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#481「利益を「ウンチ」と呼んだ男。塚越寛と、日本でいちばん幸せな会社のつくりかた。」(起業家のフィロソフィー#19:塚越寛)

起業家のフィロソフィー。
今回は世界の企業家・起業家は何を考えて、どのような価値基準や哲学をもって、起業(企業)に取り組んでいるのか調べたいと思いました。「起業家の伝記」を配信していきます。

19人目は、日本の経営者:塚越寛さんです。


Abstract

企業の目的は、利益の追求と持続的な成長である。我々はその常識を疑うことすらない。しかし、その「当たり前」に真っ向から異を唱え、全く異なる原理で日本有数の優良企業を創り上げた男がいる。伊那食品工業の創業者、塚越寛。長野県の緑深き谷に佇む彼の会社は、利益を「ウンチのようなもの」、急成長を「敵」と呼び、売上ノルマさえ存在しない。にもかかわらず、48期連続の増収増益を達成し、国内寒天市場で8割という圧倒的なシェアを誇る。この強烈なパラドックスは、我々に根源的な問いを突きつける。会社とは、一体誰のためにあるのか。

塚越の哲学はシンプルだ。「会社の目的は、社員の幸福にある」。この思想は、単なる綺麗事ではない。それは、彼が死の淵をさまよった3年間の壮絶な闘病生活から生まれた、揺るぎない人生観そのものだ。本稿は、塚越寛という一人の男の人生を丹念に紐解き、彼の哲学がいかにして「年輪経営」という比類なき経営モデルへと昇華されたのかを明らかにする物語である。それは、目先の利益に追われる現代のビジネスシーンにおいて、リーダーシップ、組織論、そして人生の意味そのものを問い直す「思考の羅針盤」となるだろう。これは、成功譚ではない。幸福とは何かを問い続けた、一人の哲学者の軌跡である。

序章:逆説の楽園

長野県伊那市。南アルプスと中央アルプスに抱かれたこの谷あいの地に、その会社は静かに佇んでいる。伊那食品工業株式会社。しかし、その名を冠した看板を見つけなければ、誰もここが企業の営む本社だとは思うまい。

約3万坪の広大な敷地は「かんてんぱぱガーデン」と名付けられ、社員のためだけではなく、地域住民や年間40万人もの観光客のために開放されている。樹齢を重ねた木々が木陰を作り、四季折々の花々が咲き誇る。敷地内にはレストランやカフェ、美術館が点在し、子供たちの笑い声と鳥のさえずりが響き渡る。徹底的に磨き上げられた石畳に落ち葉一つなく、まるで一つの生態系のように、全てが調和し、息づいている。

ここは、楽園か。

この逆説的な光景こそ、創業者・塚越寛が半世紀以上をかけて築き上げた経営哲学の、何より雄弁な象徴である。彼は、現代資本主義のドグマを根底から覆す言葉を、平然と口にする。

「会社の目的は、利益の追求ではない」
「急成長はむしろ、会社を蝕む敵である」

正気の沙汰ではない、と多くの経営者は思うだろう。利益を追わずに、どうして会社は存続できるのか。成長なくして、企業の未来はないはずだ。だが、事実はその常識を無慈悲に裏切る。伊那食品工業は、この「非常識」な哲学を掲げながら、創業以来一度も赤字に陥ることなく、48期連続(当時)での増収増益を達成。国内の寒天市場においては、約80%という寡占的なシェアを握るトップメーカーとして君臨しているのだ。

なぜ、利益を追いかけない経営が、これほどまでの圧倒的な「結果」を生み出すことができたのか。 なぜ、成長を否定する会社が、誰よりも持続的な成長を続けることができたのか。 そもそも利益とは、成長とは、会社にとって一体何なのだろうか。

この謎を解く鍵は、財務諸表やマーケティング戦略の中にはない。それは、塚越寛という一人の男の、死の淵から始まった壮絶な人生の軌跡を、静かに遡ることでしか見えてはこないのである。

第一章:るつぼ

塚越寛がこの世に生を受けたのは1937年。日本が戦争へと突き進む、不穏な空気が色濃く漂う時代だった。長野県の山間に生まれ、彼が8歳の時、洋画家であった父が40歳の若さでこの世を去る。母は女手一つで5人の子供を育てることになり、塚越は幼くして、一家を支える責任の重さをその小さな肩に感じていた。芸術家という不安定な道を歩んだ父の姿は、反面教師として彼の心に「堅実な暮らし」への渇望を刻み込んだ。

彼は学業優秀だった。周囲からは東京大学への進学を嘱望されるほどの秀才であり、その前途には輝かしい未来が広がっていると誰もが信じていた。だが、運命はあまりにも残酷な形で、その希望を打ち砕く。

高校在学中、彼を襲ったのは肺結核だった。

当時はまだ死の病として恐れられていたこの病は、彼から学校生活を奪い、3年間にも及ぶ隔離された闘病生活を強いた。同級生たちが青春を謳歌し、未来への夢を語らう頃、彼は病室のベッドの上で、ただ天井を見つめるしかなかった。窓の外を歩く健康な人々を眺めながら、彼は骨身に染みて悟る。

「ただ歩けること。それだけで、人間はどれほど幸せなことか」

当たり前の日常が、手の届かない奇跡のように輝いて見えた。健康な人々が気づきもしないその価値を、彼は命の瀬戸際で発見した。この3年間は、彼の人生観を根底から作り変える、灼熱の「るつぼ」となった。彼は病床で、松下幸之助をはじめとする先人の書物を貪るように読み漁り、生と死、そして幸福とは何かについて、深く、深く思索を続けた。

彼が病に倒れた遠因は、貧困、過労、そして栄養失調にあった。その事実は、他者の痛みや苦しみに対する、痛切なまでの共感を彼の中に育んだ。なぜ、人は苦しまなければならないのか。どうすれば、人は幸せに生きられるのか。その問いは、もはや単なる知的好奇心ではなく、彼自身の存在を賭けた切実な探求となっていた。

後に彼は、この3年間を「素晴らしい贈り物だった」と振り返っている。

彼の経営哲学の根幹をなす思想――健康と幸福の至上性、苦しむ人々への共感、そして相互扶助の重要性――は、実質的に彼が経営者になる以前、この死の淵でその全てが形作られた。彼のビジネスキャリアは、新たな哲学を発見するための旅ではない。このるつぼの中で鍛え上げられた哲学を、現実世界で実践するための「器」を探す旅だったのである。

病から生還した彼を待ち受けていたのは、輝かしい未来ではなかった。それは、彼が乗り越えてきた絶望とはまた質の違う、新たな試練の始まりだった。

第二章:ゼロからの船出

奇跡的に快復し、社会へ戻った塚越を待っていたのは、「働けるならどこでもいい」という切実な思いだった。彼はまず、義理の兄が経営する地元の製材会社に職を得た。人一倍熱心に働き、新しいアイデアを出すその姿は、周囲からも評価されていた。しかし、その穏やかな日々は長くは続かない。

1958年、彼に突如として辞令が下る。当時、倒産寸前だった関連会社の寒天メーカー「伊那化学寒天(現・伊那食品工業)」の再建を任せる、というものだった。まだ21歳の若さ。与えられた肩書は「社長代行」という、異例にもほどがあるものだった。

彼が乗り込んだ会社は、惨状という言葉すら生ぬるい状態にあった。 当時の寒天業界は、農家が冬季の副業として細々と生産する、天候や原料の海藻供給に左右される典型的な相場商品に過ぎなかった。その中でも、後発であった伊那化学寒天は、文字通りの「破綻状態」にあった。

工場は「掘っ立て小屋」同然で、機械はわずか4台。社員は十数名ほどしかおらず、金融機関からの借入もままならない中で、設立後わずかで莫大な不良債権を抱えていた。「日本一貧乏な会社」と、社員自らが自嘲するほどの有り様だった。

若き「代理社長」に、高尚な理念を語る余裕など微塵もなかった。目の前にあるのは、倒産という崖っぷち。彼がまず全精力を注いだのは、ただ一つ、「売上を上げること」だった。仕入れ、製造、営業、研究開発まで、文字通り一人で何役もこなした。正月以外は休みなく働き、少数の社員たちと「一枚岩」となって、生き残るために奔走した。

そんな極限状態の中、彼の哲学の萌芽を告げる、ある象徴的な出来事が起こる。

当時の工場は、床が常に水浸しだった。社員たちは一日中、冷たくて重いゴム長靴を履いて作業することを強いられていた。それは、この会社の劣悪な労働環境そのものの象徴だった。誰もがそれを、この仕事の「当たり前」として受け入れていた。

だが、塚越だけは違った。

自身の闘病経験から、社員の肉体的な苦痛や不快感を、彼は見過ごすことができなかった。他の経営者ならば、それは生産活動に付随するやむを得ないコストと見なすだろう。しかし彼は、それを排除すべき「人間の苦しみ」と捉えたのだ。

彼は社員たちに呼びかけた。「この長靴と、さよならしよう」。 そして、「長靴よ、さようなら運動」と名付けられたこの活動は始まった。会社に新しい設備を買う金はない。塚越は社員たちと共に知恵を絞り、漏れ出す水を集める仕組みを考案し、自分たちの手で工場を改良していった。

この行動は、言葉以上に強力なメッセージとなった。経営者が、目先のコストよりも、現場で働く人間の快適さを優先する。その事実は、社員たちの心に深く刻まれた。それは、いかなる金銭的な報酬よりも確かな信頼の礎を築き、後に「伊那食ファミリー」と呼ばれる強固な一体感を生み出す、最初の狼煙となったのである。言葉ではなく、「目に見える思いやり」こそが、人の心を動かす。塚越は、それを本能で理解していた。

しかし、足元の床が乾いたところで、会社の存続を脅かす根本的な問題は、まだ山のように積み上がっていた。特に、業界そのものが抱える構造的な欠陥は、この若きリーダーに、より大きな変革を迫ることになる。彼の次なる一手は、この小さな掘っ立て小屋から、遥か世界の海へと向けられることになろうとは、まだ誰も知らなかった。

第三章:哲学の覚醒

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