ドップラーの声【シロクマ文芸部:お題「水色は」】
小牧さん、お題をありがとうございます。貼付記事以下、参ります。
(1272字)
水色は透明の奥底に記憶を仕舞い込む場所を持っている。日々の流れに流され消えていく事柄、想いたちを留めておく、空と湖、海の色を宿した宝箱のように。
鍵穴はどこに引っ掛かりがあるのか分からぬツルリとした形をしていた。無機質のそれではなく、水底に潜む海底動物のように、向こう側が透けていて骨を持たぬ生き物のような姿をして静かに佇んでいた。
「ここでは掬えないわ。ちょうど今メンテナンスを終えたところだから、使ってみる?これ」
私は見つめてはいた。
失われたものを惜しむ心は、確かに私の裡に存在している。掬い取ろうとまでは思わなかったけれど、それも悪くないかと頷いて、声の主に続いた。
「さあ、どうぞ。これが鍵で、ここが貯蔵庫なの。入って。入口が少し高くなっているから気を付けて。ドアの高さも低めだから、頭をぶつけないようにね」
促されて、少し薄暗い室内に入る。一瞬真っ暗に見えたそこは、明かり窓から差し込む光でほのかに照らされていた。
私は渡された鍵を手に持ち、古びた木製のドアの鍵穴にそれを差し込んだ。思いのほかすんなりと開くそれに、少し拍子抜けする。「錆び付いているかと思ったんでしょう?残念、さっき言ったでしょ?鍵穴のメンテは今日の午前中に完了したばかりなのよ」と、私の心を見抜いたように、案内人の声が届いた。
そこに、棚に置かれた時計が数え切れぬほどの数、並べられている。その形を少しずつ粒に変え、砂のようにハラハラと、床にこぼれ落ちている。うっすらと積もった粒子は、ガラスの砂のように、日差しを受けてキラキラと光っていた。
そういえば、何の疑問も持たずに、ここまでのこのこと着いてきた自分に、ふと苦笑いがこぼれ落ちる。初対面で正体不明の人間の後を着いていくなどと、何と警戒心のない行いだろうか、と。
女がくるりと振り返り、私を見つめて言葉を紡ぐ。
「一応、はじめまして、と言っておかなければね。もっとも、初見ではないのだけれど、どの道、この世界では初めてだから、初対面には違いないわ。……さて、と。あなたのはまだ粒になっていないのだけど、眺めていく?お知り合いのものは、その左側の上から3段目、左から二番目のものがそうよ」
それは、水晶のような、セレナイトのような、透明の時計だった。盤面も、短針も長針も、秒針も、中の歯車もバネさえも透き通って、プリズムの光を薄暗い棚にこぼしている。
「ああ……。そうか、君はここにいたんだね」
それは、5年前に旅立った愛しい人の時間だった。
後は無言のまま、その場所で時を過ごした。還っていく時間を、ただただ見つめていた。そうして私は、借りた鍵を女に返し、暇を告げる。
「帰り道は一直線。振り返っては駄目よ、絶対に。次は【あちら】で逢いましょう」
admin of past time、アドミン・パストタイム の声は、ここに来た道筋よりも低く耳に届き、やがては残響となり消えていった。
風に舞うように、光に溶けるように、水色のそれの如く。
----Fin
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
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