentといった巨人が「編集部」を抱え、経験豊富な編集長がトップニュースを決めるのが当たり前だった。それは新聞社の紙面を、そのままスマートフォンの画面に移植したに過ぎなかった。
張一鳴は、この「人間の編集者」という存在そのものを、Kuxun時代に感じた「非効率性のボトルネック」だと断じた。彼は、人間の主観や経験則よりも、機械学習による最適化が、情報流通効率において必ず勝利すると確信していた。
第5幕:興味グラフ vs ソーシャル・グラフ
Toutiaoの設計思想は、シリコンバレーの巨人たちへの挑戦でもあった。FacebookやTwitterが「ソーシャル・グラフ(誰を知っているか、誰をフォローしているか)」に基づいて情報を流していたのに対し、Toutiaoは「興味グラフ(ユーザーが何をクリックし、何を読み飛ばしたか)」に基づいて情報を流した。
これは、二つの思想の決定的な違いである。
ソーシャル・グラフは、現実世界の人間関係の「写し鏡」であり、情報発見は友人の質に依存する。新規ユーザーは、まず友人を見つけなければならず、利用開始のフリクション(摩擦)が高い。
一方、張一鳴が設計した興味グラフは、友人関係を必要としない。アルゴリズムは、ユーザーの「暗黙的な行動シグナル(記事の読了時間、スキップ、クリック)」だけを頼りに、そのユーザーの興味を直接予測する。新規ユーザーは、ただコンテンツを消費(あるいは無視)するだけで、機械が勝手にそのユーザーの「興味ベクトル」を学習し、最適化していく。
これは、現実の人間関係からの解放であり、純粋な「興味」による情報マッチングの機械であった。
第6幕:1億ドルの燃料
このビジョンは、シリコンバレーの著名な投資家にも響いた。2014年、ByteDanceはSequoia Capital Chinaが主導するSeries Cラウンドで、1億米ドルという巨額の資金調達を達成した。
この1億ドルは、単なるアプリ開発費ではなかった。これは「ヘビーAI」への投資であり、張一鳴の賭けの正しさを裏付けていた。彼の賭けとは、安価なアプリを作ることではなく、競合他社が追随できないほどの莫大なコンピューティング・リソースと最高の人材を必要とする、超大規模なAIエンジンを構築することにあった。
彼は2014年の時点で、中国の検索巨人であるBaidu(百度)を「最大の競争相手」と見なしていた。彼が恐れていたのはBaiduの検索シェアではなく、Baiduが「最高のアルゴリズム人材」を擁しているという事実であった。彼は、この戦いが「アプリ」の戦いではなく、「アルゴリズム・エンジン」の戦いであることを最初から理解していた。
Sequoiaが投資したのはニュースアプリ「Toutiao」ではなく、その裏側で駆動する、まだ名前もなかった「Monolith(一枚岩)」エンジンそのものであった。このエンジンこそが、後に短尺動画という新たなフォーマットと出会い、TikTokとして世界を席巻する機械の心臓部となる。
第7幕:Monolith(一枚岩)の秘密
ByteDanceの驚異的な成長を理解するには、プロダクトの「見た目」ではなく、その「エンジン」を分解する必要がある。なぜTikTokのフィードは、InstagramのReelsやYouTubeのShortsよりも「中毒的」なのか?
その答えは、ByteDanceが後に学術論文として公開した、同社の推薦システム基盤「Monolith」の設計思想にある。
Monolithは、超大規模かつリアルタイムの推薦を実現するために鍛造された機械であり、その核心には「オンライン・トレーニング」という秘密兵器があった。
当時の多くの推薦システムが採用していたのは「バッチ処理」だった。これは、例えば「一晩かけて」前日一日分のユーザー行動データをまとめて学習し、翌日、新しい推薦モデルに更新するという、低速な学習モデルであった。
張一鳴は、これでも遅すぎると考えた。短尺動画のトレンドの半減期は、時に数時間、あるいは数分だ。ユーザーの興味は「次の1分」には変わっている。
Monolithは、この「バッチ処理」を捨て、「オンライン・トレーニング」を採用した。これは、ユーザーの行動フィードバック(視聴、スキップ、いいね)を、文字通り「リアルタイム」で学習ループに戻し、モデルを即座に更新するアーキテクチャである。
あなたが動画をスキップした、その瞬間。アルゴリズムは「このユーザーは今、この種のコンテンツに興味がない」と学習し、次に提示する動画を即座に最適化する。これが、TikTokのフィードがユーザーの好みに瞬時に適応し、「心を見透かされている」かのような体験を生み出す技術的な正体であった。
さらに、Monolithは「スケール」の問題も解決した。何十億ものユーザーと動画という「スパース(疎)」なデータを扱うため、「衝突レス(Collisionless) Embedding Table」というカスタム設計の巨大なデータ構造を採用。システムは、古いID(非アクティブなユーザーなど)や低頻度のデータを自動的に「Evict(追い出す)」ことで、メモリフットプリントを削減し、システム全体の速度を維持した。
多くのスタートアップが「プロダクト・マーケット・フィット(PMF)」を追い求める中、ByteDanceは「アルゴリズム・マーケット・フィット」を先に確立した。Toutiao、Douyin、TikTokは、同じエンジンを搭載した、異なるユーザー・インターフェースに過ぎなかった。
張一鳴の野心は、このエンジンを自社で使うだけに留まらなかった。後に「BytePlus Recommend」(グローバル)および「Volcano Engine(火山引擎)」(中国国内)として、このコア技術を外部企業にSaaSとして販売し始めた。
これは、Amazonが自社のeコマースインフラ(AWS)を外部に販売し、世界最大のクラウド企業になったのと全く同じ「AWSプレイブック」である。この戦略は、張一鳴がByteDanceを単なるソーシャルメディア企業ではなく、AIインフラ企業として構想していることを明確に示している。
第8幕:動画へのピボットと「ワープ」
2016年、張一鳴は強力なMonolithエンジンを、テキスト(Toutiao)から新しいフォーマット、すなわち「短尺動画」へと向かわせた。スマートフォンのカメラは高性能化し、通信インフラは4Gで高速化していた。この波を逃さなかった。
中国市場向けに「抖音(Douyin)」がローンチされる。
この組み合わせ—世界最強の「興味グラフ」エンジンと、「短尺動画」という最もシグナルの濃いフォーマット—は、爆発的な化学反応を起こした。Douyinはわずか1年で1億ユーザー規模に到達した。
2017年、ByteDanceは国際版として「TikTok」をローンチする。この時、中国のDouyinとは意図的に「分離」されたアプリとして運用が開始された。この「分離設計」は、当時は単なる市場ごとの最適化(ローカライゼーション)に見えたかもしれないが、後にByteDanceの地政学的戦略の根幹をなす、極めて重要なアーキテクチャ上の決定であった。アプリを分離することで、各市場の法律や文化規範に合わせた「コンテンツ・モデレーション・ルール」を、アルゴリズム・レベルで個別に実装することが可能になった。これは、将来の規制リスクを見越した、高コストだが戦略的な設計であった。
そして2017年11月、張一鳴は現代のテクノロジー史における最も鮮やかな戦略的買収の一つを発表する。ByteDanceが、欧米のティーン層に絶大な人気を誇っていた「Musical.ly」を、約10億ドルで買収すると発表したのである。
この買収は、単なる競合の排除ではなかった。これは「時間のハック」あるいは「戦略的ワープ」であった。
張一鳴の計算は冷徹なまでに合理的だった。
ByteDanceが持っていたもの:世界クラスのリアルタイムAIエンジン「Monolith」。
ByteDanceが持っていなかったもの:欧米市場の巨大なユーザーベース(需要)と、動画作成に習熟した活発なクリエイター・コミュニティ(供給)。
一方、Musical.lyは、その両方を持っていたが、ByteDanceのエンジンを持っていなかった。
2018年8月、ByteDanceはMusical.lyをTikTokに統合。既存の活発なエコシステムに、ByteDanceの優れたエンジンを「注入」した。張一鳴は、欧米市場をゼロから構築するという不確実で時間のかかる道を選ばず、市場そのものを買収し、それを自らのアルゴリズムで過給(スーパーチャージ)するという、最も効率的な道を選んだのである。
第3部:スケールの代償 (2018-2021)
第9幕:最初の衝突(国内ガバナンス)
ByteDanceがグローバルな成功の頂点に向かっていたまさにその時、張一鳴は国内で最初の、そして最も深刻な壁に激突する。彼の「アルゴリズム至上主義」が、純粋な効率性以外の価値観、すなわち「国家の論理」と正面衝突したのである。
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起業を志す全ての人のための伝記を作りたいと思い、なるべく、楽しく起業ストーリーを読めるように編集してみます。 起業家(企業家)の人生や価…
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