真面目ですね
昔から『真面目ですね』とよく言われる。
呆れた風の冷笑を浮かべながら、あるいはため息と共に言われることが多い。
以前はこう言われると批判され、バカにされているように感じていた。真面目だ、というのは素晴らしいことの筈なのに、言われる度に後ろ暗いような、自分には悪い特性が備わっているような気がして、度々落ち込んだ。
そんな風に自分を育てた親を恨みたくなった。が、真面目であるという『長所』を持った人間として育ててくれたことには感謝こそすれ、恨むなんてことはとんでもない的外れなことだ、ということも理屈ではわかっていたから、その度にそういう考え方をする自分自身を責めていた。
就活している時、私の『真面目さ』を採用のための重要な要素として考える企業と、さして評価しない企業があることに気付いた。
ドンドン新しい発想を取り入れて、企業の在り方を変えていかねば、存続そのものが危うい、という大きな危機感を持っていると感じられる企業ほど、私の『真面目さ』を重視しなかったように思う。
一方で”信頼”というものを売り物の一つと考えている企業からは非常に歓迎され、大変高い評価をされた。
「あなたはとても真面目ですね」
という一言を、大いなる賞賛の気持ちを添えて聞かされる度、企業の評価のギャップに面食らい、わけがわからなくなった。
その頃の私は自分の在り方に全く自信がなかった、ということなんだろう。
『真面目』を辞書で引くと
①うそや冗談でないこと。本気なこと。
②真心のあること。いいかげんにごまかしたりはしないこと。
(小学館新選国語辞典 第九刷)
とある。
以前の私が『真面目だ』と言われることに卑屈になっていたのは、①の『冗談でないこと』を勝手に『冗談がわからないこと』のように取っていたからではないか、と思う。
テンポの速い、軽い言葉で交わされるやり取りには、いちいち真面目な熟考を必要としないこともある。お互いに近い感覚を持っている者同士が、こいつはある程度真面目であろう、という無言の信頼を相手に与えながら進んで行く。
端的に言えば話が早い。感覚的なのである。サクサク、という軽さを表す表現が、ピッタリくる。
けれど、私の『真面目』は腰が重い。
真面目にサクサクできればいいのだが、残念ながらそうは出来ない性質なのだ。
何かに答えを求められる度、『これが本当に正解かどうか』をイチイチ検証し、悩んで悩んでやっと相手に返す。
相手によっては、この返答を待つ時間は嬉しくない。イライラし、ため息をつきたくなる。慎重にも程がある、いい塩梅に融通利かせろよ、と文句を言いたくなる。
やがて『あの人真面目やから』と呆れることになるのである。
私が自分の『真面目さ』に自信を持ってもいいのかな、と思ったのは、師匠の一言だった。
以前も記事にしたので詳細は割愛するが、
「素直で真面目、というのは何よりの才能なんです。だからあなたは大丈夫です」
という言葉には嘘やおべっかの匂いが感じられず、心の深いところから出たものだと信じられたからである。
それまで、真面目であることに引け目を感じることの多かった私は、この一言で漸く、自分の真面目さに胸を張れるようになったと思う。
四十歳を超えていたと思うが、戸惑いながらも喜んでいいんだ、と感じたので印象に残っている。
その後も色んなシーンで『真面目だね』と言われることは度々あった。
そのうち段々、『これは私の長所なんだ』と素直に捉えることが出来るようになっていった。
必ずしも褒められる風ではないことも多々あったけれど、それはその人が私の『真面目さ』をどう感じるか、であって、自分という人間の在り方には全く関係ない、ということに気付いたからだ、と思う。
今はどんな風に言われても、自分の『真面目さ』を貶めるような気持ちにはならない。
私は『真面目な』人間なのだ、という静かな自信が、いつも自分を支えている。
これからもずっとそうだろう。
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