【エッセイ】余白日記・回復について
年をとると、疲れが取れにくくなる。
昔は寝れば戻った。
少し無理をしても、何日かすれば戻った。
けれど今は、同じようには戻らない。
私は私の延長線上にいるはずなのに、どこか何かが欠けてしまったように感じる。壊れたのだろうか。弱くなったのだろうか。
たぶん、そうではない。
欠けたのは、回復の余白なのだと思う。
筋肉という予備。
眠りという修理の時間。
細胞の火力。
炎症を静める力。
無理を無理として扱う余裕。
若いころは、それらが見えないところで支えてくれていた。
だから、少し無理をしても戻れた。疲れても、また動けた。でも年を重ねると、同じことをしても消耗が大きくなる。
使った分が、すぐには戻らない。
それなのに私は、昔と同じつもりで自分を使ってしまう。
まだできる。
まだ動ける。
まだ大丈夫。
そう思っているうちに、回復が追いつかなくなる。
疲れが取れないのは、気合いが足りないからではない。回復には条件がいる。
眠ること。
食べること。
少し動くこと。
刺激を減らすこと。
何もしない時間を持つこと。
それらは甘えではなく、修理なのだと思う。
私は壊れたのではない。ただ、昔より修理に時間がかかる体になった。だから、使い方を変えなければいけない。
限界まで使ってから休むのではなく、少し残して休む。倒れてから戻すのではなく、減りすぎる前に戻す。
回復力は、気合いではない。回復力は、余白だ。
私が私を明日も使えるように、今日の私を少し残しておきたい。
