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産業革命が産んだ階級のカルチャー【等身大のイギリス⑤】マンチェスターとOasis

結局、自分は自分。他の誰かにはなれやしないから、気にすんな。そうやってずっと生きてくんだ––。イギリスを代表するロックバンド、オアシス(Oasis)のメッセージは一貫している。ちょっと泥臭いほどシンプルな歌詞だが、捻りのない正直な思いは人々の心を掴み、普遍的なアンセムとなった。彼らのオリジンはイングランド北部の大都市、マンチェスター。「世界の工場」となったこの街では、工業資本の蓄財や労働者階級のエネルギーが独自のカルチャーの原動力になってきた。ロンドンには負けまいというプライドの源泉を探った。


前回はこちら:


世界初の旅客鉄道

マンチェスターはイングランド北部に位置する大都市だ。ロンドンから300kmほど離れており、車や電車で2~4時間はかかる。両都市の中間に位置するバーミンガムは、人口規模は大きいものの地理的に中途半端であり、経済力も少し劣るため、イングランドを代表する大都市は「南のロンドン」、「北のマンチェスター」という対比で語られやすい。マンチェスターは日本で喩えるならば大阪だ、というひとも少なくない。

朝、バーミンガムから出る高速バスに乗った。出発から2時間ほど経つと、赤茶色の煙突と白い屋根の工場群が見え始めた。伝統的な工業地帯だ。今日も空は雲に覆われていて、太陽の姿はない。

いかにもイギリスらしい車窓の風景

赤レンガ建築は工場だけでなく倉庫や住宅にも使われており、バーミンガムとよく似た光景が広がる。しかし、中心部に入ると、その上に乗っかるかのように青いガラスの高層ビルが現れるようになった。赤茶色の低層の建物と、青い高層ビルのコントラストが印象的だ。これほど高い建物があるとはあまり予想していなかったので少し驚く。古臭い工業地帯かと思いきや、ロンドンにも負けないような高層ビルがいくつも立っているではないか。どうやら、マンチェスターをみくびっていたようだ。

古い工業都市と現代のオフィス街が組み合わさったような景観だ

バスを降りた私は、中心地を訪れるより先に、マンチェスターで最も古い地域であるキャッスルフィールドに向かった。かつて古代ローマにより要塞が作られた場所であり、産業革命時には物資運搬の重要な拠点となったことで知られている。何しろ、世界で初めての本格的な旅客鉄道であるマンチェスター・リヴァプール鉄道が開通したのがこの場所だ。19世紀前半、蒸気機関の実用化により鉄道が開通し、大量輸送を実現したことは世界の産業や社会を大きく変えた。鉄道が走れば各地の商品が繋がって経済が活性化するだけでなく、全国規模で共通の法制度や一律の時間(タイムゾーン)を整備することが求められる。1830年のマンチェスターでの鉄道開通は、まさにそうした(やがては地球レベルの)社会変化を巻き起こす一つの転換点であった。

世界初の都市間旅客鉄道が開通したマンチェスター・リヴァプール間

鉄道の開通時、キャッスルフィールドには倉庫を兼ね備えたターミナル駅があり、マンチェスター側の玄関口になっていた。すぐそばには現在もリヴァプール・ロードという通りが残っており、西の港湾都市リヴァプールに向かってまっすぐ伸びている。

キャッスルフィールドのリヴァプール・ロード

そんなマンチェスターの歴史が最もよく分かるのが、鉄道駅の跡地に立つ科学・産業博物館だ。産業革命の中心地となったマンチェスターの歴史や、科学技術の発展、その功罪を紹介している。実は、マンチェスターは世界で初めて綿織物工業を機械化し、大量生産した街でもある。産業革命の文脈で有名なのはこの「綿のマンチェスター」という側面だろう。18世紀後半以降、それまで手作業で行われていた、綿ぐりや紡績(繊維を伸ばす過程)、製織(縦横の糸を織る過程)などの工程はそれぞれ機械で代替できるようになり、綿製品は一度に大量生産できるようになった。生産性は爆発的に向上し、資本家は他産業で蓄積した富を綿工業に投資して労働者を雇い、さらに富を増やしていった。

科学・産業博物館に展示されている綿織物の生産過程。
奥までずらりと機械が並び、綿が製品になるまでの過程を辿ることができる。

マンチェスターで綿工業が発達した要因はいくつかある。地理的には、イングランド北部を縦に走るペニン山脈に着目して、東西の気候の違いという説明がなされることが多い。偏西風は西から東へ流れるため、水蒸気を含んだ空気はペニン山脈手前の西で雨を降らす一方、山脈を超えた風下にあたる東側は乾燥しやすい。その結果、ちぎれやすい綿糸を扱う綿工業は湿った西側(ランカシャー)で、乾燥に強いので羊を扱う牧羊業は山脈を超えた東側(ヨークシャー)で発達しやすいのである。とはいえ、日本で言うほど山脈は高くないし、それほど明確に湿度が変わるわけではない気もするが、現地人も「そう言われればそうかもね」と言っていたので一応この説明を信じておこう。

加えて、鉄道との相互作用という視点も欠かせない。いくら大量生産できる技術が整ったとはいえ、大量輸送なしに大量生産はない。綿工業で例えるなら、まず材料となる綿花を大量に運ばなければ綿織物の大量生産はできないし、完成した綿織物を大量に運ばなければ利益にはならない。港湾都市である西のリヴァプールと鉄道で結びついてこそ、マンチェスターはアメリカ南部やインドなど世界から集まる原料を手にいれ、大量に加工・生産した製品を世界中に輸出することができたのだ。マンチェスターの軽工業は大量輸送を可能にする鉄道とセットで発達したのである。

ただ産業革命には負の側面も大きい。前回のバーミンガムでも触れたように、工業は環境汚染を引き起こし、非人道的な労働者の使用、児童労働など人間の生活を蝕む原因になった。労働者は政治的な権利も十分に与えられず、貧困や衛生不良に苦しめられてきた。

技術革新の負の側面についても言及がある。
個人的には高く評価したいが、この程度では足りないという意見もあるかもしれない。

また、工業の発展が国外の奴隷制度によって支えられていたことも事実である。グローバルな物質循環のネットワークの中で、海の向こうの搾取が英国の富を生み出していた。この博物館は、「綿と奴隷」というコーナーで奴隷船の記録資料を紹介し、アメリカ大陸のプランテーションで奴隷が賃金も自由も与えられずに使役されたこと、そしてその綿花がマンチェスターで生産する綿織物の原材料になっていたことを掲示していた。


蓄財が支えた文化の発展

この地を訪れて驚かされるのは、多くの遺産がまだ街の中に残っているか、それらが用途を変えつつもコミュニティのためにうまく活用されていることだ。キャッスルフィールドに残る鉄道駅とその周辺施設は博物館の一部になっているし、道路を挟んだ向かい側には運河が残されており、河辺には歩道が整備されている。

奥の建物はリヴァプール行きの鉄道駅(1830年建造)。
運河から上がってきたガチョウが我が物顔で歩いている

10分ほど東に歩くと、今度は先も見えないほど大きな建物が姿を現した。レンガ造りの3階建ての棟が、途切れることなく伸びている。この建物も、かつて鉄道会社の倉庫として使われていたものだ。作られたのは今から一世紀以上前の1899年。30年ほど前にリノベーションされ、現在は商業施設に姿を変えている。

商業施設に姿を変えた倉庫跡地(右手側)

脱工業化が進む20世紀末以降、マンチェスターの中心に残された多くの倉庫・工場跡地は無用の長物となったが、バーやレストラン、商業施設などへと転用され、新たな形で保存されていった。赤レンガの街並みは失われることなく、この都市がいかにしてできあがったかを今でも物語っているのだ。

産業革命をきっかけに世界の先駆者となったマンチェスターの軽工業は、この街に赤レンガの景観を残すのみならず、資本の蓄財を通じて文化の発展をも支えた。工場経営で富を蓄えた資本家が、その資金を使って世界中の絵画や資料を収集したからである。彼らのコレクションは現在、マンチェスター美術館や市内の図書館に納められ、市民に一般開放されている。こうした文化施設も、産業革命が産んだ遺産と言って良いだろう。

マンチェスター市立美術館

マンチェスター市内には、大小二つの図書館が存在する。まず、大規模な蔵書を誇り市民にとって知識へのアクセスポイントとなっているのが、市庁舎近くに位置するマンチェスター中央図書館である。古代文明を彷彿とさせるような円形のホールに、列柱の玄関がついている。

マンチェスター中央図書館。
中は広々としており、勉学に励む学生や地元の人の交流の場となっている

今回の旅行には私にとって資料収集という第二の目的があったので、数時間ほど滞在して閲覧室を利用させていただいた。また、地下一階では地元のアーティストの方が水や河川をテーマに展示を行っており、そちらも興味深く覗かせてもらった。市が公共空間の維持や文化的な活動にお金を出すのは良いことだとつくづく思う。ちなみに、マンチェスター市はイギリスで最も早い1852年に公立の無料図書館を設けた自治体なのだという。今から170年も前から無料の図書館があったとは驚きである。

もう一つの図書館が、重厚な石造りのジョン・ライランズ図書館だ。綿工業で財をなした実業家、ジョン・ライランズ(1801-1888)の死後、彼の妻が夫の遺産で設立した学術図書館であり、こちらも無料で開放されている。建築はゴシック様式を採用しており、外見も内装もまるで教会のように見える。図書館だと言われると不思議な気分になるほどだ。現在はマンチェスター大学の一部となっており、街の歴史を展示するなど博物館のような側面も持っている。

ジョン・ライランズ図書館の内部

夜、街中に残された伝統的な建物たちは、色鮮やかにライトアップされ、見る者を楽しませてくれる。例えば鉄道会社の倉庫だった建物は、ファサード部分が鮮やかな赤に照らされ、無機質な都市景観に新たな彩りを加えている。かつてはこの建物の背後にずらりと線路が並び蒸気機関車が走っていたというが、今ではそんなことは想像もつかない。

赤く照らされる倉庫跡地。
建物の上部に「グレート・ノーザン鉄道会社物品倉庫」とある

明るさに誘われてふと頭を上げると、今度は壁面のライランズという名が目に入った。実業家ジョン・ライランズにちなんでいるようだ。こちらは街の広場に面するようにそびえる建造物で、その名を「ライランズビル」という。長らくデパートとして使われていたが、今年から再開発工事に入っている。青白い光が街を照らしていたが、次はどんな用途に生まれ変わるのだろうか。

南へ下ってくると、青く光る半円が目に入った。どこか東京の永代橋に似ているが、こちらは1969年まで鉄道のターミナル駅だった建物だ。駅が不要になってからコンサート会場などとして使われ、現在はマンチェスター中央会議場となっている。昔、GMEXと呼ばれていた頃にはOasisもコンサートをしたことがある。

マンチェスター中央会議場

夜、散歩を終えてホステルに帰った私を待っていたのは気さくなルームメイトたちだった。口髭のポルトガル人と長身のインド人は私と同様、イギリスを旅するバックパッカー。一緒にビールを飲んで就寝した。


バーナム新首相の「黄色い足」

「かつての駅」や「かつての鉄道」という話ばかりしていると、マンチェスターは交通手段がどんどんなくなってしまったのか、と思われそうだが、もちろんそうではない。かつて必要だった鉄道網は、旅客輸送というよりも、大規模な工業生産に伴って発生する貨物輸送を担うものだった。それらは20世紀に下火になっていき、駅や倉庫はその役割を終える。

代わりに必要となるのが、よりシンプルかつスマートな形で市内の移動を支える都市型の交通システムだ。現在、マンチェスターの市内ではあちこちに黄色いデザインを見つけることができる。メトロリンクと呼ばれる路面電車や、市内を走る2階建てバスがどれも黄色を基調としているからだ。これらは黄色い蜂(bee)のロゴにちなんで「ビー・ネットワーク」と呼ばれ、市民の足となっている。

黄色い路面電車

ビー・ネットワークはグレーター・マンチェスター市の交通局が運営する公的な交通網であり、市民が普段から利用しやすいように運賃は低価格に抑えられている。車内は比較的混んでいて、ひっきりなしに次の車両がやってくるほどの盛況ぶりだ。乗客は毎年増え続けているという。

バスも同じカラーだ

この交通システムの改革で支持を集めた政治家がいる。2017年からグレーター・マンチェスターの市長を務めてきた労働党のアンディ・バーナム氏だ。彼はサービスの衰退などに悩まされてきた各地の民間事業者を公的管理のもとに統合し、ビー・ネットワークとしてデザインし直した。住民の利便性を第一に考え、安価な運賃を維持しながら延伸や結合を加速させた。彼の改革は成功を収め、「マンチェスター主義(Manchesterism)」として全国の注目を集めている。

ビー・ネットワークのみならず、近年のマンチェスターの成長は凄まじいものがある。ここ10年でいくつもの高層ビルができ、雇用が創出され、人口は10%も増えた。成長率は全国平均の2倍に及ぶ(BBC)。私が最初に感じた「古臭い工業地帯かと思いきや」という意外さ、「マンチェスターをみくびっていた」という反省も、ここ最近の成長ゆえにもたらされたものだろう。

マンチェスターの街中は若者で溢れていて活気がある。ロンドンを離れてから味わっていなかったような大都市の活気がマンチェスターにはあるのだ。できたばかりの青い高層ビルが輝きを放っており、今でもクレーンが立ち並んでいる。リノベーションされた古い倉庫群も集客に成功しており、夜になればあちこちのバーやレストランが賑わいに包まれる。まさに再開発、リノベーション、新交通の建設、人口増加といった街の再生が起きているのだ。

マンチェスター中心部は活気に溢れている

長らくロンドンへと流出していた人口移動はついに逆転し、マンチェスターは住人が離れていく街から新たな住人を集める街へと大変貌を遂げた。マンチェスターで育った多くの若者は、その後もこの街にとどまりたいと考えるようになった。

なぜマンチェスターは好循環に乗ることができたのだろうか。現段階では、大学や空港など都市インフラが充実していることや、中心部のコンパクトさゆえの利便性など、さまざまな要因が指摘されている。金融やITといった多様な産業が集積し、雇用の幅が多様化したことも大きい。あるいは、不動産価格が高騰しているロンドンの市場の熱が、より穏健な形で波及しているという考え方もできるだろう。他方、地元ではやはりバーナム市長のおかげという認識がかなり強いようである。新交通システムがどのような経済効果をもたらしたのか、具体的に測定することは難しいが、衰退していた交通網を公的管理で復活させた市長の手腕に、地元の評価は高い

夜の路面電車は明るい黄色が映える

バーナムへの高い評価は、今年(2026年)のイギリスを大きく変える起爆剤になった。地元の根強い支持を足がかりに、バーナムは首相の座へ続く階段を駆け上っているからである。

今年5月に行われた地方戦では政権を担う労働党が大敗し、党首であるキア・スターマー首相は強い退陣圧力に晒されてきた。そんな中、マンチェスターのメイカーフィールド選挙区では、現職の労働党議員が「バーナム氏を議会に」送り出すため辞任を表明し、6月に補欠選挙が行われた。この議員は地元のスターであるバーナムを首相にするために、自ら辞職して議員ポストを譲ったのである。結果、バーナム氏は過半数の票を得て国政に復帰し、労働党党首選への挑戦の切符を得た。あとは、来たる党首選を無事に抑えるだけだ。今のところ、「バーナム首相誕生」は確実視されている

バーナムがマンチェスターで10年かけて固めてきた「黄色い足」は、自身を首相に押し上げる大きな踏み台となったのである。今後、「マンチェスター主義」は英国社会を変えられるのだろうか。全国の期待と注目が集まっている。


曇天のグルーヴに乗って

2日目の朝、小鳥の囀りを聞きながら外に出ると、空は雲で埋め尽くされていた。一方、植物たちは豊かな降雨を存分に浴びて、冬でも元気そうにしている。さすがはガーデニングの国だ。住宅街を歩けば道の両脇を芝生が彩ってくれる。太陽光がなく薄暗いので、緑の色味は少しベッタリとしているが、それもまたイギリスらしい。

ホステルのご飯が割高だったので、スーパーで朝食を買うことにした。同じ金額を払うならなるべく栄養価もカロリーも高そうな組み合わせを……と思い、BLTとカフェラテ、チョコクロワッサンを手に取った。3点合わせて約4ポンド、日本円で800円ほどだ。ありがたい。BLTはきちんと美味しいし、ずっしりと重みがあり、ケチ旅行中の自分には涙が出そうになる。

さて、曇天のマンチェスターに似合う音楽といえば、やっぱりOasisである。どこからかあのギターのイントロが聞こえてきそうな気分だ。F#mを軽快にストロークして、高音のストリングがカラカラと回り始める。「ワンダーウォール(Wonderwall)」のイントロはやっぱりすごい。兄ノエルが奏でる、どこかエキゾチックなアコースティックギターのサウンドが周回すると、弟リアム(Vo.)の芯のある声が重なりはじめる。

白状しよう。中学生の頃初めて「Wonderwall」を聞いた私には、この曲の良さが全く理解できなかった。だらだらしていてサビもわかりにくいし、明るくもないし暗くもない、中途半端な曲だという印象を受けた。しかし、今は流れてきたら体が揺れてしまうほど好きな曲になった。ちなみに、「Wonderwall」が収録されたアルバム『(What's the Story) Morning Glory?』はイギリスで90年代に最も売れたアルバムになった。

最初に奏でられる音であり、この曲のキーにもなっているF#mというコードは、明るさはないが、どこかオシャレさのある不思議なコードだ。そして、カラカラと響き続ける1弦・2弦の高音は4つのコードを巻き込みながら独特のリズムのうねり、グルーヴ感を生み出していく。あとはそのグルーヴ感に音を重ねていって、まるでメリーゴーランドをぐるりぐるりと回るように展開していく。確かに、パッとした明るさがあるわけでもないし、突き抜けるようなサビがあるわけでもないが、それこそがこの曲の良さだ。

小雨がぱらつくマンチェスター

イギリスの空を見上げると、なんだかこの国で「Wonderwall」が生まれた理由が分かる気がしてくる。この国の天候は、太陽が燦々と降り注ぐような明るいものではない。外に出て踊ろうみたいな雰囲気ではない。だけれど、曇天の中でも等身大の希望は生まれてくる。水たまりを避けながら歩いてたら、だんだんステップを踏み始めて、体を揺らしながらリズムに乗ってしまう。そんな感じだ。

「Wonderwall」だけではない。「スーパーソニック(Supersonic)」も初期のOasisらしい名曲だ。JPOPが好きな人はなんだこれ、という感想を持つかもしれない。だらだらしている、と思われるだろう。でも、ちょうど水たまりを避けながら歩くくらいのスピード感になっており、聞いていると居心地が良くなってくる。

リアムのハスキーな声とノエル(Gt.&Cho.)の階段を上って下がるようなギターリフが脳裏に焼き付いたらもうおしまい。あなたはリアム歩きをしながらイギリスの曇天が恋しくなってしまうだろう。彼らのグルーヴがなぜこんなにウケたのか、私にはうまく説明できないが、気づいたら体が揺れてしまうような音楽なんて、すぐに染み付いてしまうに決まっているのだ。イギリス人は好きか嫌いかに関わらず基本的にOasisの曲は知っている。旅行中にも、パブで知らないおじさんと「Supersonic」を一緒に歌ったし、イングランドのサッカーファンはよく「Wonderwall」を歌う。


「怒りをもって振り返らないで」

Oasisは浮き沈みの激しいバンドである。90年代に一世を風靡し当時の音楽シーンの頂点に立ったが、2000年代以降は低迷し、2009年に兄弟喧嘩をきっかけに解散した。しかし、2024年に驚天動地のビッグサプライズで再結成を発表し、2025年のワールドツアーで延べ200万人を動員した。一方、彼らの作った名曲はバンドの浮き沈みに関わらず、絶えず歌い継がれ、人々の支持を集めてきた。

2017年にわけあって再注目を浴びることになったのが、ノエルがボーカルを取った名曲、「ドント・ルック・バック・イン・アンガー(Don't Look Back In Anger)」だ。前述のアルバムに収録されており、日本でも根強い人気を誇る一曲だ。タイトルの日本語訳は「怒りをもって振り返らないで」。1950年代に公開された舞台劇に「怒りをもって振り返れ」(Look Back In Anger)という作品があるが、ノエルの作った曲は頭に"Don't"をつけてその逆のことを言おうとしている。

この曲が思い出されるきっかけとなったのが、2017年に起きた凄惨なテロ事件であった。アリアナ・グランデのマンチェスターでの公演後、リビア系イギリス人の犯人がアリーナで自爆テロを敢行。計23名が死亡し、59名がけがを負う大惨事となった。事件は世界中に大きな衝撃をもたらし、イギリス社会全体が自粛ムードに包まれた。マンチェスター大聖堂の近くには無数の花が手向けられ、深い悲しみが広がった。

そんな中、追悼集会に集った一人の市民が口ずさみ始めたのは、Oasisの「Don't Look Back In Anger」だった。「サリーは待ってくれる」「怒りをもって振り返らないで」。周囲の人々も歌い始め、最後は大きな斉唱になった。テロの衝撃を憎悪やさらなる社会の分断に繋げてはならない。和解や結びつきを希求する切実な思いは、この曲に乗ってイギリス社会に広がっていった。私はこの動画を見ると今でも泣きそうになる。

もともとこの曲には、歌詞それ自体に深いコンテクストはない。「サリーが誰かなんかわからない」と作詞したノエル自身が公言している。だからこそ、人々の想いがこの曲に新たな意味を加えた。「怒りをもって振り返らないで、あなたがそう言ってるのが聞こえた」。追悼の現場で与えられた新たな意味合いは再び人々を結び付け、悲惨な事件を乗り越える合言葉になった。

事件から数ヶ月後、アリアナ・グランデはマンチェスターで追悼のチャリティー・コンサートを行った。この際、壇上に上がったコールドプレイは、観客とともに「Don't Look Back In Anger」を歌った(YouTube)。「人々を結びつけるのは音楽だ」というのはノエルの言葉だ。「こういう悲劇が起きると政治家やらが『〜のために立ち上がる!』などとくだらないことを言うが、結局、人々を結びつけるのは音楽なんだ」(BBC)。

2010年代のヨーロッパは今では考えられないほどテロの恐怖に包まれていた。パリやベルリンでも、イスラーム系の過激思想に染まった青年がいくつもの自爆テロを起こしていた。テロの恐ろしさはいつ起こるか分からないという予測不可能性にある。自分が何も悪いことをしていなくても、安全な場所にいても、突如巻き添えを食らって被害者になるかもしれない。その恐怖ゆえ、テロは社会の対立や憎悪の原因となりやすい。

イギリスの場合、20世紀には長らくアイルランド独立闘争のメンバーによる爆発テロを被ってきたが、2010年代の自爆テロは実行犯の新たな特性ゆえ、移民集団の統合という社会的課題を露呈させるものになった。英国の移民政策は「違いを認め合う」という前提に立ち、同化を強要してこなかったが、むしろそれが移民コミュニティの社会からの疎外をもたらしていた側面もある。イギリスで生まれ育ちながら、その社会に大きな敵意を向けるようになった移民2世の青年たちにどう向き合うか。怒りや憎悪ではなく、手を取り合って考えねばならない。


労働者と政治

マンチェスターには興味深い博物館がある。その名も、国民の歴史博物館(People's History Museum)。国民の歴史とは誰のなんの話だ、と思われるかもしれないが、簡単にいうと労働者と民主主義の話だ。エリートではなく一般の大衆が、資本家や政治家ではなく労働者が、イギリスの社会や政治といかに関わり、いかなる歴史を歩んできたかを展示している。ちなみに訪問時の私は知らなかったのだが、この建物の地下には労働党の資料室があるという(先日先輩から教わった)。

この博物館はなぜマンチェスターにあるのか。それは、労働者の街であるマンチェスターが政治的権利を求める運動の聖地となってきたからである。19世紀初めのイギリスには、利権争いを中心とした寡頭的な政党政治が敷かれており、人々の選挙権はほとんど認められていなかった。経済的な困窮も重なり、不満を溜め込んだ民衆は議会の改革と選挙法改正を求めて立ち上がった。

19世紀、選挙権の拡大を求め労働者の大規模な運動が展開された

1819年にはマンチェスターのピータールーで数万人の労働者が集会を開き、軍がこれを弾圧して流血の事態となる(ピータールーの虐殺)。しかし運動は止まなかった。1837年には北部の諸都市で工場労働者が闘争を展開し、男子普通選挙など政治改革を要求する(チャーティスト運動)。政治に対する改革要求は、多くの工場労働者を抱えたマンチェスターなど、北部の諸都市が震源地になって生じていたのである。

この博物館の第一の意義は、こうした民主政治の成立の過程を学ぶことで、先人が獲得してきた権利の貴重さを感じることにある。民主政治は先人たちが命をかけて獲得した賜物であるから、大切にし、後世に引き継がなければならないという発想だろう。

もう一つの目玉は、現代において労働者がどのような政治運動をしてきたかの展示である。最も盛り上がりを見せるのは、1980年代のサッチャリズムに対する抵抗運動だ。公的部門を民営化し炭鉱を閉鎖するなど、経済改革を断行しようとする保守党のサッチャー政権に対し、北部の炭鉱労働者は徹底抗戦で応じた。ストライキを実施し、サッチャーを悪魔化したが、政権側は警察を動員しながら運動を鎮圧し、組合を敗北へ追い込んだ。

皮肉なことに、イギリスにおいて、労働者の権利運動が完全に勝利を収めたことはない。イギリス政治史の基本は、エリートがトップダウンで選挙法を改正し、労働者を懐柔しながら取り込むというプロセスであり、労働者が労働者のための政権を作るような華々しい革命は起きない。20世紀後半の労働者の政治運動も、サッチャリズムへの完全敗北に終わった。それでも、北部の労働者たちが民主政治の担い手として声を上げてきたことはたしかにイギリス政治の重要な部分を占めており、語り継がれるべき価値がある。


労働者とフットボール

一方、政治での完全勝利はなくとも、カルチャーの発達は労働者階級によるところが大きい。労働者の街であるマンチェスターは、酒を嗜むパブ文化や休日のフットボール(サッカー)、ロック音楽といった階級的なカルチャーの拠点になってきた。

ちなみに、かつての労働者階級にアルコールが蔓延した背景としては、辛い環境に耐えるための現実逃避という側面のみならず、綺麗な水が手に入らなかった時代に代替飲料としてビールを飲んでいたという事情もあるという。

しかし、アルコールは体を害する。労働者が酒で溺れて仕事に支障をきたすくらいなら、体を動かして健康を維持してもらった方が、本人にとっても社会にとっても都合がいい。そこで労働組合や信徒団体ごとに組織され始めたのが、地元のフットボールクラブである。土曜日は半日働いて午後3時にキックオフ。労働者は余暇の時間にサッカーに興じるようになり、マンチェスターには「ユナイテッド」と「シティ」の2大チームが誕生することとなった。それぞれ起源となった産業が分かれていることもあり、強烈なライバル関係にある。

朱色を纏うマンチェスター・ユナイテッドは鉄道会社の労組から発展した伝統的なクラブで、90年代にはデビッド・ベッカムが在籍していたことでも知られている。一方、水色が特徴的なマンチェスター・シティは19世紀末に教会の主導のもとで設立され、近年は中東資本の投資を受けて急激な成長を遂げた。それぞれに熱狂的なファンがおり、熱い試合が繰り広げられている。地元に根付いたフットボールクラブはまさに英国の労働者の作り上げてきたカルチャーであり、マンチェスターの誇る遺産であることは強調してもしすぎることはないだろう。


労働者と音楽

最後に、音楽である。この記事で何度も取り上げているOasisは労働者階級の代表格とされているロックバンドであり、その楽曲はイングランド北部における労働者の暮らしぶりや感性を大いに反映したものだと言われている。バンドの中心となっているギャラガー兄弟(兄ノエルと弟リアム)は、アイルランド系の両親のもと、マンチェスターの南側に広がる公営団地で生まれ育った。父はアルコール依存症で暴力癖があり、両親は子供たちの幼い頃に離婚している。

アーティストの音楽を経歴と結びつけたがるのは人の性だろうか。それでも、作り手の生きてきた環境が楽曲に色濃く反映されるのは事実である。1994年発表の「スーパーソニック(Supersonic)」にはヤク中の女の子「エルサ」が登場し、はちゃめちゃな生活が描かれるが、結局「自分らしくいなくちゃね」という話に落ち着く。誰かの存在を否定も肯定もしない歌詞だ。

こうした歌詞の曖昧さや前向きな姿勢が、普遍性をもって大衆の心を掴んだのだとよく言われる。これも労働者階級ゆえなのだろうか。少なくとも、彼らが馬鹿にするロンドンの「坊っちゃんバンド」に比べれば、捻りのない、まっすぐな歌詞がOasisの強みだ。

壁にギャラガー兄弟が!

マンチェスターの滞在最終日、私はOasisファンがOasisファンのために作ったような音楽バーを訪れた。壁や天井には余す所なくOasisのポスターや関連グッズが掲示され、シャツの販売やギターの展示まである。ちなみに店員はOasisのTシャツを着ていて、もう隙がないくらい店中Oasisで満たしてある。サイダー酒を飲みながら流れてくる音楽に身を委ねる。この日は若者のバンドがOasisやBlossomsなどマンチェスター出身のバンドの曲をカバーしていた。

飲みながら、隣の席にいた男性と仲良くなった。マンチェスター訛り(マンキュニアン・アクセント)が強く、"D'you like 'em?", "Yeah man"と、短い言葉が独特のアクセントで勢いよく飛んでくる。カーハートの帽子が似合う彼は、バーを経営する遊び人。もちろんOasisの大ファンで、スマホのロック画面はリアム・ギャラガーに設定している。マンチェスターの街と音楽が大好きだという。

音楽が人と人を繋ぐとは、言ってしまえば陳腐な言葉だが、それでも他の言い換えが見つからないくらい的を得た言葉でもある。私はOasisの曲を知っているだけであのバーを楽しみ、新しい友達にめぐり会うことができるのだ。

ちょうど音楽祭ブリット・アワードの開催前日で街が沸いていた

労働者の街であるマンチェスターは、産業革命以来、街の発展とともにサッカーや音楽といった独自のカルチャーを築き、現在は他の地域から人を惹きつけるほど魅力的な都市となっている。私も実際にマンチェスターとそのカルチャーを愛する人々の想いに触れて、この街を大好きになった。今や、イギリスで最も好きな都市はマンチェスターである。

マンチェスターの歴史とカルチャーに、乾杯!



つづく・・・。

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