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自然ってなんだろう・非人工物とあるべき姿

自然ってなんだろう。

最近、その言葉が少し気になっている。

自然というと、今の私は、人の手が入っていないものを思い浮かべる。

山。
森。
川。
海。

人工ではないもの。
人間の外側にあるもの。
人間が壊してはいけないもの。

そんなふうに考えやすい。

けれど、「自然」という言葉は、もともと今のように「人間以外の世界」を指す言葉ではなかったようだ。

自然は、もともと「おのずからそうである」という感覚に近かった。
人間と自然を分けて、こちらが人間、あちらが自然、というよりも、
ただ、ものごとがそのようにある。

自ずから、然る。
おのずから、そうである。

そう考えると、少し見え方が変ってきた。

自然とは、人間の外にあるものではなく、何かがそのものとしてある状態だったのかもしれない。

無為自然。

これも、ただ何もしないという意味ではないと思う。
手を出さないことでも、努力しないことでもない。

余計な作為でねじ曲げないこと。
そのものが持っている流れを、無理に支配しきろうとしないこと。
知恵や欲で押しつぶしすぎず、ものごとが本来そうなる方向を見失わないこと。

そういう意味での、自然。

だとすれば、自然とは何なのだろう。

今の山や森は、本当に人の手が入っていないのだろうか。

里山は、人が長い時間をかけて関わってきた場所だ。
森も、植林されたものがある。
川も、護岸され、流れを整えられている。

植物もそうだ。

私たちが食べている果物や穀物の多くは、人が選び、育て、変えてきたものだ。
種のないバナナを見ると、これは自然なのだろうかと思う。

人の手が入っていないことを自然と呼ぶなら、自然はもう、深海と宇宙くらいにしか残っていないのかもしれない。

でも、そう言い切るには、まだ引っかかるものがある。

土壁や木造の家を見ると、私はあまり不自然だとは感じない。
それは人が作ったものだ。
完全に人工物だ。

けれど、木は木の性質に沿って使われている。
土は土の性質に沿って使われている。

人の手が入っているのに、自然から遠くない感じがする。

だけど金属には少し違う感覚がある。

鉱石から取り出し、精製し、都合のよい成分を抜き出す。
それは悪いことではない。
私たちの生活は、そういう技術に支えられている。

ただ、そこには、自然の性質に寄り添うというより、自然の中から目的に合うものを取り出す感じがある。

自然界に存在するかどうか。
人間が作ったかどうか。

それだけでは、うまく分けられない。

自然とは、人の手が入っていないことではなく、そのものの性質から、どれだけ切り離されていないか。
そこにあるのかもしれない。

けれど、自然だから良い、とは限らない。

人の手が入っていないものが、必ず身体にやさしいわけではない。自然界には、人間にとって敵対的なものもたくさんある。きっとその方が多い。

毒草がある。
毒を作る菌がいる。
食べ方を間違えれば危ない種子もある。

自然物だから安全。
自然物だから健康。
そう単純には言えない。

自然は、人間のために存在しているわけではない。

自然はやさしい母のようでもあるけれど、
同時に、人間を簡単に傷つける力でもある。

だから人間は、火を使ってきた。
煮て、焼いて、干して、発酵させてきた。
毒を避け、腐敗を避け、食べられる形に変えてきた。

そう考えると、人工そのものが悪いわけでもない。

人の手が入ることで、自然は人間と折り合える形になることがある。
毒が抜けることもある。
保存できるようになることもある。
暮らしを守るものになることもある。

では、何が自然から遠いのだろう。

たぶんそれは、人の手が入ったことそのものではない。そう思う。

そのものの性質を見ずに、都合だけを取り出すこと。

無理にねじ曲げること。
流れを断ち切ること。
本来そこにあった関係を、なかったことにすること。

そこに、私は不自然さを感じるのかもしれない。

これは、物だけの話ではない。

人間も同じかもしれない。

自然に生きるとは、山奥に行くことではない。
文明を捨てることでもない。
機械を使わないことでもない。

自分の性質を、無理にねじ曲げすぎないこと。

本当は疲れているのに、平気なふりをし続けないこと。
何かに違和感を覚えたとき、その感覚をなかったことにしないこと。
自分に合わない形へ、無理やり自分を押し込め続けないこと。

もちろん、人は社会の中で生きている。
思い通りにばかりはできない。
我慢も必要だし、役割もある。

それでも、どこかで自分の流れを完全に断ち切ってしまうと、
人は少しずつ、自分から離れていくのだと思う。

自然とは何だろう。

人の手が入っていないもの。
人工ではないもの。
健康によいもの。
癒してくれるもの。

そう言いたくなるけれど、たぶんそれだけでは足りない。

自然は、やさしいだけではない。
自然は、人間に都合よくできているわけでもない。
そして、自然は人間の外側だけにあるものでもない。

もともとの自然が、「おのずからそうである」という感覚に近いのなら、自然とは、外に探すものではなく、ものごとがそのものとしてある状態なのかもしれない。

人工の中にも、自然に近いものはある。
自然物の中にも、人間にとって危ういものはある。

大事なのは、人工か自然かを急いで分けることではない。

そのものの性質を見誤らないこと。
都合のよい言葉だけで持ち上げないこと。
都合のためだけに、無理に曲げすぎないこと。

自然に還るとは、人工物を捨てることではないし、非人工物を美化することでもない。

自然の強さも、怖さも、都合の悪さも見たうえで、
それでも制御しすぎない場所を探すこと。

そして、自分自身もまた、本質の流れから切り離しすぎないこと。

たぶん、そこに自然がある。

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