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明日もどうにか生きていくために。あのカレーじゃなきゃダメだった


また、仕事に行けなくなった。


理由は、何度目かわからないうつ病の再発。定期的に通っていたカウンセリングで、「表情がなくなっている」と言われ、心療内科の受診を勧められた。

そういえば、抗うつ剤を処方してもらったのは、娘を妊娠する前が最後だったっけ。薬の力を借りずにやってきた五年間が、振り出しに戻るようで悔しかった。とはいえ、体も心もHPはゼロに近い。

うつの症状なのだろう。頭も耳もずーんと痛い。カウンセリングのあと直帰して、カップラーメンをすすってもよかった。


それなのに。


どうしても、あの店のカレーが食べたくなった。あのスパイスカレーじゃなきゃだめだ。ふいに思い出しては、どうしようもなく食べたくなる。家では絶対に再現できない味。 

まだ期限の残っている通勤定期を使い、思い切って途中下車した。海に隣接する駅から徒歩2分。人が一人通れるくらいの幅の、狭くて急な階段を上がった先に、そのカフェはある。

ドアを開けると、まず店内のいちばん奥にある小上がりスペースが目に入る。そしてその手前にはテーブル席がある。足を踏み入れてすぐのところには、カウンター席。その正面の壁には、さまざまなお酒のボトルがずらりと並び、ほかの壁面は本やCD、レコードで埋め尽くされていた。

ごちゃっとしているのに、不思議とまとまっているのは、濃いブラウンで統一された床と家具のせいだろうか。ここだけ時間の流れがゆっくりしているように感じられる。

お客さんは私ひとりだけ。カウンターを背にして、二人席に腰を下ろす。椅子の背もたれにコートをかけ、向かいの席に黒いハンドバッグを置いた。

メニューにざっと目を通し、完全に決まっていないのに店員さんを呼ぶ。何を食べたいか、自分の感覚に委ねてみようと思った。

注文したのは、ポークカレー。そして、食後にチーズケーキとシナモンラテを。

スマホをいじる元気もなく、ただ窓の外をぼんやり眺めながら、料理が運ばれてくるのを待った。それから間もなくして、テーブルにコトリと音を立ててカレーのプレートが置かれた。

さまざまなスパイスの香りが鼻をくすぐる。ほんのり茶色い玄米ごはんに、細かく刻んだ野菜の入ったルーがかかっている。そのまわりには、ピクルスや豆、水菜のなにかが、ぐるりと添えられていた。

まずは、シンプルにカレーとご飯だけを口に入れる。咀嚼して飲み込むと、エネルギーが口から食道、胃へと、順番に通っていく感覚があった。スパイスのせいか、少しずつ体があたたかくなっていく。

大げさかもしれないけれど、
「何かを食べて、こうして生きていると感じられるなら、私はまだ大丈夫」
そんな気がした。

食べ進めながら、ごはんのまわりでスタンバイしていた野菜たちを、一種類ずつ混ぜていく。ひと皿のなかで、味が次々に変わる。そのたびに、心のなかで小さく「おいしい」とつぶやく。それを繰り返しているうちに、気づけばお皿はからっぽになっていた。

食器がさげられて、シナモンラテとチーズケーキが運ばれてきた。この店は、カレーだけじゃない。ドリンクもデザートも、しっかりおいしい。ラテに使われているシナモンは、パウダーではなくスティックだ。チーズケーキは、ずっしり濃厚系。

カレーだけでも十分なはずなのに、無意識の私は、まだまだ食べ足りないようだ。なくなるのが惜しくて、わざと時間をかけて味わい、ラテもチーズケーキもきれいに平らげた。

店を出て、足を踏み外さないよう注意しながら、急な階段を一段ずつ下り、海のほうを目指して歩いた。心なしか、足どりがさっきよりしっかりしている気がする。
 

明日、ちゃんと病院へ行こう。
これからも、どうにか生きていくために。


心のなかで、静かに誓った。




※こちらのエッセイは、新刊ZINE『「おいしい」の向こうがわ』にも収録しています。

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春野なほ|エッセイスト|ライター|兵庫県 この記事を読んで、少しでも心が動いたら、ぜひ応援お願いします🙏いただいたチップは、より厚み・深みのある文章を書くために本の購入に使わせていただきます📚️