私は失敗を見ていたけれど、長女は一緒に過ごした時間を見ていたのかもしれない
6月に長女のピアノの発表会があった。
長女から「ディズニーの曲をママと連弾したい」と言われ、私は20年ぶりくらいにピアノのレッスンへ通うことになった。
まずは譜読みから。
ヘ音記号は、書き出さないと読めないレベルだった。
実際に弾いてみると、譜読み以前にリズムトレーニングから必要だった。
発表会までに間に合うだろうか。
きっと先生も不安だったと思う。
それでも私は、「毎日練習すればきっとできる」と信じていた。
一方で長女は、あっという間に弾けるようになっていた。
焦る気持ちもあったけれど、それ以上に「コツコツ続ければできるようになるはず」という期待の方が大きかった。
レッスン3回目のとき、先生が私のことをとても褒めてくれた。
「すごい努力したね!!」
そう言ってもらえた。
いつぶりだろう。
努力したことそのものを褒めてもらえたのは。
練習を重ねるうちに、長女との連弾も少しずつ曲らしくなっていった。
「ここ合ったね!」
「今よかったね!」
そんなふうに喜びを分かち合える時間が増えていった。
そして発表会当日。
私は朝からそわそわしていた。
何度も長女と合わせた。
「連弾、楽しかったね。またやりたいね」
そんな未来を想像しながら、完璧に弾きたい気持ちがどんどん強くなっていた。
長女はというと、
「えーまた練習するの?」
と、少しうんざりしていたけれど。
会場に着くと、急に緊張が押し寄せてきた。
他の子たちが一生懸命弾いている音も、ほとんど耳に入ってこなかった。
そして、いよいよ私たちの番。
出だしは順調だった。
でも途中で、自分がどこを弾いているのかわからなくなった。
ズレ始めていることに気づき、さらに動揺した。
仕切り直して、途中からもう一度合わせた。
だけど、
「こんなはずじゃなかった」
という思いでいっぱいだった。
演奏後、長女は怒っていた。
私は、
「ごめんね。ママの大きなミスです」
と伝えた。
とても落ち込んだ。
仕事で大きなミスをしたときと同じくらい落ち込んだ。
帰り道も長女に謝った。
母の私が足を引っ張ってしまった。
長女の頑張りを台無しにしてしまった。
そんな気持ちでいっぱいだった。
すると長女が、
「またママと連弾したい!」
と言った。
私は一瞬、何を言われたのかわからなかった。
正直、怒っていると思っていたし、もう一緒に弾きたくないと言われても仕方ないと思っていた。
だから、その言葉に呆気に取られた。
長女は一人で弾いた方が、ずっと上手に演奏できる。
それなのに、また私と弾きたいと言ってくれた。
その優しさがうれしくて、涙が出そうになった。
私は発表会の数分間の失敗ばかり見ていた。
でも長女は、失敗した本番ではなく、一緒に練習した時間や、一緒に舞台に立ったことを見ていたのかもしれない。
完璧に弾けなかったことは悔しい。
それでも、あの日の連弾は失敗だけではなかった。
長女の優しさと、一緒に頑張った時間の大切さを教えてもらった発表会だった。
完璧な演奏ではなかったけれど、
・20年ぶりにピアノを弾こうと思えたこと。
・ヘ音記号も読めないところから始めたこと。
・毎日練習したこと。
・長女と「ここ難しいね」と話しながら連弾したこと。
発表会はたった数分だけど、
その数分のために積み重ねた時間は確かに存在している。
私は発表会で「上手に弾くこと」ばかり見ていたけれど、
長女と同じ目標に向かって頑張れたこと自体が、もう十分価値のある経験だったのかもしれない。
