【エッセイ】余白日記・かえる場所
初めて陸に上がった魚は、海で泳ぐことに未練があったのだろうか。
手を捨て、翼を得た恐竜は、地を歩くことに未練があったのだろうか。
四つの足を捨てた人は、また地面に手をつきたいと思ったのだろうか。
生き物たちは、新しい場所へ行くとき、戻ることを前提にしていない気がする。
海から陸へ。
陸から空へ。
四つ足から二本足へ。
そこに住むと決めたなら、姿を変えるしかない。
呼吸を変える。
骨を変える。
皮膚を変える。
感覚を変える。
暮らし方を変える。
新しい場所に入るとは、自分の形を少し失うことでもある。
けれど人は、少し違う。合わせることを避けて、かえることを前提にする。
宇宙へ行っても、地球へかえる。
海へ潜っても、陸へかえる。
遠くへ行っても、元の暮らしへかえる。
かえる場所があるから、遠くへ行ける。
それは悪いことではない。けれど、ときどき思う。
人は、新しい場所に合わせるかわりに、その場所を自分の知っている形へかえようとしていないだろうか。
空気を持ち込む。
温度を持ち込む。
明かりを持ち込む。
道を通す。
名前をつける。
境界を引く。
知らない場所を、知っている場所に似せていく。
それは安心かもしれない。
でも、そこにあったものは、そのままでいられるのだろうか。
せっかく変わる機会だったのに、自分は変わらず、周りだけを変えてしまう。
それは旅なのだろうか。それとも、ただ故郷を広げているだけなのだろうか。
いつか星の彼方から来る彼らは、どちらだろう。
かえる場所を持った旅人だろうか。それとも、かえることを捨てた生物だろうか。
もし彼らが本当に星を渡ってきたのなら、母星に戻るための体ではなく、戻らなくてもよい体をしているのかもしれない。
あるいは逆に、どこへ行っても母星を持ち込むものかもしれない。
その場所の空を、
その場所の土を、
その場所の沈黙を、
自分たちの知っている形に変えてしまうものかもしれない。
どちらが本当に星を渡る者なのだろう。
新しい場所で、自分を変えるものか。新しい場所を、自分に合わせて変えてしまうものか。帰る場所を持つことは、安心だ。
でも、帰る場所に似せることばかり考えていたら、どこへ行っても同じ場所になってしまう。
海を捨てたものが、陸を得たように。
地を離れたものが、空を得たように。
本当に新しい場所へ行くには、何かを置いていかなければならないのかもしれない。
帰る場所を持たないものだけが、その場所の生き物になれるのかもしれない。
