【エッセイ】余白日記・太陽の流れを失った時代から
太陽は東から昇り、西へ沈む。
あまりにも当たり前のことだ。何を言っているのだと思われるかもしれない。けれど、もし遠い未来、人が空を見ることをやめてしまったらどうだろう。地下で暮らし、昼も夜も照明だけで過ごし、季節を空調でしか感じなくなったとしたら、「太陽は東から昇る」という言葉は、驚くことのように聞こえるのかもしれない。
もちろん、これはたとえ話だ。だけど私たちもまた、似たような時代を生きている。
星を見て季節を知ることを忘れ、月の満ち欠けで日を数えることを忘れた。風の匂いや荒れた川の流れから天候を読み、自然の変化を暮らしの中で感じることも少なくなった。
昔の人にとって自然は景色ではなかった。
暦であり、時計であり、本であり、言葉を読み解くための辞書だった。
神話も、預言も、占いも、その辞書の上に書かれている。
ところが私たちは、その辞書だけを失い、言葉だけを受け継いだ。
だから、比喩を史実として受け取り、史実を創作として片づけてしまう。数年に一度の天体現象に驚き、月の満ち欠けに重ねられた意味を見失い、過去の人々の常識を、今の常識だけで読み解こうとしてしまう。
言葉は残る。
けれど、言葉が生まれた世界は残らない。だから、読み違えるのだ。知識が足りないからではない。読むための土台が失われてしまったからだ。そう思う。
私は、預言が当たるか外れるかを語りたいわけではない。占いを信じるべきか疑うべきかを語りたいわけでもない。
知りたいのは、その言葉が生まれた世界だ。
どんな空を見上げ、どんな風を感じ、何を当たり前として暮らしていたのか。
新しい知識を積み重ねることも大切だろう。でも、ときには立ち返ってみたい。私たちが失ったのは、きっと知識ではない。
その言葉を読むための「流れ」だったのかもしれない。
