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完璧・万能がこの世に絶対に存在しない理由

人には誰しも、「苦手分野」というものがあります。

僕の場合は、「数学」「スポーツ」の2つ。
以前模試を受けたとき、数学の点数は100点満点中7点でした。もはや受けたのか受けてないのか分からない。
チーム戦のスポーツをやったときは、必ずと言っていいほど戦犯になります。

この苦手のせいで、いろいろと損をしてきました。
数学さえなければ、テスト勉強楽なのになあと思いますし、試合で相手チームの得点に貢献したときには、現場の空気は3トントラックよりも重たくなります。

樹木にだって、苦手がある

冒頭に書いたように、おそらく誰でも、程度の差こそあれ、こんな感じの「苦手」は持っているのではないでしょうか。
よく言われることですが、完璧な人間なんて、この世にいないと思います。

それは人に限らず、自然界の生き物たちでも同じことが言えます。
完璧、あるいは最強の生物なんて、この世にいません。

例えば、エノキ(Celtis sinensis)というアサ科の樹木は、乾燥がとにかく苦手です。
僕は一時期庭でエノキを育てていたのですが、夏場のあいつらの管理はめちゃくちゃ大変でした。ちょっとでも土が乾くと、すぐに枯れてしまうので、頻繁に水をあげなくてはいけないからです。泊りがけの旅行から帰ってきたときに、庭のエノキの植木鉢を見てみると、死者1名…………なんていう大失敗をやらかしたこともあります。

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↑ エノキはこんな感じの木。

以前樹木図鑑で取り上げたカバノキ科のシラカバ(Betula platyphylla)は、日陰で育つことができないため、ほかの植物との競争が苦手です。
そのため、彼らは植物どうしの競争が激しい、栄養豊富な土壌で育つことはできず、誰も住みたがらないようなやせ地で暮らしています。

ほかにも、モミ類は暑いところが大嫌いだったり、針葉樹全般は水はけが悪い土地だとすぐに根が腐ったり……………
てな感じで、ほとんどの樹木は何がしかの「苦手」を抱えて生きています。

たくましそうな見た目をしている樹木たちですが、そんな彼らの世界でさえ、「最強」や「完璧」は存在しないのです。

「苦手」「欠点」はこの世に必要か

この世から苦手が消えたら、みんなハッピーになれるような気がします。

できることなら、自分の「苦手」なんて消えて欲しいよ…………多くの人はそう思っていると思います。ぼくもそうです。

ではなぜ、この世には苦手や欠点が存在するのでしょうか。
どうしてすべての生き物は、完璧を手に入れられずに、不自由な思いをしなければならないのでしょうか。

苦手や欠点が、すべての生き物に「生きる価値」を与えている

自然界において、「居る必要のない生物」というのは存在しません。
その生き物がいまここに「存在している」ということは、その生き物は自然界に必要不可欠なメンバーである、ということ。(例えばゴキブリは、地球の土壌をつくるうえで極めて重要な役割を果たしているらしい)

地球上に住むすべての生き物には、ものすごく大きな「生きる価値」があるのです。

そして、小見出しに書いたように、その「生きる価値」というのは、生き物が持つ「苦手」や「欠点」によって生み出されている、というのが僕の考えです。

<木が生えてないと機能しない日本の生態系>
日本の生態系を例にとって考えてみます。
日本の生態系というのは、森林が土台となって維持されています。
幼虫が木の葉を食べ、その虫を小鳥が食べ、小鳥も木の果実を食べ、その小鳥は猛禽類が食べる。猛禽類も、樹上に営巣して繁殖する…………………
日本の生物にとって、「樹木」は命を繋ぐための営みを続けていくうえで必要不可欠な存在なのです。

逆に言えば、日本の場合、地表のほとんどが樹木で覆われていないと、生態系は維持されない。

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↑実際、国土の7割は森林であり、人間・野生動物両方にとって、森林はなくてはならない存在です。


もし日本に、先ほど出てきたエノキのような、水欲しがり屋さんな樹木しか生えていなかったら、沢筋や河川沿いなどの、水が豊富な土地にしか森林は成立しないでしょう。
尾根筋、斜面上部など、水が乏しい土地は荒れ果てた裸地になってしまいます。

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↑川ぞいに群落を形成するエノキ。

繰り返しになりますが、樹木というのは生物にとって必要不可欠な存在。
沢筋・河川沿いなどの、ごくごく限られたエリアにしか樹木が生えていない、という状況は、生態系全体からすれば非常に都合が悪い。

<エノキの苦手を補うのは誰>

こうした状況を防いでくれるのが、クヌギ・コナラ(いわゆるドングリの木)などの、比較的乾燥に強い樹種です。
彼らは根を張る力が異様に強く、地中深くまで根系を到達させることができます。地中の非常に広い範囲から水を回収できるため、ちょっとやそっと土壌が乾燥しても、ほとんどダメージをくらわない。

つまり、エノキの「乾燥」という苦手は、クヌギ・コナラにとっては「得意」なのです。

クヌギ・コナラは、自分たちの「得意」を活かして水の乏しい場所で生活し、エノキが到達できないような場所にまで森林を拡大させます。
こうすることで、彼ら(クヌギ・コナラ)は、エノキの苦手を補い、日本の森林生態系を維持する役割を果たしている、というわけです。

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↑尾根沿いで群落を形成するクヌギ。

<クヌギやコナラの苦手を補うのは誰>

逆に、クヌギやコナラにもまた、 「苦手」があります。

それが、エノキの得意である、河川沿いや沢筋。

基本的に、植物の種子というのは、水中に長期間浸かると発芽能力を失います。
そのため、水辺に生える樹木の種子は、水にどっぷり浸かることがないよう、工夫されているのが普通です。

例えば、エノキと同じく川沿いが大好きなオニグルミの実は中が空洞で、水に浮く仕様になっています。そのため、水にダイブしても流れに乗って別の土地にたどり着くことができます。樹木界の北島康介と言ってもいいぐらいの泳ぎの腕前。
水中にぽちゃっと沈んでしまえば、半永久的に地上に戻ることはできませんが、水に浮いていれば、そのうちどっかに流れ着くよね……………と考えているわけです。

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↑オニグルミの種子。川の流れに乗って分布域とは遠く離れた下流で定着することもある。

エノキの種子の場合だと、鳥に食べてもらうことで散布されるので、そもそも水と接触する機会がありません。

川沿いの樹種たちは、あの手この手で我が子の溺死を回避しているのです。

一方、クヌギやコナラのように、川から遠いところに生えていて、そもそも水とあんまり関わりがない樹木の種子は、溺死への備えがありません。

クヌギやコナラの種子は、みなさんお馴染みのどんぐりです。
どんぐりを水に入れると、ぽちゃっと見事に沈みます。そして、そのまま数週間放置すると、あっけなくどんぐりは息を引き取ってしまうのです。

どんぐりころころどんぶりこ
お池にはまってさあ大変…………………コナラ・クヌギにとって、この歌詞はまさしく緊急事態宣言。

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↑クヌギのどんぐり

コナラやクヌギのような、種子に水への耐性が備わっていないような樹木が、川沿いに生育した場合、誤って川にダイブした種子たちが溺死する事故が多発するリスクがあります。

先ほどと同じような話の流れになりますが、もしも、日本に、クヌギやコナラのような、水に弱い樹しか生えていなかったら、どうなるでしょうか。
おそらく、川沿いから樹が消えるでしょう。

これはこれで問題です。
川沿いに生育する樹木(専門的な言葉でいうと、河川沿いに成立する森林を「河畔林」と呼ぶらしい)は、河川生態系を維持するうえで、極めて重要な役割を果たしていることが分かっています。
例を挙げると、
•渓流のうえに木の枝が生い茂ることで水面上に降り注ぐ日光が遮られ、川の水温が低く保たれる→魚が住みやすい環境に
•落ち葉が水生昆虫の餌になる
•川に倒木が生じると、そこの水の流れが緩くなり、稚魚たちの生息場所となる

てな感じ。

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↑渓流の周りで形成される河畔林

つまり、川沿いから樹が消えたら、同時にその川に住む水生生物も消えてしまう。

そういう状況を防ぐために、エノキはクヌギ・コナラの苦手を補って沢筋に生育している、というわけです。

日本の森林生態系からすると、エノキとクヌギ・コナラ、どちらも欠けてはいけない存在なのです。両方の樹種に弱点があるからこそ、両方の樹種が「かけがえのない存在」でいられるのです。

<自然界は、「補いあい」でできている>

生態系というのは、クヌギ・コナラとエノキがしていたような、「ある1種類の生物の苦手を、ほかの生物が補って生態系を維持する」という営みが集積されて創り上げられていくものです。

自分の苦手は、誰かの得意。誰かの苦手は、自分の得意。
自分が得意に徹すると、誰かの苦手が補える。自分の苦手は、誰かがほかのところで補ってくれる。結果として自然界全体の生態系がうまく機能していく。
自然というのは、もともとこういうふうにできているのです。

変な言い方ですが、自分の出来ることが、ほかの誰かにはできないからこそ、自分の価値が上がるのです。

もし自然界に暮らす生き物すべてが、どんな環境でも生息できる、「完璧生物」だったら、全員が同じことを同じようにできるので、ちょっとぐらい誰かがいなくなっても(絶滅しても)なんの支障も出ません。
それぞれの生物が「かけがえのない存在」ではなくなるのです。

「この世のあらゆるものをすべて切れてしまう超万能なハサミ」があったら、紙を切ることに徹した工作バサミや、髪を切ることに徹したすきバサミ、我ら樹木マニアの体の一部剪定バサミは、存在意義を失います。

工作バサミでは、木の枝は切れません。だから剪定バサミが必要になる。
剪定バサミでは、髪は切れません。だからすきバサミが必要になる。

ひとつひとつのハサミの「出来ること」と「出来ないこと」のバラバラさが、ひとつひとつのハサミの価値を生み出しているのです。

自然界の生きものも、それと一緒。
それぞれの生き物の、「出来ること」と「出来ないこと」はほんとにバラバラ。
だからこそ、自然界では全員が必要とされるし、全員が主人公になれるのです。

「万能」というのは、思ったより無意味なものなのです。

人間の社会でも同じことが言える

これとおんなじことが、人間の社会においても言えるのではないでしょうか。
人間社会も、各々の「できること」と「できないこと」の補いあいで回っていると思います。

医者にトラックの運転はできません。でも、彼らは人を治すことができます。だからトラックの運転手が事故にあったとき、怪我を直してあげられる。一方、トラックの運転手は、医療に必要不可欠な大型機器を病院まで確実に送り届けることができる。その機器が、医者が仕事をする上で、重要な役割を果たす。医療を維持するには、両者とも必要不可欠です。

こんな感じで、この世に生きているすべての人は、自分の苦手を誰かの得意と交換しながら人生のコマを進めているのです。
自分にはできないことがある。だからこそ、それが補ってくれる他の人に、感謝の気持ちが生まれるのだと思います。
ひとりひとりの「できること」と「できないこと」がバラバラだからこそ、人と人との繋がりが生まれていくのだと思います。

もし世の中が「完璧な人」だけで構成されていたら、人との繋がりが全く生まれない社会になると思います。それではあまりにも味気ない。

苦手にどう対処すべきか

さて、この世に欠点や苦手が存在する意義は分かりました。
では、それを踏まえて、我々は自分の苦手にどう対処するべきなのか。

苦手を克服する努力をすべきなのか。
それとも、苦手は苦手として受け入れて、自分の得意分野に目を向けるのが良いのか。

非常に曖昧な答えで申し訳ないのですが、「結局、どっちゃでもいいんじゃないの?」とぼくは思います。

苦手を克服すると、自分の人生の幅が広がる、というのは事実です。

例えば人間の文明の歴史は、ヒトという生物がもつ苦手克服そのものです。

ヒトは長時間泳ぐことができません。
しかし、船が発明されたことで、ザトウクジラの回遊ルートよりも長い距離を、洋上で移動できるようになりました。

ヒトは空を飛ぶことができません。
しかし、航空機が発明されたことで、キョクアジサシ(年間8万キロ旅をする渡り鳥)の飛行ルートよりもはるかに長い距離を、24時間以内に移動できるようになりました。

さらにさらに、「大気圏内でしか生きていけない」という、すべての生き物の共通の弱点も、ヒトは克服してしまいました。
地球から38万キロ離れた天体まで到達してしまった生物など、地球の46億年の歴史を見ても、ヒト以外にいません。

こんな感じで、自分たちのできないことを、高度な脳を使ってひとつひとつ潰していった結果、ヒトは自然界に敵なしの状態になったのです。(それがいいか悪いかは別として)

苦手を克服すれば、自分の人生、そしてその周りの状況をがガラッと変えれる、というのは本当です。

でも、かと言って、苦手に対して何も手を打たなければ、破滅的な運命を辿るのか、というと、別にそういうわけでもない。
苦手から逃げて、自分の得意を伸ばしまくって生活している生物もいっぱいいます。

またまたエノキの例を見てみましょう。

エノキは乾燥が苦手なので、その苦手からひたすら逃げ続け、最終的に川沿いに身を落ち着けました。

もともとエノキは成長が早く、生命力旺盛な樹木です。
川沿いに住み始めたエノキは、持ち前の生命力を生かし、ほかの植物との生存競争を見事クリア。河川沿いの森林の優占種(あるエリアの植生において、最も勢力の強い樹種)となります。
河川敷などに行くと、大抵エノキが群生しているのを見かけます。日本の川沿い・沢沿いで、最も勢力の強い樹種は、エノキ・ヤナギ類・ムクノキの御三家なのでは、と思います。(この生命力の強さが災いし、エノキはオーストラリアで侵略的外来生物の指定を受けているそうですが)

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↑切られても、根茎から再度発芽したエノキ。乾燥に弱い代わりに、再生能力がめちゃ高い。これがエノキが河川沿いの森林で勝ち残れた理由。


エノキのように、思い切って苦手から逃げ、自分にフィットした環境で、自分の得意をひたすら伸ばす!という選択をするのも、全然ありなのではないでしょうか。

苦手を頑張って克服するのか、苦手を避けて得意に目を向けるのか。
自然界の仕組みは、どちらを選んだとしても、どうにかして生きていけるようになっているのです。

自分に苦手があって、うまく行かないことがあったとしても、「その苦手は、新しい人との繋がりを作るための余白だ」と思って、あまり気にしないのが、一番いい苦手対応策なのかもしれません。

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